まず代表工藤から、「震災から二ヶ月が経ったが、震災直後には時間との闘いの中で命を助けるための懸命な救助が行われていた。今回は、震災直後の医療の現場や政治、行政に、何が問われていたのか、そこから浮き彫りになった課題を明らかにしたい」と提起があり、①今回の被災地での医療現場で問われていたニーズや、それに対してどんな対応が行われたのか、②今回の震災での救急医療では、何が足りなくて、どのように改善すればいいのか、そして、③中長期的に見た際に医療ケアをどうしていくべきか、また、これからの医療政策に問われているものはなにか、をトピックとして、話し合いが行われました。
まず第一の点について、内科医師でもある梅村氏は、震災翌日に現地からの様々な要望に応えるために省庁の壁を超えたチームを作ったことを明らかにしながら、「最初の三日間では、現場のニーズは半日ごとくらいで目まぐるしく変化していた」と述べました。また、上氏が「三日目くらいから、人工透析やインスリン注射など、生命維持のために必須の治療が機能しておらず、そうした患者が被災地に大量にいることが分かってきた」と発災直後の状況に触れると、梅村氏は、インスリンの針を検査する検査場に関する厚労省の規則を例に挙げ、「指示を出せだけで流れが良くなる問題がたくさんある。行政を動かすための権限をもらうことが、そのチームにとって重要だった」と振り返りました。
また、救急医療の課題について、梅村氏は、災害に備えて事前に指定する災害拠点病院の役割について触れ、「今回はその拠点病院そのものが被災して機能せず、その場その場で判断する必要が出てきた」とし、「その判断を繋いだのが民の力だった」と指摘しました。上氏は、DMAT(Disaster Medical Assistance Team/災害派遣医療チーム)やJMAT(Japan Medical Association Team/日本医師会災害医療チーム)の定義や特性について説明した上で、「そのサービスの範囲を超えるところは当然あり、そこでは一刻も早く対応できる人が対応しなければならないのに、現実にはいまそれを阻む規制がある」と述べ、被災地から離れたところで現場のニーズとかけ離れた議論がなされること、一方で現地に入れば分かる市民のニーズについて議論が行われていないことに対し、強い憤りを持って語りました。
最後に中長期的な医療政策の課題について、上氏は、「日常を取り戻さなければならないというときに、常勤の医療従事者数は圧倒的に間に合っていない」と述べ、地元の医療機関がライフラインとして正常に機能する仕組みや、可能なかぎり継続的に現地での医療行為ができる医師を配置していく必要性を訴えました。梅村氏は、「官に欠けているのは「比較衡量」という考え方だ」と指摘、「政治は比較衡量して判断をしなければならないのであって、民の側に立って、一点突破、全面展開を実行しなければならない」と述べました。そして、中長期的な医療ケアについて、「地元の方々の合意をある程度吸い上げる仕組みが必要」とした上で、「今こそ、高齢社会にマッチした新しい医療をきちんとデザインしなおすいい機会だ」と指摘しました。
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第1話 震災救助、医療の現場で何が問われたか
工藤:こんばんは。言論NPO代表の工藤泰志です。
さて、言論NPOでは3月11日の東日本大震災から「言論スタジオ」と題して様々な議論を行っています。今回は第4回目として、医療の問題を取り上げたいと思います。被災地で医療関係者はご苦労をされて、命を助ける救助がまさに行われましたが、現場で何が問われていたのかについて話をしてみたいと思います。
それでは早速、出演者を紹介したいと思います。まず、東京大学医科学研究所特任教授の上昌広さんです。よろしくお願いします。
上:よろしくお願いします。
工藤:そして参議院議員で、民主党副幹事長、内科医でもある梅村聡さんです。よろしくお願いします。
梅村:よろしくお願いします。
工藤:さて早速ですが、もう震災から2カ月が経ちましたが、震災直後は医療関係者を含めて、支援を含めて様々なドラマがあったと聞きましたが、どういう風な動きがあったのでしょうか。まず、梅村さんお願いします。
梅村:私は3月11日は、自分自身が交通手段を確保するのに精一杯でした。最初にSOSが来たのは、医療関係で言えば、水がほしいということと、電気が止まっていますので油がほしいということでした。これは医療だけには関わらず、本当に人間の根源的な要求でして、とにかくこれでバタバタしていて、個別で色々上がってきました。
翌日、当時は官房副長官ではありませんでしたが、仙谷さんに「直ぐに官邸に来てほしい」と言われました。「何をやるのですか」と聞いたら、「とにかく省庁の壁があるのだ」と。しかし、現場からは次々と要望が来るのだけど、厚生労働省はいいといっても、財務省はうんと言っていないので駄目だとか、まだ予算が付いてないので搬送できないとかいう状況があるので、その壁を打ち破るために、省庁の壁を越えたチームを作ってほしいと言われました。そこには色んな要求がきました。
工藤:それは現地からですか。
梅村:現地からです。これはモノもそうですが、産婦人科の方がお産のセットを送付してほしいとか、それから薬ですね。薬が切れていると。これは救急だけではなく、例えば、常時飲まないといけないホルモンの薬とか、そういう個別の案件がどんどん来ました。
2、3日目くらいから、あとで上先生の話でも出てくると思いますが、私は阪神大震災も経験しましたが、今回違ったのは、現地では医療ができないから、患者さんを外に出せ、ということが3日目くらいからのミッションでした。だから、最初の3日間位で要求というか、必要なことがめまぐるしく半日ごとくらいに変わっていきました。
上:私は震災当日、埼玉の行田市にいました。その日から翌朝にかけて、東京に戻ってくるので精一杯で、情報なども分かりませんでした。その時、ツイッターを使用して少し状況が分かりました。携帯でツイッターを見ていれば、現地の情報がパラパラ分かりましたが、何か想像を超える災害が起こっていると感じました。
2、3日目ぐらいは、正直、何が起こっているか分からない状況でした。医療分野でいうと、阪神大震災の教訓を糧につくられたDMATという救急医療のチームが、自動的に被災地に送りこまれます。そういう部隊が、現地で対応しているのだなと思いました。ただ私のところには、梅村さんとは違って、何が起こっているのかという具体的な話については、土曜や日曜には入ってきませんでした。平日ということもあったかもしれませんが、週が明けた月曜日くらいから、色々な状況、かなり悲惨な状況だという情報が入ってきて、また、非常に情報が混乱していて、人によって言うことが違うし、伝言、伝言で、伝わってくるので話が変わってくる。14日の月曜日くらいから、どうやら具体的なものが分かり始めましたね。その段階で私たち個人が考えたのは、被災地に直接ネットワークを持っている人、この情報がやはり重要なのですね。福島県出身者、宮城県出身者、岩手県出身者、あるいは向こうの友達と直接やり取りができる人。こういう方の情報を集めようと思いました。
震災後の医療のニーズは何だったか
工藤:それで情報を集めてみて、どういった状況か分かりましたか。
上:当日は混乱していました。あまりはっきりしたことは分かりませんでしたが、数日経ってくると、病院が機能していないことがはっきりしました。特に、命に関わるような疾患への治療が機能していない。これは大震災が起こって、私も初めて考えましたが、大量に患者さんがいて、やめると直ぐに命に関わるケースはそんなに多くはないのですよ。手術の最中に停電するというのは別ですよ。そういうのは誰が見ても分かるので運ぶのですが、生命維持に必須の治療というと、インシュリンの注射。これは止めると途端に命に関わります。他には、人工透析もそうです。こういうのは1週間止めれば命にかかわります。こういう患者さんが、大量に被災地にいることが3日目くらいにようやく分かりましたね。
工藤:薬が津波で流されてしまうとか、在庫が水浸しになるとか、そういう現実があったという話は私も聞きました。その結果、薬が足りないという形で情報が上がってきたわけでしょ。
梅村:そうです。それと薬が足りないだけではなく、例えば、インシュリンの針は輸入していますが、その輸入の検査をする検査場が福島県にありました。そうすると、インシュリンの針の流通が一気に減ってくるわけです。それを何とかしないといけなかった。普通に考えれば、別に福島県でなくとも別のところで検査すればいいように思いますよね。でも、厚生労働省の中では、福島県のこの検査場でなければならないという規則があったのです。そんな規則は止めて、直ぐによそでもできるようにしろ、という指示1つだけで、直ぐに流通が広がっていきました。また、甲状腺の薬は、工場が福島県にありました。福島県に材料もあって、作れなくなってしまった。どうするのかと。すぐに輸入の手続きをして1ヵ月後に解消しましたけど、だけど指示を直ぐに出すだけで、流れが変わるものはたくさんありました。
工藤:その指示は誰が出すのですか。
梅村:仙谷さんに呼ばれて言われたのは、実際、厚生労働省では、医政局指導課が指示を出していたのですが、話を色々聞けば個別に指示を出していました。薬の問題であれば薬剤師会に聞いたり、病院が駄目だとなれば病院協会に聞いたり、医師がいないとなれば医師会に電話をかけたりとか。自治体病院であれば総務省にかけたりしていました。そういうのは無くして、我々のところに情報を一元化しましょうと。ここに情報を一元化すれば、我々が厚生労働省なり総務省への司令塔になりますと。でも、兵隊は自分たちで出してくださいという組織をつくり、そこで仕分けをしました。これを3日目、4日目ぐらいから始めました。
工藤:それはどこにできたのですか。官邸ですか。
梅村:一応、仙谷さんの下にできたチームです。普段は色々な団体の方がそこに常駐していただいて、財務省や官邸を突破しないといけないときは、そこから上に情報をダイレクトに上げていく。そこまでいかないものは、チームから直接、省庁に指示を出す権限をもらいました。行政を動かすための権限をもらうのがすごく大事だったと思います。
工藤:なるほど。でも、先ほどのDMATがまず動くわけですね。それだけではなくて、一般のお医者さんも現地にどんどん入っていく、という流れだったのでしょうか。
梅村:結局、供給過剰になります。それから、指示を出す人がいなくなった。その点については、県に指示系統を一元化する。県で突破できなかったものは、東京のこっちに持ってきて下さいと決めました。反省する必要はないかもしれませんが、今回の反省点を挙げるとすれば、今回は支援をする医者が非常に供給過剰だったということです。自治体は役所が流されたりしているので、受け入れる力がありません。同じような状況は、ボランティアの受け入れということでもありました。今もそういう状況はあります。せっかく来ているボランティアを受け入れる力が無い。その点については、今後どうしていくのか検証していく必要があると思っています。
工藤:県はどういう風にするのですか。地域の中にある病院で、医者が足りないという場合に、県に情報が上がってくるのですか。
被災地の現場で医師たちはどう動いたか
梅村:そうですね。国がやっているDMATという組織があります。その後に、日本医師会がやっているJMATが組織されました。つまり、出している母体がバラバラなのです。ですから、医療関係者を含めて、県の本部にまずは参加してもらい、そこに色々な情報を集めてきて、その情報で動いてもらう。ただ、そこでカバーできるのは、大体8割ぐらいで、どうしても漏れてしまう部分が出てきます。その漏れた残りの2割については、国から見たら解決のしようがなかった。その2割の部分には、ツイッターとか上先生がつくられた「地震ネット」というメーリングリストで、支援が入り込んでいった、ということが、今回、非常に新しい試みですね。
工藤:DMATというのは、災害時に瓦礫に閉じ込められている人を救済するということですよね。今回は、津波で亡くなっている人が多くて、その中で救助される人もいらっしゃったのだと思いますが、あとは、お年寄りとかが慢性疾患で病気になっていた。DMATの動きと、現地のニーズはマッチしていたのでしょうか。
梅村:残念ながら今回は少しずれていました。例えば、300チーム現地に入ったときは、200チームくらいは、実際のDMATの働きをせずに、別の仕事をして帰ってきたところが多かった。
工藤:例えばなんですか。
梅村:例えば、高齢者のケアや避難所の医療行為とかです。阪神大震災の時には、建物の下敷きになっていたので、瓦礫を取り除けば当然患者さんがいるとか、あるいはクラッシュ症候群への対応など、DMATは非常に意味があったのですが、今回は津波の被害が大きくて、残念ながら亡くなっている人はもう既に亡くなっているし、助かっている人は、むしろそのあとの津波による肺炎とか、48時間を越えてきます。そういう意味で言えば、DMATにマッチしていなかった面が大きかった。
工藤:DMATは48時間で帰ってしまいますからね。
梅村:そうです。これは、阪神大震災と比べた一番の相違点ですね。
工藤:すると、被災地の中で、患者を助けないといけない場合は、被災地の地域の医者が機能しないといけない状況だったのですね。
梅村:一義的にはその通りです。
工藤:その点はどうだったのですか。
梅村:そこが結局、流されてしまいました。例えば、気仙沼の病院は看護師さん2人を残して、あとは全員いなくなった、という状況です。ですから、DMATは、いわゆる本来のDMATではなく、止血するという働きをしました。
工藤:すると、その地域で48時間以降も、きちんと医療行為が出来る支援の仕組みはどういうものがありますか。
梅村:今回は、そこに日赤とか済生会とかそれぞれの団体が独自に行きました。
工藤:コントロールしているのではなく、自発的に行った。
梅村:ええ。ただ、彼らは災害用のカルテも持っていました。今回、カルテも流されていますので、自分たちの災害用のカルテと診療所と薬部隊を持って行って、全部自己完結でできる団体は、役に立てた。
工藤:そのあたりはどうですか。地域での医療行為はどうなっていましたか。上さんも何かご存知ですか。
上:基本的には、現場ごとに違います。被災した直後は、DMATでも何でもいいのですが、現地に入るしかありません。しかし、起こっていることに柔軟に対応できるような人間や運用が重要でした。今回、先進国でこれだけの規模の津波や災害が起こったのは、実は史上初なのです。なので、結果的に誰にもわからなかった。今思えば、神戸の地震においては、海はつながっていて隣に大阪があるので、重症患者はどんどん大阪に運んでいたのです。そういう意味で見ると、神戸市民病院の先生が書いた手記には、透析患者は大阪に運んだと書いています。あの当時、我々はDMATの仕組みがうまくいったと思ったのですが、今回、現地に行った人はDMATでは限界があるということを感じました。病院も無いし、医者もいないからやりようがない。そういう中で、必要な人を後方に運ぼうとか、あるいは現地で診られるのであれば現地で診よう、という試行錯誤が行われました。多分、誰かが統制して、少なくとも現場を見ない人が指示をするのは無理だと思います。前線の人がそこで判断して、彼らをサポートする仕組みが必要でしょうね。
工藤:阪神淡路大震災の後に、災害医療に関してはDMATと、地域の中に災害拠点病院というのができたわけですよね。しかし、それが機能したか、という話は総括されていますか。
梅村:これからする必要があると思いますね。ただ、津波でやられたのは海岸線何キロですから、内陸はわりと早い時期に診療を開始しました。そういう意味で言えば、災害拠点病院は内陸では機能した。しかし、実際には海岸線が長いですから、今回は上先生がおっしゃったように、被災地で治療するのではなく、外へ出した方がいいというパターンが非常に多かった。それが今回の特徴だったと思います。特に福島などは、津波以外の要素がありましたので、そこは非常に難しい、実は今も混乱している真最中です。
工藤:それではここで休息に入ります。またあとで続けたいと思います。
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第2話 災害医療に対する「個人の挑戦」と「官の限界」
工藤:それでは、引き続き議論を進めていきたいと思います。先程の話の中で、DMAT、JMATとかおっしゃっていましたけど、災害救援、医療行為の際に、そもそもどういう仕組みがあるのかということが分かりにくいと思うので、分かる範囲でいいので説明していただいて、それがどう機能したかを説明していただけますか。
DMATと災害拠点病院とは
梅村:先程のDMATというのは、災害の時に、起こってから48時間までの医療を、集中的に展開していきます。当然DMATというのは、自分たちで全てのことを自己完結できるという部隊です。ですから、DMATは48時間過ぎれば基本的には引き揚げる、そういう部隊です。自衛隊に近いようなイメージを持っていただければと思います。一方の、JMATは、日本医師会のチームです。このチームは、48時間を超えたあとに避難所に沢山人がいたり、地域にも沢山の人が残っている。だけど、通常の開業医の先生や病院は、閉鎖していたり機能していませんので、それを1ヶ月、2ヶ月、長ければ3ヶ月ぐらい、DMATと入れ替わりながら、地域で医療を展開していく部隊だと思っていただければ結構です。
工藤:先程の拠点病院。それはどういう役割ですか。
梅村:それは、災害拠点病院ということで指定しておくわけです。何か起こったときには、メルクマールになるので、ここにボランティアや物資を集中的に集めてくる。また、患者を搬送するときも、災害拠点病院が、第一に受け入れ先として選ばれる。これは平時の時の、あくまでもおすすめメニューです。実際にそういう風に予算も組んであり、常に積んであります。だけど今回は、津波も15メートルでしたし、災害拠点病院そのものが機能しなかったということが出てきました。ですから、その場その場で判断する必要が出てきてしまった。それをつないでいったのが、色々な「民の力」だったという話になるかと思います。
工藤:「民の力」ということなのですが、上さんに今の話を補足して欲しいのですが、本来であれば、地域の病院の中で医療行為がきちんと行われればいいのですが、それができない状況になった。その時に、地域の近隣の病院か、何処かに運ばなければならない事態になったわけですね。その時に、民と民の連携が大きな役割を果たしたということなのでしょうか。
なぜ民と民の連携が必要となったか
上:先程のDMAT、JMATという仕組みは、基本的に、それぞれの事務局が認識しているところに対してサービスを提供することができます。逆に言うと、住民のニーズに合わせるわけではありません。彼らが認識していないところは、そもそもその仕組みの中では存在しない。それから、その事務局の処理能力を超えた物についても存在しないことになります。そういう取り残された部分が、当然かなりあります。そういう部分は、声を大にして指示系統の一元化とか、政府の強化と言ってもそもそもできません。例えば、今回の震災では厚生労働省は指導課というところが一番忙しかった。他の部署は、国会も止まりましたし相対的に忙しくなかったと思います。そういう部分が明確なボトルネックになっているので、ある意味で渋滞したのです。そうでないところをどう救うのか、ということは、ある意味で官の限界、政府の限界だと思います。
政府といえども、中央政府と県市町村で全く違います。個別の案件を具体的に解決するために、みんなで知恵を合わせようという動きが各地で起こりました。それは大災害だったので、みんながわりと合意しやすかったのだと思います。そういう中に、従来型ではないパターンがあったのだと思います。例えば、震災直後には電気も水道も止まります。連絡なんかそもそもできません。連絡できないと、県は原理的に状況を把握できません。その中で、例えば福島県いわき市には透析患者を非常に多く抱えている病院があり、このまま放っておくとお亡くなりになります。病院経営者には責任がありますから、当然風評リスクを考えます。この人達は、誰がどう見ても運び出さないとならなかった人達です。ただ運び出すといっても、受け手の病院、運送手段、費用もあります。これらをどう調整していくかが問題になりました。時間が差し迫っている状況で、「時間」と「平等性や公平性」がバーターにかかる状況でしたから、こういうことが県や国ではできなかった時期があったのです。
工藤:国とか県でやると、逆に時間かかってしまって、ということですかね。それとも、そもそもそういうことが行政ではできないということですか。
上:そもそも連絡手段がないですし、国や県が災害時は、色々な対応でパンクしています。今だからこそ国や県といいますが、国や県もそもそもスタッフ数人でやっているわけですから、その人達ができるボリュームを越えることはできないわけです。そして、できないことは後回しになります。透析患者は1週間でやらなければならないので、国や県のラインではできませんよね。やれる人がやらなければならないわけです。私たちの場合、やれる人が誰で、どこにいるのかわからないのですよ。先程、梅村先生にご紹介いただいたメーリングリストというのは、当初は12名でした。半分は東北出身関係者。もう半分は信頼できるメディアの方々、特にウェブメディアの方々が、ファクトを報道されると、それを見た方が俺はこれならできる、とつながっていったわけです。これは多分、阪神淡路大震災の時はウェブが発達していなかったからできなかったと思います。このつながりは、今回の震災の特徴的な事例だと思いますね。
工藤:具体的に、上さんの場合はどうつながったんですか。
民の救済に立ち塞がった「官の壁」
上:例えば、いわき市の泌尿器科病院に、1,000名の透析患者がいて、この人達は外に行かないと命に関わる状況でした。問題点は、引き受け手の病院と搬送手段でした。引き受け手の病院は、手を挙げる方が多くて比較的早く見つかりました。問題は搬送手段でした。今になってみれば、公的交通機関は比較的余力があったことが分かっていますが、震災後3日の段階では、東京都内のバスは被災地に出払っていると言われていました。某交通会社のバスを頼むと、1桁台をキープするのが精一杯だと。県に言うと、30キロ圏内ではないので出せないということでした。
結局バスを出してくれたのは、3つのルートでした。新潟県が県として用意してくれた。これは震災のノウハウがおありなのでしょうね。他はネットワークの仲間が、普段付き合いのある旅行代理店の方々に頼むと、旅行会社の方はあそこがいいよとすぐつないでくれて、バス会社の方がこれは一大事だ、すぐ出しましょうと言ってくれました。もう1つはCivic ForceというNGOの理事をされている小沢さんという方に電話をすると、彼の友人の彼女のお父さんが地元のバス会社の社長さんだということで、全面協力するということになりました。それが携帯やメールを使うと、わずか数分でつながるわけです。これを県や霞ヶ関を通していると、おそらくつながらないので、こういうネットワークでバスが調達できたわけなのです。こういうのも、ある意味でパブリックなのだな、と考えています。
工藤:つながりをつくらないと何も始まらないわけですよね。ただ、その民間の動き、自発的な動きは、順調にスムーズに行ったのですか。
上:様々ですね。それこそ梅村さんがよくご存知のように、特に、福島県の方は厚生労働省の指示が欲しいということでした。
梅村:バス会社としては、動かしていいという県の指示が欲しいわけです。ところが、県は厚生労働省が指示を出さないと自分たちは許可を出せないと。厚生労働省は、県から依頼があれば許可を出すけれども、自分たちからは先に許可を出せないと。
工藤:民間からの要請ではダメなわけですね。
梅村:ダメなのです。それで、すったもんだして、バスの出発が1日くらい遅れました。最後に厚生労働省に言ったのは、「これは民の動きだから、あなたたち官が民を規制する理由は、今はないだろうと。平時の許認可権はあると思うけれど、今の状況でこの動きを規制して何のメリットがあるのか。民・民でやらせろ」と強引に押し切りました。あのまま放っておいたら、あと3日くらい同じことやっていましたね。
工藤:厚生労働省を押し切ったわけですね。
梅村:非常時だから、あまりやっていると取り返しが付かないことになるということで、私が、政務三役のある方にかけあいました。
工藤:非常時の官の役割には問題がありますね。
梅村:その時に、勝手にそこだけやるのはおかしいと言われました。東北地方全体で患者搬送の仕組みを作って、その仕組みができたときに、それに乗せるのが常道だと言われました。今でもそんな仕組みできていませんよね。
上:そもそも新しいことをやって、それをみんなが知ると仕組みができるのが社会であって、誰かが机上の空論でつくるものではないですよね。さらに面白いのは、様々な人がおられて、民間のバス会社が透析患者を運ぶときに一部の関係者は責任を誰が取るのか、と言うわけです。
工藤:何かあった場合の責任ということですか。
上:そんなのはバス会社と患者さんが取るしか無いので、そういう議論が被災地から離れたところではなされるのですよ。
工藤:被災地は、とにかく早く動かさなきゃいけないわけでしょ。
上:それはもう被災地は一刻も早く動かしてくれということです。
非常時に解除が遅れた様々な規制
工藤:上さん、その他にも規制の問題でかなり苦労されたっていう話がありましたよね。
上:そうですね。例えば、福島県の薬局の方から聞いたのは、通常、病院にかかると医療費を払いますよね。被災直後は、その医療費を払わなくていいよ、と政府は言ってくれました。これは非常にいいことなのですが、それは厚生労働省の通知という形で出たのですが、そんなモノは被災地には届かないのですよ。FAXや手紙は届きません。だから、被災地は通常通り業務を行い、3割、2割いただくと。そうしたら、月末の保険組合の診療報酬請求をやっていたら、どうやら通知違反をやっていたということになった。1人数百円ぐらいですが、どこに避難したかわからない人に手紙を送って、膨大な労力を使ったわけです。通知がさらに被災地を追い込んでいるわけなのですね。
工藤:通知っていうのはFAXか何かでしか送れないのですか。
梅村:そうですね今の時代はFAXくらいですね。
工藤:メールで通知っていうのはないのですね。
梅村:多分、あの被災地の状況ではメールも通じてなかったと思います。
工藤:なるほど。それから、薬事法の問題もありましたね。あれは、どのように解決したのですか。
上:薬事法の問題についてですが、被災した地域の中でも、薬の在庫を比較的持っているところと、足りないところが、色々おありでした。足りているところから足りていないところに薬を送ればいいのに、普段そういうことをすると、良くないことをするお医者さんや薬局があるということで規制されていて、やってはいけないことになっていました。その件については、当然、厚生労働省も認識していたらしいのですが、心ある業界誌の記者さんが、前触れもなく記者クラブで大塚副大臣にこの話題について質問をしました。そうすると大塚さんは「当たり前だ」と。その後、厚生労働省の人に呼ばれて「ああいう質問をなさるときは、ちゃんと予め言ってください」と言われたそうです。数日後にその規制は撤廃されたのですが、病院間はすぐに撤廃されたのですが、薬局間はそれから1、2週間遅れて撤廃されました。そんなことが想定されるのなら、即座に撤廃すべき話が、そういうものでも病院間で約2週間、薬局間では1カ月弱かかって、ようやく撤廃されたのですね。
工藤:この2週間ということは、動きがあったから2週間ということなのですか。
上:そうですよ
工藤:でなければ、薬が全く不足して、どこかから融通するというのは、不可能だったという状況になりかねなかったわけですね。
上:実際には、現場の人が状況をみてやっているのですが、いろいろな段階があって、関係者の1人でもハンドブレーキを引くことがあれば、止まっていることが多いのです。個人の開業医などは、院長の判断でやっていたはずなのですが、大きな病院になればなるほどステップを踏むので、これは違反だと、やっていけないということが起こっていたみたいですね。
工藤:でも、この2週間、3週間という時間をかけたことで、人命という面で、大きな問題にならなかったのですかね。
上:それは。当然なっているのではないですか。
工藤:なっていますよね。後から、それで人命が損なわれたということになったら、どういうことになるのですかね、政府として。
梅村:そこは政治判断という言葉になるのですが、今回色々な政治判断をしました。後でまた入院の話もしますが、官に欠けている視点は「比較衡量」という考え方だと思います。いわき市の透析の話もそうですが、740人全員が亡くなるというシナリオと、無理に動かして誰に責任があると言われながらも、亡くなったのは数人だったというシナリオを、その時比較衡量したのか、という発想はありません。さっきの薬の話にしても同じです。そのことについては政治が判断をして決断せざるを得ない。政治ができることは、その比較衡量をやっていくことだと感じましたね。
結局、困難を動かしたのは「個人の力」
工藤:なるほど。この前、上さんと話をしていた時に、要望を官邸に持っていったけど政治が機能しなかったと言いませんでした。友達ベースでなかったら。
上:そうですね。梅村さん個人的な能力、ネットワークの問題です。
工藤:仕組みとして、政治がやる動きにはなっていなかったのですか。
梅村:残念ながらそういう場面が少なかったですね。どうなのでしょう。政治家も官の発想になっていたような印象が、もの凄くあります。
上:そうですね。良くないパターンの政治家っていうのは、陳情を聞いて、「分かった、国土交通省に言っておくよ、厚生労働省に言っておくよ」というのは、ダメな政治家なわけです。今回、政治家が活躍できるポテンシャルがあったのは、地元に関しては、旅館から食品業者、病院までみんな知っているので、バイパスして繋げたはずなのです。地元に張り付いて問題点を解決した方もおられれば、霞ヶ関にいて官庁に指示を与えている、あるいは、今時、提言をしているような人もいるわけです。提言をする暇があれば、現地に行けばいいのですが。そういう政治家は役に立たない。それは、国民が淘汰すればいい話で提言とか役所に丸投げしている政治家はダメですね。
工藤:今の話もそうですが、要するに、政治や官という問題ではなくて、個人なのですね。ある意味で、民と同じですね。個人が被災地の非常時に機能したという形だったのですね。
上:想定外のことが起こっているわけなので、既存の仕組みがワークするままやってみる、しかし、既存の仕組み以外が重要になりますから、その想像力を持ってやれる人というのは、官だろうが政治家だろうが民だろうが同じですよね。
工藤:わかりました。それでは、ここで休憩を入れたいと思います。
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第3話 被災地の日常の医療をどう回復させるか
工藤:では、引き続き議論を続けます。今、休憩中に話をしていたら、何時間でも議論できるほどいっぱいネタがあるという話だったのですが、ちょっと気になったのが入院の問題です。つまり、色々な人達が被災地で病院にかかりたいという時に、なかなかベッドを空けてくれなかったと。規制によって空けられなかったという話を聞いたのですが、どういうことだったんでしょうか。
病床規制に見られた行政の責任回避
梅村:特に福島などは原発問題がありましたから、実際は30km圏までの方々が避難されていました。そこで、県としてはそこにまた入院患者さんが入ると、いざ避難となった時に大変だからということで、とにかくベッドを全部閉じなさい、という指示を出していたわけです。
工藤:閉じるというのは、入れるなということですか。
梅村:そうです。だから、病院は外来だけをやっておけと。ところが、実際問題として、放射線量が下がってきていますから、南相馬市とか相馬市には人が戻ってきています。そうすると、そこで救急医療とかあるいは急性期医療をやっていると、例えば、急性期の脳梗塞とか心筋梗塞とか、あるいは1日だけ様子を見て入院してもらおうという医療が一切できないのですね。そうすると、軽い方でも福島とか郡山まで行かないといけない。だから、私は「せめて10床くらいだったら空けてもいいのではないですか」と。院長さんからも市長からも私の携帯に毎日電話がかかってきて、「とにかく、10床、15床でもいいから空けさせてくれ」と、そういう風に話が来るわけです。ところが、県は「いざとなったら逃げる時に大変だから、5床までにしろ」とか「ここは空けちゃいけない」とか言って回るわけですよ。
工藤:県はどういう判断でそう言うのですか。誰かに言われているわけですか。
梅村:いざという時に、やはり責任があると思うのですね。しかし、今は非常時です。医療側から言えば県に言われたらお上の権化に言われたように萎縮してしまうわけですよね。で、何とかしてくれと。勝手に空けたらどうですかと言ったら、次に県が言ってきた言葉が、一度、会津などに避難させたのでしょう。その患者さんを全員元に戻したら、新たにベッドを空けてもいいですよ。それを戻す方が先でしょう、という言い分をするわけです。確かに、理屈はそうですよ。でも、もうそんなこと言っている場合じゃないと言って院長先生に会津に行ってもらって、すまんけど俺、新しいベッド空けるからなと謝ってもらって、県にこれでいいでしょうと言って、やっと15床くらいベッドが空いたのですね。
工藤:何か、すごいですね。信じられないような話だけど、厚生労働省はその場合どうなのですか。あんまり関係ないのですか。
梅村:厚生労働省の態度がまた難しくて、我々はお勧めしませんけども、禁止もしません。黙認しますと言うのです。黙認と言われたら、県は何か気持ち悪いから規制しようかということになるわけです。
工藤:それはなぜなのですか。
上:当事者ではない人が決めると責任回避になるのですよね。彼らは、そうしても何ら不利益がありません。ところが、この問題は、現地に入ればすぐにわかることなのですね。第1原発が爆発しても、浜通りというのは南北に伸びている地域で南風が吹かないので人口が多い相馬市や南相馬は被爆する可能性がほぼゼロなのです。冬場は南東から北西に吹いています。だから、SPEEDI(スピーディ)みたいに細い線が出てくる。夏場は北東から南西に吹きます。寒流の風が吹くので、やませとか海の方の冷害を巻き起こすのですね。そうすると、人口の多い南相馬や相馬市は、原発が再度爆発してもそこが被爆する可能性はきわめて低いのです。それは科学的な事実であって、そう考えれば、可及的速やかに解除すべきなのですね。解除しなければ、さっき言われたような、毎日たらい回しが起こります。
工藤:病院に入れないから。
上:人口10万の町で、入院できるところが5人や10人だったらそれは無理ですよね。
工藤:そういう人たちは最終的にどこに行っているのですか。
上:最終的に、時間をかけて遠いところに行ったり、病院にかからなかったりしています。
工藤:今もですか。
上:今もです。今も再開する目途がまだ立っていません。南相馬市民病院は5月16日でしたか、入院を5床再開したら、即座にいっぱいになったと。政府はこう言います。「医療を集約化する」と「仙台や福島に運んでいる」と。みなさん一度行かれるといいと思うのですが、福島駅から南相馬まで片側1車線、特に中央分離帯がないような道を2時間弱走ります。そんなところへ病人を運べません。救急ヘリがあるといいますが、救急ヘリは夜と悪天候では飛ばないのです。現地に入ればすぐにわかるようなことが議論されていないのですね。
工藤:なるほど。それは福島だけの話なのですか。他の被災地でもこういう問題があるのですか。
政治も結局は「上から目線」の官の発想のまま
梅村:まあ、私たちの知らないところで数に違いはあれど、県はこういうことを起こしているのだと思います。あるいは、南相馬にある鹿島厚生病院というところは、入院を再開することができました。それはなぜかというと、結局、上先生もそうですけど、我々とマスコミ、読売新聞さんですが、そのことを大々的に書いてくれて、それで県が焦って解除してくれた。これの繰り返しなのですよ。だから、私は政治の「政」ですけども、「民」側について石を投げていたわけです。ただ、私が思ったのは「政」もひとつ穴を開けることによって、やはり周りが間違いに気づく、つまり裸の王様だということを誰かが言ってあげないといけない。今、県も官も裸の王様だと誰も言わないから、とにかく信念に基づいてやっているわけです。政治というのは「民」側について一点突破、全面展開というのでしょうか、そっち側につかないと駄目でしょうし、今の民主党政権、全体的にそういうわけではないですけど、官側に見えるのですよ。見えません?
工藤:見えますよ。だけど、政治主導でその官を抑えるって民主党は言っていたじゃないですか。抑えられないわけですよね。
梅村:形の上では抑えようとしていますよ。こんなことするなとか、事務次官会議廃止だとか言っていますけど、実際の行動が官の思考に入ってしまっているのです。ごめんなさいね、僕は与党なのにこんなこと言ってしまって。
上:官を抑えるとかそういうことではなくて、やっぱり、現場のニーズを拾ってくる。それに合わせてやっておけば、多分、間違いないのですけど、グランドデザインとか復興構想会議とか、丘の上に家を立てるか立てないとか、今の被災地はそんなことどころではないですよ。やはり、市民のニーズを中心に考えていく必要があると思います。
工藤:前回の言論スタジオで、前の岩手県知事の増田さんも、「被災地に行くと中央の議論が非常に遠く感じて、そんなこと言える段階ではない。まずは、みんなの生活をどうするのだという話だけで、そこら辺のニーズに対応していないのではないか」ということをおっしゃっていました。医療でも同じですね。
梅村:そうですよ。例えば、医療と復興構想会議で言えば、復興構想会議の考え方はなんとなくわかります。だけど、あのメンバーを見ると、建築家がいます。知事さんももちろんそうですけど、脚本家の方がいます、宗教家の方もいます。でも、人の生活を考えた時に、肝の部分は医療と教育じゃないですか。でも、その関係者は一人もいない。いくら前衛的な建物が出ても、まちづくりをしたとしても、我々は現場を駆けずり回ったというか、現場の声をずっと2カ月聞いてきた我々からすれば、本当にリアリティがどこまであるのですかと思います。
日常の医療はこのままでは取り戻せない
工藤:なるほど。例えば、津波があってとにかく救わなければならなかった。それが終わって今度は、被災地の人達、お年寄りも多いしね。これから日常的な医療というものが必要になってくると思うのですが、その仕組みというのは今、どうなっているのですか。もう元に戻ったのですか、それとも、まだまだ大変な事態になっているのでしょうか。そのあたりはどうでしょう。
梅村:私の個人的な感想ですけど、地域にもよりますけども、実際、内陸部はほぼ正常通りに動いているところが非常に多いです。ただ、私は、ある会議で申し上げたのですが、じゃあ、完全に元に戻すことがいいのかといったら、これはまたちょっと難しい問題です。高齢社会にマッチした医療というものが、やはりあるわけですね。例えば、日本で在宅医療のネットワークは、なかなか広がらなかった。あるいは、医療の機能分化ですよね。介護なのか医療なのか、ここもなかなか住み分けせずに、正直グレーゾーンのようなものがまだまだ残っています。そういうものをきちんとデザインし直すいい機会ではあると思います。ただ、その時にやっぱり現場の首長さん、例えば、市長さんとか、それからやっぱり、地元の作りたいデザインをまず集めることが大事です。よく今、与党の中でも、ビジョン会議をやるから何か出してくれと言われます。しかし、これはもう上から目線です。やはり、首長さんとか地元の合意をある程度吸い上げる仕組み、これがやはりこれから重要になるのだろうと思います。
工藤:なるほど。上さん、医療現場では、内陸部では正常化しているところがあるのではないかとおっしゃっていたのですが、医療の従事者というのでしょうか、つまり、被災地の色々な人たち一人ひとりに寄り添わないといけないと思いますが、病人の人たちへの供給というか、寄り添うような人たちは間に合っているのですか。
上:間に合っていないですね。例えば、先程話題になった、福島県の南相馬市民病院には、250床のベッドがあるのですが、震災後そこに勤めている常勤の医師は、わずかに4人で、非常勤医師は0人です。色々な形で退職されたりしています。それ以外の民間病院でも、入院をクローズしているのでキャッシュフローが途絶しています。スタッフを雇用するために、病院では毎月1000万円ぐらいが出ていきます。そう遠くない将来に、倒産するのですね。こういう事態は差し迫っています。で、今、避難所にみなさん行かれていて非常にありがたい、すばらしいことだと思うのですが、避難所って日常生活から明らかに隔絶しているのですね。たとえば、福島の浜通り地区でも人口が約10万人いたとして、避難所の方々を多く見積もっても数千です。残りの方々のところに、ある意味キャッシュフローとか日常生活が戻らないといけないのですよ。こういう意味では、まだまったく戻っていません。例えば、病院なら病院の常勤医で行ってもらう人がいる、入院をしなければいけない。常勤が無理だったら、非常勤で週に3回来て欲しい。福島医大さんは医師不足なので足りない。そうすれば、そういう方がどこから行くのがいいのか、そういうことを、メディアを通じて言えば、必ず手を挙げる方は出てくるのです。私たちの仲間、同じ研究医のグループにも伝えると、私が行きましょう、という方が出てきて、今週すでに非常勤になる手続きをしているのですね。やはり、被災者の人達に日常を返さなくてはいけない。避難所の支援というのはあくまで過渡的なものなのですよ。
工藤:そうですね。医療従事者が減って、足りないというのはどういうことなのですか。お医者さんだった人たちや、看護師さんが辞めちゃったということですか。それとも、元々少ないことが今の問題になっているのですか。
上:元々も少ないです。例えば、徳島県なんかと比べると3分の1以下です。徳島市の、例えば、東北沿岸部の3分の1以下なのですが、原発事故に関して言うと、原発事故があって、多くの病院は看護師さん9割方が辞めました。辞めたけど、院長さんは休職扱いにしています。看護師の多くは専門家なので、事態がわかると戻ってきました。非常勤のドクターの場合は、色々な都合があって、例えば、奥さんの意向とか色々あるのでしょうけど、結果的には、ほとんどが出て行きました。みんないろいろな理由がありますよ。結果的には出て行って、現地に残ったのは、ある意味地域の人、地元の開業医さんだとか病院の幹部、ここに骨を埋めるのだという方々が残りました。非常勤の派遣というのは非常に脆いんだなあと。自分の生活や家族がいますから。ですから、今度余震が来たら、次に災害がきた時のライフラインの一番は、地元の医療機関なのです。この人たちが4人とかだと、もうどうにもならなくて、大災害を起こすことになりますので、その仕組みを考えないといけません。
大きく傷ついた被災地の医療提供体制
工藤:なるほど。それは福島ということの特別な状況なのですか。それとも他のところも同じなのですか。
上:他のところも、結局、病院が破壊されて1回クローズしていますから、再開する時に実際に来るかどうかはわからないです。福島のように放射線で破壊されて、物はあるけどクローズしているところ、建物も壊れてクローズしているところ、多分、実態は同じはずなのですね。で、メディアなどは避難所にたくさんドクターが行っている、いっぱいいると報道しています。しかし、いずれ、この人たちはいなくなるのですよ。この人たちは、日常いる人達ではないのです。日常は格段にサイズがダウンしているのです。安全で、災害に強い国にするためには、ここにてこ入れしないといけないのですね。てこ入れとは、人がそこで安全に暮らせるようしないといけないのです。そのための議論というのは、まだほとんどされていないのが実状です。
工藤:今のお話はどうですか。
梅村:そうです。ただでさえ少ない地域ですから。だから、まず出て行かないようにする。それから、もう一度定住してもらうようにする。これが非常に大事なことです。これは、実は医療だけに関わることではないと思います。やっぱり今、被災地、特に医療機関などもそうなのですが、いわゆる残存債務、二重ローン問題というのがあります。ここであんまり避難所の医療のことだけに目を向けていると、元のサイクルに戻っていく、もっと言うと借金を返して、もう一度そこに二重ローンを抱えてでも行くかと言ったら、東北地方の人口を考えると、なかなか難しくなってくる。そういう意味で言えば、二重ローン問題と、それからこれ、個別の話になりますけど診療報酬の問題。やはり、被災地には特例を作るべきなのではないかと思います。そこで、日常のサイクルを戻してあげるということをしないと、いつまでも避難所だ、非常時だ、このことだけに目をとらわれてくると、非常に悲惨なことになるのではないかと思います。
工藤:それから老人への介護の人たちとかね、色々な人たちね。でも、それは診療報酬ベースとか介護報酬ベースでやるとすれば、そういうのを特別な形にして人を呼び込む、ということなのだけど、今はそういう流れになっていないですよね。
梅村:診療報酬改定については、夏ぐらいには議論がありますから、そこまでは債務をどうするかという話をしてあげたらいいのですが、そこから先は、今回の診療報酬改定の議論を本格化していく中で、最重要課題になると私は思いますよ。これは多分、日本の保険制度が始まって以来のことになると思います。
工藤:つまり、これは単なるボランティア的な話ではなくて、仕組みとしてそこにきちんと医療行為をする人たちがちゃんといる、という話にしていかなくてはいけないわけでしょ。
梅村:そうですね、これは、後1年後ぐらいには顕在化してしまうと思います。
被災地の医療救済はまだ現在進行中
工藤:ちょっと話に熱中してしまって時間を忘れてしまったのですが、今の話を聞いて、医療という分野に関してはまだ現在進行中なのだな、と実感しました。やはり、日常に戻るということが、これほど大変なことなのかという感じがしました。ここに関しても、やはり、もっと議論を深めていきたいと思っています。さて、言論スタジオでは、次回は原子力に依存しないエネルギー問題について、それは可能なのか、ということを5月23日にやりたいと思います。また見ていただければと思います。今日はどうもありがとうございました。
一同:ありがとうございました。
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2011年5月18日(水)放送
出演者:
上昌広氏(東京大学医科学研究所特任教授)
梅村聡氏(参議院議員)
司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)
第3話 被災地の日常の医療をどう回復させるか
工藤:では、引き続き議論を続けます。今、休憩中に話をしていたら、何時間でも議論できるほどいっぱいネタがあるという話だったのですが、ちょっと気になったのが入院の問題です。つまり、色々な人達が被災地で病院にかかりたいという時に、なかなかベッドを空けてくれなかったと。規制によって空けられなかったという話を聞いたのですが、どういうことだったんでしょうか。
病床規制に見られた行政の責任回避
梅村:特に福島などは原発問題がありましたから、実際は30km圏までの方々が避難されていました。そこで、県としてはそこにまた入院患者さんが入ると、いざ避難となった時に大変だからということで、とにかくベッドを全部閉じなさい、という指示を出していたわけです。
工藤:閉じるというのは、入れるなということですか。
梅村:そうです。だから、病院は外来だけをやっておけと。ところが、実際問題として、放射線量が下がってきていますから、南相馬市とか相馬市には人が戻ってきています。そうすると、そこで救急医療とかあるいは急性期医療をやっていると、例えば、急性期の脳梗塞とか心筋梗塞とか、あるいは1日だけ様子を見て入院してもらおうという医療が一切できないのですね。そうすると、軽い方でも福島とか郡山まで行かないといけない。だから、私は「せめて10床くらいだったら空けてもいいのではないですか」と。院長さんからも市長からも私の携帯に毎日電話がかかってきて、「とにかく、10床、15床でもいいから空けさせてくれ」と、そういう風に話が来るわけです。ところが、県は「いざとなったら逃げる時に大変だから、5床までにしろ」とか「ここは空けちゃいけない」とか言って回るわけですよ。
工藤:県はどういう判断でそう言うのですか。誰かに言われているわけですか。
梅村:いざという時に、やはり責任があると思うのですね。しかし、今は非常時です。医療側から言えば県に言われたらお上の権化に言われたように萎縮してしまうわけですよね。で、何とかしてくれと。勝手に空けたらどうですかと言ったら、次に県が言ってきた言葉が、一度、会津などに避難させたのでしょう。その患者さんを全員元に戻したら、新たにベッドを空けてもいいですよ。それを戻す方が先でしょう、という言い分をするわけです。確かに、理屈はそうですよ。でも、もうそんなこと言っている場合じゃないと言って院長先生に会津に行ってもらって、すまんけど俺、新しいベッド空けるからなと謝ってもらって、県にこれでいいでしょうと言って、やっと15床くらいベッドが空いたのですね。
工藤:何か、すごいですね。信じられないような話だけど、厚生労働省はその場合どうなのですか。あんまり関係ないのですか。
梅村:厚生労働省の態度がまた難しくて、我々はお勧めしませんけども、禁止もしません。黙認しますと言うのです。黙認と言われたら、県は何か気持ち悪いから規制しようかということになるわけです。
工藤:それはなぜなのですか。
上:当事者ではない人が決めると責任回避になるのですよね。彼らは、そうしても何ら不利益がありません。ところが、この問題は、現地に入ればすぐにわかることなのですね。第1原発が爆発しても、浜通りというのは南北に伸びている地域で南風が吹かないので人口が多い相馬市や南相馬は被爆する可能性がほぼゼロなのです。冬場は南東から北西に吹いています。だから、SPEEDI(スピーディ)みたいに細い線が出てくる。夏場は北東から南西に吹きます。寒流の風が吹くので、やませとか海の方の冷害を巻き起こすのですね。そうすると、人口の多い南相馬や相馬市は、原発が再度爆発してもそこが被爆する可能性はきわめて低いのです。それは科学的な事実であって、そう考えれば、可及的速やかに解除すべきなのですね。解除しなければ、さっき言われたような、毎日たらい回しが起こります。
工藤:病院に入れないから。
上:人口10万の町で、入院できるところが5人や10人だったらそれは無理ですよね。
工藤:そういう人たちは最終的にどこに行っているのですか。
上:最終的に、時間をかけて遠いところに行ったり、病院にかからなかったりしています。
工藤:今もですか。
上:今もです。今も再開する目途がまだ立っていません。南相馬市民病院は5月16日でしたか、入院を5床再開したら、即座にいっぱいになったと。政府はこう言います。「医療を集約化する」と「仙台や福島に運んでいる」と。みなさん一度行かれるといいと思うのですが、福島駅から南相馬まで片側1車線、特に中央分離帯がないような道を2時間弱走ります。そんなところへ病人を運べません。救急ヘリがあるといいますが、救急ヘリは夜と悪天候では飛ばないのです。現地に入ればすぐにわかるようなことが議論されていないのですね。
工藤:なるほど。それは福島だけの話なのですか。他の被災地でもこういう問題があるのですか。
政治も結局は「上から目線」の官の発想のまま
梅村:まあ、私たちの知らないところで数に違いはあれど、県はこういうことを起こしているのだと思います。あるいは、南相馬にある鹿島厚生病院というところは、入院を再開することができました。それはなぜかというと、結局、上先生もそうですけど、我々とマスコミ、読売新聞さんですが、そのことを大々的に書いてくれて、それで県が焦って解除してくれた。これの繰り返しなのですよ。だから、私は政治の「政」ですけども、「民」側について石を投げていたわけです。ただ、私が思ったのは「政」もひとつ穴を開けることによって、やはり周りが間違いに気づく、つまり裸の王様だということを誰かが言ってあげないといけない。今、県も官も裸の王様だと誰も言わないから、とにかく信念に基づいてやっているわけです。政治というのは「民」側について一点突破、全面展開というのでしょうか、そっち側につかないと駄目でしょうし、今の民主党政権、全体的にそういうわけではないですけど、官側に見えるのですよ。見えません?
工藤:見えますよ。だけど、政治主導でその官を抑えるって民主党は言っていたじゃないですか。抑えられないわけですよね。
梅村:形の上では抑えようとしていますよ。こんなことするなとか、事務次官会議廃止だとか言っていますけど、実際の行動が官の思考に入ってしまっているのです。ごめんなさいね、僕は与党なのにこんなこと言ってしまって。
上:官を抑えるとかそういうことではなくて、やっぱり、現場のニーズを拾ってくる。それに合わせてやっておけば、多分、間違いないのですけど、グランドデザインとか復興構想会議とか、丘の上に家を立てるか立てないとか、今の被災地はそんなことどころではないですよ。やはり、市民のニーズを中心に考えていく必要があると思います。
工藤:前回の言論スタジオで、前の岩手県知事の増田さんも、「被災地に行くと中央の議論が非常に遠く感じて、そんなこと言える段階ではない。まずは、みんなの生活をどうするのだという話だけで、そこら辺のニーズに対応していないのではないか」ということをおっしゃっていました。医療でも同じですね。
梅村:そうですよ。例えば、医療と復興構想会議で言えば、復興構想会議の考え方はなんとなくわかります。だけど、あのメンバーを見ると、建築家がいます。知事さんももちろんそうですけど、脚本家の方がいます、宗教家の方もいます。でも、人の生活を考えた時に、肝の部分は医療と教育じゃないですか。でも、その関係者は一人もいない。いくら前衛的な建物が出ても、まちづくりをしたとしても、我々は現場を駆けずり回ったというか、現場の声をずっと2カ月聞いてきた我々からすれば、本当にリアリティがどこまであるのですかと思います。
日常の医療はこのままでは取り戻せない
工藤:なるほど。例えば、津波があってとにかく救わなければならなかった。それが終わって今度は、被災地の人達、お年寄りも多いしね。これから日常的な医療というものが必要になってくると思うのですが、その仕組みというのは今、どうなっているのですか。もう元に戻ったのですか、それとも、まだまだ大変な事態になっているのでしょうか。そのあたりはどうでしょう。
梅村:私の個人的な感想ですけど、地域にもよりますけども、実際、内陸部はほぼ正常通りに動いているところが非常に多いです。ただ、私は、ある会議で申し上げたのですが、じゃあ、完全に元に戻すことがいいのかといったら、これはまたちょっと難しい問題です。高齢社会にマッチした医療というものが、やはりあるわけですね。例えば、日本で在宅医療のネットワークは、なかなか広がらなかった。あるいは、医療の機能分化ですよね。介護なのか医療なのか、ここもなかなか住み分けせずに、正直グレーゾーンのようなものがまだまだ残っています。そういうものをきちんとデザインし直すいい機会ではあると思います。ただ、その時にやっぱり現場の首長さん、例えば、市長さんとか、それからやっぱり、地元の作りたいデザインをまず集めることが大事です。よく今、与党の中でも、ビジョン会議をやるから何か出してくれと言われます。しかし、これはもう上から目線です。やはり、首長さんとか地元の合意をある程度吸い上げる仕組み、これがやはりこれから重要になるのだろうと思います。
工藤:なるほど。上さん、医療現場では、内陸部では正常化しているところがあるのではないかとおっしゃっていたのですが、医療の従事者というのでしょうか、つまり、被災地の色々な人たち一人ひとりに寄り添わないといけないと思いますが、病人の人たちへの供給というか、寄り添うような人たちは間に合っているのですか。
上:間に合っていないですね。例えば、先程話題になった、福島県の南相馬市民病院には、250床のベッドがあるのですが、震災後そこに勤めている常勤の医師は、わずかに4人で、非常勤医師は0人です。色々な形で退職されたりしています。それ以外の民間病院でも、入院をクローズしているのでキャッシュフローが途絶しています。スタッフを雇用するために、病院では毎月1000万円ぐらいが出ていきます。そう遠くない将来に、倒産するのですね。こういう事態は差し迫っています。で、今、避難所にみなさん行かれていて非常にありがたい、すばらしいことだと思うのですが、避難所って日常生活から明らかに隔絶しているのですね。たとえば、福島の浜通り地区でも人口が約10万人いたとして、避難所の方々を多く見積もっても数千です。残りの方々のところに、ある意味キャッシュフローとか日常生活が戻らないといけないのですよ。こういう意味では、まだまったく戻っていません。例えば、病院なら病院の常勤医で行ってもらう人がいる、入院をしなければいけない。常勤が無理だったら、非常勤で週に3回来て欲しい。福島医大さんは医師不足なので足りない。そうすれば、そういう方がどこから行くのがいいのか、そういうことを、メディアを通じて言えば、必ず手を挙げる方は出てくるのです。私たちの仲間、同じ研究医のグループにも伝えると、私が行きましょう、という方が出てきて、今週すでに非常勤になる手続きをしているのですね。やはり、被災者の人達に日常を返さなくてはいけない。避難所の支援というのはあくまで過渡的なものなのですよ。
工藤:そうですね。医療従事者が減って、足りないというのはどういうことなのですか。お医者さんだった人たちや、看護師さんが辞めちゃったということですか。それとも、元々少ないことが今の問題になっているのですか。
上:元々も少ないです。例えば、徳島県なんかと比べると3分の1以下です。徳島市の、例えば、東北沿岸部の3分の1以下なのですが、原発事故に関して言うと、原発事故があって、多くの病院は看護師さん9割方が辞めました。辞めたけど、院長さんは休職扱いにしています。看護師の多くは専門家なので、事態がわかると戻ってきました。非常勤のドクターの場合は、色々な都合があって、例えば、奥さんの意向とか色々あるのでしょうけど、結果的には、ほとんどが出て行きました。みんないろいろな理由がありますよ。結果的には出て行って、現地に残ったのは、ある意味地域の人、地元の開業医さんだとか病院の幹部、ここに骨を埋めるのだという方々が残りました。非常勤の派遣というのは非常に脆いんだなあと。自分の生活や家族がいますから。ですから、今度余震が来たら、次に災害がきた時のライフラインの一番は、地元の医療機関なのです。この人たちが4人とかだと、もうどうにもならなくて、大災害を起こすことになりますので、その仕組みを考えないといけません。
大きく傷ついた被災地の医療提供体制
工藤:なるほど。それは福島ということの特別な状況なのですか。それとも他のところも同じなのですか。
上:他のところも、結局、病院が破壊されて1回クローズしていますから、再開する時に実際に来るかどうかはわからないです。福島のように放射線で破壊されて、物はあるけどクローズしているところ、建物も壊れてクローズしているところ、多分、実態は同じはずなのですね。で、メディアなどは避難所にたくさんドクターが行っている、いっぱいいると報道しています。しかし、いずれ、この人たちはいなくなるのですよ。この人たちは、日常いる人達ではないのです。日常は格段にサイズがダウンしているのです。安全で、災害に強い国にするためには、ここにてこ入れしないといけないのですね。てこ入れとは、人がそこで安全に暮らせるようしないといけないのです。そのための議論というのは、まだほとんどされていないのが実状です。
工藤:今のお話はどうですか。
梅村:そうです。ただでさえ少ない地域ですから。だから、まず出て行かないようにする。それから、もう一度定住してもらうようにする。これが非常に大事なことです。これは、実は医療だけに関わることではないと思います。やっぱり今、被災地、特に医療機関などもそうなのですが、いわゆる残存債務、二重ローン問題というのがあります。ここであんまり避難所の医療のことだけに目を向けていると、元のサイクルに戻っていく、もっと言うと借金を返して、もう一度そこに二重ローンを抱えてでも行くかと言ったら、東北地方の人口を考えると、なかなか難しくなってくる。そういう意味で言えば、二重ローン問題と、それからこれ、個別の話になりますけど診療報酬の問題。やはり、被災地には特例を作るべきなのではないかと思います。そこで、日常のサイクルを戻してあげるということをしないと、いつまでも避難所だ、非常時だ、このことだけに目をとらわれてくると、非常に悲惨なことになるのではないかと思います。
工藤:それから老人への介護の人たちとかね、色々な人たちね。でも、それは診療報酬ベースとか介護報酬ベースでやるとすれば、そういうのを特別な形にして人を呼び込む、ということなのだけど、今はそういう流れになっていないですよね。
梅村:診療報酬改定については、夏ぐらいには議論がありますから、そこまでは債務をどうするかという話をしてあげたらいいのですが、そこから先は、今回の診療報酬改定の議論を本格化していく中で、最重要課題になると私は思いますよ。これは多分、日本の保険制度が始まって以来のことになると思います。
工藤:つまり、これは単なるボランティア的な話ではなくて、仕組みとしてそこにきちんと医療行為をする人たちがちゃんといる、という話にしていかなくてはいけないわけでしょ。
梅村:そうですね、これは、後1年後ぐらいには顕在化してしまうと思います。
被災地の医療救済はまだ現在進行中
工藤:ちょっと話に熱中してしまって時間を忘れてしまったのですが、今の話を聞いて、医療という分野に関してはまだ現在進行中なのだな、と実感しました。やはり、日常に戻るということが、これほど大変なことなのかという感じがしました。ここに関しても、やはり、もっと議論を深めていきたいと思っています。さて、言論スタジオでは、次回は原子力に依存しないエネルギー問題について、それは可能なのか、ということを5月23日にやりたいと思います。また見ていただければと思います。今日はどうもありがとうございました。
一同:ありがとうございました。
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