尖閣諸島問題を契機として日中両国関係の対立が深刻化した背景とそれをどう解決していくべきかについて、日中関係の専門家でこれまで中国の有識者と様々な対話を行ってきた3人が話し合った。
3人共に、領有権の問題の解決は時期尚早であり、軍事的な衝突の回避のための日中双方の合意が必要な段階と判断している。平和解決には理性的、冷静な態度が不可欠であり、合意作りには政府だけではなく民間レベルでの対話の重要性も指摘された。
宮本雄二 宮本アジア研究所代表、前駐中国特命全権大使
京都大学法学部卒業後、外務省入省。アジア局中国課長、軍縮管理・科学審議官(大使)、駐ミャンマー連邦特命全権大使などを経て、2006年より駐中国特命全権大使。11年より現職。
高原明生 東京大学大学院法学政治学研究科教授
東京大学法学部卒業後、英国開発問題研究所博士課程修了。在香港日本国総領事館専門調査員、桜美林大学助教授、立教大学教授などを経て、05年より現職。
秋山昌廣 東京財団理事長、元防衛事務次官
東京大学法学部卒業後、大蔵省に入省。1991年に防衛庁に移り、防衛事務次官などを歴任。12年より現職。
工藤泰志 言論NPO代表(Discuss Japan編集委員長)
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尖閣諸島の「国有化」と対立の背景
工藤:日中関係は9月11日の日本政府による尖閣諸島の購入により悪化し、中国ではこの日本政府の行動に反発が広がっています。日本政府の今回の対応に関してどのように評価していますか。
宮本:まず、様々な面で日本と中国の政府間で意思疎通がスムーズにできていない、ということを感じる。「国有化」という言葉の、中国側の解釈自体にも違和感があるが、日本側の意図を中国側が必ずしも正確に理解していないように思える。だから、日本側の対応について日本側が想像していた以上の反応を示すことになった。中国側にしてみれば、再三にわたって警告をしていたにもかかわらず、日本が「国有化」という措置を取ったことに強い憤りを感じている、という状況にある。これまでの日中関係が悪化した時期と比べても、さらに質的に厳しい状況になってきているので、相当慎重に対応をしていかなければならない。
工藤:これまでは民有地だったものを日本政府が借り上げていましたが、それを民間地権者の事情などもあり、購入しました。つまり、日本政府は国内における所有権の変更に過ぎない、と考えているわけですが、それがここまで大きな対立につながった背景はどこにあるのでしょうか。
宮本:簡単に「国情の違い」ということで結論づけるのは適切ではないかもしれないが、やはり国の事情が大きく異なる。日本の法体系のもとでは個人所有の土地を国有地に移行するということは、あり得ることなので、それが特殊なことであるとは日本人は認識していない。これと「主権」の問題とは全く次元を異にすることは皆わかっている。しかし、土地所有権の概念の異なる中国では、それに対して領有権という「主権」の問題で「日本が新たに大きな措置をとった」と一般的に受け止められてしまう。同じ漢字を使うが、日中ではニュアンスを異にする「国有化」という言葉でそれぞれの国で報じられたこともその原因だと思う。こうした認識のギャップはお互い早急に是正していかなければならない。
高原:中国側にも日本の事情をよく理解している人はいるが、おそらく指導層になると、頭ではそれを理解していても、「これを国民に説明できるのだろうか」と思った可能性がある。これまで国民に詳しい実状を伝えていないので、わかりやすい説明がなかなかできない。ナショナリズムが高まっている現状の下では、強力な政権であれば国民を説得できるかもしれないが、政権移行期の今の弱い中国の政権では説得できない。今回の一連の対応を見ると、現在の中国政府の脆弱性を強く感じる。
秋山:この尖閣諸島問題は結果として不幸な展開になった、と言わざるを得ない。いわゆる、国有化について2点指摘したい。一つは、日本では国が民有地を買い上げる国有財産化のように所有権の移転などは多々あるので、今回のケースも国有化という言葉を特に強調すべきものであるとは思わない。ただ、中国では国有化という言葉がかなり大きな響きを持つことは想像できるので、言葉の意味をお互いに取り違えたことによって非常に残念な結果が生じた。
2つ目は、日本政府が民有地を買い上げた意図は、なるべく「現状を変更したくない」ということにある。日本が国有財産化したのは、むしろ大きな変化をもたらさないようにするためである。石原慎太郎都知事の東京都による購入の動きがあったので、この国有財産化という措置以外に選択肢がなくなってしまった。そうした日本の状況にもかかわらず、日中間の大きな認識のギャップが生じてしまったというのは非常に残念な結果である。
工藤:日本政府はある意味で困っていて、石原都知事の挑発的な行動を押さえなければならなかった。そこで国による購入というかたちになりましたが、それが中国に理解されないとどうしようもありません。これはコミュニケーションのギャップの問題なのか、それとも、そのような説明をしても本質的に中国側の理解を得るのは無理であったのでしょうか。
コミュニケーションギャップと先人の知恵
宮本:この点に関して、 International Crisis GroupというNGOがポリシーレポートを出している。その中で南シナ海の問題の例を取りあげているが、それによると、「外交部が政策決定機関というよりは実施機関になっている」、あるいは、「法執行機関同士が成果をあげることを競い合っている」と書いてある。つまり、中国では内部のコーディネーションがうまくいっていないということであり、それが南シナ海のケースを悪化させているということである。このかなり多くの部分が尖閣諸島問題にも符合しているのではないか、と私は思う。したがって、「果たして我々日本側の説明がどの程度中国の上層部にまで伝わっているのか」、という組織の情報伝達メカニズムが不透明な点も、現場レベルが直面している大きな課題なのではないか。
工藤:逆に日本政府も、中国の上層部に説明をしていくためのチャネルが非常に弱くなってきているということは言えないのですか。
宮本:確かに、かつては竹下登元首相、橋本龍太郎元首相などは高いレベルでコミュニケーションができていたので、その意味では弱くなったと思う。
工藤:この問題に関してはコミュニケーションの問題だけではなく、尖閣諸島の問題の「棚上げ」に関して解釈の食い違いも感じます。この尖閣諸島問題を国交正常化に伴って棚上げすることは、当時の日中両国政府の指導部の一つの知恵であったと思います。外交上で合意されたかは解釈が日中間で異なりますが、この知恵があったことで日本の実効支配という現状は事実上認められていました。そうした状況を大事に考えると、今回の日本政府の対応には丁寧な説明が必要になります。ただ、日本側にはこの段階で「棚上げは合意していない」と主張する人間がいます。そうなると、この現状維持という状況そのものが、両国間においてどのような正当性を持つものだったのか、と疑問になります。
高原:問題は何が棚上げされたのか、である。細かな話になるかもしれないが、日本側の、領有権問題はない、という立場は1972年から一貫している。どうも中国側には、民主党政権が日本の立場を変えたのではないか、という誤解があるようだ。しかし、かつての日本はそのようなことを言う必要がなかった。なぜなら、周恩来や鄧小平が「この問題には触れない、語らないようにしよう」ということで、中国側も日本の実効支配を尊重、容認し、自制してきた。したがって、日本はあえて領土問題、領有権の有無について言う必要もなかった。
しかし、90年代以降にその状況が変化した。まず、92年の領海法の制定の際、尖閣諸島の中国名である釣魚島の名前をそこに書き込んだ。また、最近は船を頻繁に送り込むようになった。そこが2010年や今年の問題の一つの基本的なポイントだと思っている。
工藤:今年7月に開催された「東京-北京フォーラム」が終わった後の朝日新聞主催の宮本前大使と趙啓正政治協商会議外事部主任との対談では、趙氏は「鄧小平など昔の中国人の遺訓は通用しているし、軽くは扱えない」と言っていました。皆さんは、実際は中国の指導層の中でそのような過去の合意はすでに壊れている、という判断ですか、それともまだ棚上げは守られている、という理解ですか。
宮本:今、新しい論調として「日本がそういう前提を認めないのであれば、すべてご破算にしよう」という意見が出てきている。それがどの程度中国の新しい正式な外交政策につながっていくのか、というのはまったくわからない。ただ、現時点における中国では、今のところ新しい決定がなされておらず、まだ前の方針が生きているということなので趙氏の言う通りということになる。しかし、それに対抗する論調が出始めてきている。
秋山:棚上げや約束の有無について様々な議論があるが、現状を見れば確かに棚上げをしていたことになる。高原氏も指摘したように中国側も日本の実効支配をある意味で尊重して、あまり現状変更をしない、という方針だった。そこで、少なくともこの1か月は「日本がアクションを起こして現状変更をした」という意識が中国側で非常に強いのだろう。しかし、今回の問題は、日本が実効支配をしている中、民間所有の土地を日本政府がやむを得ず買い上げた、というただそれだけのことで、最近、現状変更をしようとしてきたのは間違いなく中国の方だと思う。
日本の実効支配、あるいは国際法的にいえば執行管轄権に対して中国が様々なかたちで挑戦をしてきている。中国が現状変更を目指して様々な挑戦をしてきている、という問題点を日本はタイミングよく国際社会へ説明しなければならなかった。
高原:例えば、2008年12月に中国の2隻の船が9時間も領海内で徘徊していた。これを見ると中国側が「手を出さない」という政策を変え、現状を変更しようとしてきたことが明らかである。それに対して、日本側は強い抗議をしている。
経済成長によって中国の国力がついてきて、海上法執行機関の予算も増え、監視船も自然と増えている。2006年には、ある海上法執行機関は東シナ海におけるパトロールを制度化した。中国の台頭に伴って実態の変化が起きている。それが今回の問題の背景にある。
工藤:そうした背景の中で、国が購入する事態になった。その理解を中国に得ることが十分でなかった。その2つが重なって今回の対立につながった、ということですか。
宮本:まさにその通りで、日本国内でこれだけ多くの国民が今回の日本政府の行動に対して支持をして、それに対する中国側の対抗措置にも強い反発を感じている。
それは、これまでの流れがあって、「日本はこれまでずっと押し込まれてきた、それに対して日本政府は適切な措置をとってこなかった」という強い不満が国民の中にあることもその背景にある。他方、中国は「今回は日本の方が現状変更をし、従来の約束に反することをしてきたのだ」ということで、規模、内容ともにこれまで見たことのない、デモを含めた一連の日本への対抗措置をとって圧力を強めているという状況だ。
何度も強調しているようにその中には相互の理解不足ということがある。しかし、我々が注意しなければならないのは、中国国内でこの状況を自分たちの利益のために利用しようという人間が全くいなかったのか、ということである。私はそうは言いきれないと思う。やはり、そのような中国国内の状況も今回の対立に関係していると思う。
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尖閣諸島問題の解決をどう進めるか
工藤:私たちは今日の議論のために、日本の有識者500人を対象にアンケートをとりました。回答者は約200人ですが、尖閣諸島を日本政府が購入し、国有地にしたことを日本の有識者はどう評価したのか、という設問では、「評価できない」が36.8%と最も多かったです。一方で、「評価している」と言う人は22.6%ですが、「評価できないが、やむを得ない」も27.1%あり、「やむを得ない」という消極的な評価も加えると、有識者の約半数が今回の日本政府の措置を支持している、ことになります。
さて、議論を次に移します。つまり、この状況をどのように解決すべきか、ということです。有識者アンケートでもこの問題を聞いています。まず、日本と中国の2国間の協議でこの尖閣問題を解決できると思っているか、ということを聞いています。これに関して、「解決できる」と答えた人は34.2%と3分の1に過ぎなく、「解決できない」と答えた人が59.4%と6割に迫っています。
この領土紛争の最終解決はかなり難しいのではないか、というのが、日本の有識者の大方の考えです。この3分の1の「解決できる」と回答した人に、どうやって解決するのかを聞いたら、「棚上げする」が39.3%と4割近くとなり、様々な努力の末に最終的には「棚上げ」の状態に戻す、の声が最も多い、のも特徴です。
さて、今の尖閣問題の対立を日中間の政府間交渉でどう解決できるのか、について皆さんはどう考えていますか。
宮本:これは対話を通じて物事を処理するしかない。領有権問題に直接触れないことを含め、処理の形態はさまざまなものがあり得ると思うが、それをもって我々は「解決した」ということになる。
領有権の問題そのものの解決をはかるのではなく、今両国が対立状況にあること自体を緩和させる、あるいは2度とこうした対立は起こさない、そういう状況なり仕組みなりを作り出す。私は、それらを作り出すことが「解決」だと考えている。
「解決」には、様々なバリエーションがあり得るが、出発点は平和的に物事を解決することであり、すでに我々はこれを日中平和友好条約でさんざん約束し合っているので、その基本をまず確認してから、解決プロセスに入る。両国政府が早急にやるべきことは、これ以上、相手を刺激するような対応をしないことである。それを合意してから、対話に入る。お互いの国民感情が、今は少し沸騰しすぎているので静かな話し合いをする雰囲気ではなくなっている。これでは、十分な対話ができないと思うので、まず事態を鎮静化させることが急務である。
なお、その中でも優先すべきことは、危機管理である。本当はもうすでに両国間にこの危機管理の枠組みはできていなければならなかったが、まだそれがない状況なので現場で何が起こるか分からない。そこからまず話し合うべきである。
まず必要なのは紛争回避の危機管理
工藤:今、宮本さんのおっしゃったことには私も賛成です。つまり、今回の問題の解決は領土問題本体の解決よりもまず両国で合意すべきことがあります。
この対立がお互いの国民感情を刺激して、大きな武力衝突につながることを避ける、あるいは偶発的な衝突が最悪のケースにならないように現場レベルのホットラインを構築すること、危機管理でお互いが合意する。それをまず初めにやったらどうかという提案です。それは日中平和友好条約の第1条にもあるように平和的な解決をして、武力行使をしないということをもう一回きちんと合意することから始めたらどうか、ということです。
高原:私も全く賛成だが、その時の「武力」とは何なのかという問題も考える必要がある。もちろん自衛隊や海軍は間違いなく武力だ。こういうものは絶対使わないことを確認し合うことが大事である。では、例えば海上保安庁の巡視船のような船が今たくさん中国側から出てきているが、これもある種の力の行使だろうか。そう受け取れると私は思う。
「このような事を続けていつか事故が起きたらどうするのか、船をとにかく出すな」と強く中国側に要求したい。「そういう挑発をまずは止めないと話し合いができない」ということを中国側に厳しく訴えていくべきだと思う。
その点に関しては、少し日本人はおとなしすぎるのではないかと思う。
工藤:これまでも日中の政府間で現場レベルのホットラインの創設などいろいろ話し合いはありましたが、それが進んでいません。
秋山:日中間で海上事故防止、軍事部門同士で危機管理のためのホットラインを作るなど、そういう意味でのクライシスマネジメントについてはやるべき事がたくさんある。ただ、それはこの尖閣に限定された話ではない。
尖閣に限定するのであればお互い、考えなくてはならないことがある。
まず、軍事の問題に関する議論は避けるべきである。日本では軍事の問題を議論すること自体が非常に危険であるという主張が従来にはあった。私はこれまでそういう論調を批判してきたが、尖閣については今、軍事の問題を議論することは非常に危険だと考えている。なぜなら、中国の一部の勢力は軍と軍との衝突を期待しているからだ。これは非常に恐ろしい話でそこに引き込まれないように注意する必要がある。
それから高原氏も、また私も先程述べたように「現状変更を企てているのはどちらか」、ということをもっと日本側ははっきり言うべきである。漁政にしても海監にしてもこれはある意味で国家の力であり、フォースである。それらの船が日本の領海に入ってきて、居座ることは強く非難しなければならない。
宮本:先程、「事態を鎮静化させなければならない」と申し上げたのは、そういう風なことを含めて話し合いをする雰囲気をなかなか現場で感じられないからだ。
これは中国の体質でもあるが、国が大きな方向を打ち出した時にその中であえて流れと違う事をやる、つまり日本側と積極的に話し合いをして、この状況を良い方向に持っていこうという考え方に中国の現場が果たしてなっているのだろうか。これは先程、高原氏がおっしゃった「中国が公船を日本の尖閣の領海の中にどんどん送り込んでくる」ということと併せて、そういうことを中国側に考えてもらう必要がある。日本の国情を理解して中国側も抑制的な対応を取るべきだ。日本側もできる限り中国の世論を刺激しないように配慮することが必要である。
工藤:政府間協議では、そういう問題を話し合う機会もないという状況ですが。
宮本:「なぜ冷却させなければいけないか」という理由を申し上げると、冷却させないと中国外交部が表だって動けないからである。だから、冷却がまず先に来なければならない。
高原:「どうすれば中国のナショナリスティックな感情、情緒を抑えることができるのか」というのは難しい問題である。
だが、冷却のためにはやってはいけないことがあるのは明らかで、日本側で誰かが軽率な発言をしたり行動に出たりして相手をまた刺激してしまうような事は回避しなければならない。これだけは非常にはっきりしている。
政府対話と民間レベルの対話の役割
秋山:危機管理のためのホットラインを作る、あるいは、海上事故防止協定を作るということはまだ完成していない。そういう意味では日中関係は成熟していない。それを早くやらなければならない。中国も最近意識し始めているが、非常に遅い。
その問題とは少し異なるが、日中間で尖閣問題解決に向けた2国間の政府交渉をこれから始められるかといったら現実的に難しい。最終的には2国間で話さなければならないが、日本は「日中間に領土問題はない」と言っているわけだから、とりあえずそれはそういう前提として置いておく。それはそれとして、トラック1.5という形で民間レベルで関係改善に向けた取り組み、話し合いをすることは可能である。
工藤:宮本さん、政府間レベルで協議は難しいとなると、確かに1.5とか民間レベルでの対話を組み合わせながら、対話を進めないと取り返しのつかない状況にならないですか。
宮本:このような状況にも関わらず、日本と中国のチャネルが完全につまっているわけではない。ただ、我々が思うほど開かれていないという状況だから、政府レベルでの対話については引き続き努力していくことが必要であるし、民間の対話も進めていく必要がある。
これは、私も参加している日本のNPO法人、言論NPOの存在意義とも関係するが、私はかねがね「成熟民主主義」の意義について申し上げている。すなわち、これだけ国民の政府の行動に対する監視が強まっているということは、逆に言うと国民社会が政府の決定に責任を持たなければならない、ということでもある。監視の力を持った以上、相応の責任を持たなければいけないという国民社会になった時に大人の外交、広い視野に立った外交ができることになる。そうした国民社会から発信していけば冷却につながり、国際社会から見たときにも日本の方に正義があると映る。だから、細部でいろいろやって国際社会に見せるよりは、国民社会が一歩引いたある意味で大人の対応をしていくことで日本の社会の持っている実力を国際社会に分かってもらう。これは言論NPOの重要な仕事だと思う。
工藤:私も参加する言論NPOの使命に強い示唆をいただき、ありがとうございます。今後も必要なのは単なるナショナリスティックな発言ではなく、冷静に、しかも未来を見据えた議論を始め、それを世界に発信していく、ということですね。
宮本:そういう議論を日本から発信していくということで事態の鎮静化に役立つ。
工藤:アンケートに話を戻させていただくと、「2国間交渉で解決できない」というのが6割ぐらいで最も多かったのですが、その人たちに、では、何をすればよいのかと尋ねると、「国際社会で日本の立場を説明して、国際社会の支持を取り付ける」が45%で最も多く、「より多くの中国との共通利益を重視し、日中両国の関係改善を図る努力をする」が32%、さらに、「軍事衝突を避け平和的解決を目指すための合意を取り付ける」が30%で続いています。
これまで出た皆さんの議論は、有識者のこうした認識と符合しているように思えます。
2国間で領土問題を解決するということは難しいけど、その前にこういうことをまず日中間でやったらどうかという、強い提案なのだと思います。高原先生はどう思いますか。
高原:先程ちょっと言いそびれたが、ナショナリズムの温度を下げるためにもやはり、政治レベルの話と、共同研究あるいは話し合いを切り離すことが必要だと思う。今中国の中には、一つには無茶苦茶な論理というか、自分たちの立場を正当化しようと焦るあまり、大変間違った議論が出てきている。例えば、「日本はポツダム宣言で本州と北海道と四国と九州しか持たなくなったはずではないか。だから、沖縄だって尖閣だって全部自分たちのものだ」という話まで出てきている。あるいは、「日本が戦後秩序を破壊している」など、国際的に通用するはずがない議論をし始めている。
だから、アカデミックな世界でお互いの言っている議論を整理するべきである。日本と中国だけではなく、他に海外の研究者も入った対話の場を設ける。これは有効だと思う。
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領土問題の最終解決をどう進めるか
工藤:2国間の交渉で領土問題は最終的に解決できるか、という問題に話を進めたいのですが、2国間で解決が出来ないのであれば、多国間協議や国際司法裁判所への提訴という問題も残っています。この問題を皆さんはどう考えていますか。
宮本:領有権の問題を正面から取り上げて、これを「自分のものだ、自分のものだ」と議論してもこれは絶対に解決しないと思う。しかし、それではないかたちでこの問題を一旦脇に置く、すなわち、日中の大きな関係に影響を及ぼさないようなメカニズムを作って、この領有権の問題を冷凍保存することは可能である。そういうことに私達はこれから大いに知恵を出さなければならない。
両国政府ともにこれまで維持してきた基本的な立場があるから、これを一挙に変えて、別のやり方を、ということは現実問題として非常に難しいだろう。しかし、そういう風にそれぞれの立場を堅持した形を取りながら、逃げ道や出口を考え出していく。これが実は外交交渉そのものなのだと思う。そういうことをきちんと行う、ということに関して、両国のそれぞれの指導部での了解が取れて、折に触れて政治的な決断をしなければならない局面が来るので、それはその政治指導者が決断を下しながらやっていって最後の折り代を合わせる。ただ、それを今言うのは全く時期尚早である。すなわち、材料がまだ全部テーブルの上に出てない。全部出た後でそれらを混ぜ合わせながら、できあがったものがお互いに国内的にも整合性の取れたものかどうかを仕上げていく作業だから、材料がどれくらいあるかをきちんと知らない中で最後の仕上がりを言うのは非常に難しい。しかし、外交交渉というのはそういうものを経て何らかの合意に達するというものである。
高原:今、中国は国際的に猛烈にアピールしている。いろいろな議論を「あぁでもない、こうでもない」と。我々から見ればさっきも言ったように少し噴飯もののものもあるが、それだけ焦って、一生懸命やってきている。中国には中央宣伝部というそのためのお役所があるから、彼らは「いまこそ自分たちの力を発揮すべき」と言って頑張ってやるわけである。日本としてはもちろん反論を出していくべきであるが、中国は、それほど自らの主張の正しさに自信があるのであれば、国際司法裁判所に訴えればよいのではないか。
工藤:中国は提案できますか。
高原:中国はできるのであればやればいいと思う。日本は竹島についてはこちら側から一方的に訴えたわけだが、本当に自分が正しいと思うのならば「やってみなさい。我々は逃げません」と、日本の政府はそこまではなかなかはっきりと言えないかもしれないけれども、それも一つの道だと思う。
工藤:先日、野田総理が国連総会演説で領土や領海の紛争は「国際法を踏まえて平和的な解決をする」と言っていました。あれは何のことを言っているのですか。
宮本:それは一般論をおっしゃったのだと思う。国際司法裁判所の問題は、領有権問題が存在すると認めない限り、国際司法裁判所に付託されない。日本政府は領土問題の存在を認めていない以上、国際司法裁判所に関してはそれ以上の検討がなされていないという状況だと思う。したがって、そこを念頭において野田総理が発言したとは思わない。
高原:そこまでは考えていないというのが常識的な解釈である。おそらくあの演説で述べていた3番目の叡智、それを彼は法による紛争の解決と言っていたが、それは「ルールに則って平和的な手段により紛争を解決すべきだ」という一般論であろう。
秋山:あの発言は国際司法裁判所の話ではない。要するに尖閣を含む領有権の議論は、「国際法の考え方に基づいて決定すべきだ」、「国際法の考え方に基づけばとても中国の言っていることは通用しない」ということである。
「2国間で解決できるかどうか」という問題もさることながら、中国が統治の正当性の中に愛国主義や反日、領土問題を取り入れるのであれば、この問題は絶対解決しないと思う。ただし、そうでなく、国際司法裁判所を使おうという叡智が中国の政権党の中に出ればこれは可能性があると思う。
高原:中国側も領有権問題があると言えない。外交部発言をよく読むと、「尖閣諸島は争いなく、我々のものだ」と書いてある。しかし、次の段落で「日本は争いがあることを認めないのはけしからん」と言っており、矛盾している。どの国も領有権問題があるとは言わない。
工藤:中国国民は日本が尖閣諸島を実効支配しているという現実を知らないということですか。
秋山:日本が実効支配をしているという事実を知らない国民は多い。
高原:また、不法に日本側が支配していると思っている国民も多い。つまり、「領有権は争いなきことであり、我々の固有のものである」という主張に基づく考えだ。
工藤:国民に対する説明がこうもねじれていて、どういう風にこれを整理すればよいのですか。
宮本:そのねじれのままでは未来永劫解決がないわけで、そこはある段階でお互いに踏み込まなければならない。面白いことに、南沙群島は違うが、西沙群島に関して言えば、中国は「領有権問題は存在しない、しかし、外交上の問題は存在する。したがって、外交上の問題は平和的な話し合いで解決する」、と言っている。最近日本政府もそれに近づいてきている。玄葉光一郎外務大臣も「領有権の問題は存在しない。しかし、外交上の問題はある」と言っている。
しかし、今みたいにお互いの社会が沸騰している中でこの話し合いは難しいという状況にある。
日中関係の関係改善と尖閣諸島問題
工藤:最後の質問は、日中関係についてです。日中関係は尖閣問題の障害だけが目に付いていますが、経済的な結びつきが強く、共通的な利益も大きく、お互いが無視できない存在になっています。日中関係の進展でアジアの展開がどうなっていくのかが決まるくらい、日中関係の役割は大きいような気がしています。こうした日中関係の未来を考えたときに、尖閣問題が解決しなければ日中関係は前に進めないのですか。
高原:日中関係は何も尖閣問題だけでできているわけではない。戦略的互恵関係とは、これは宮本氏がよくおっしゃることだが、戦略的な共通利益、大きな共通利益に基づく互恵関係である。尖閣問題は、40年前から一貫して存在し続けている問題である。いまさら大きくその問題を取りあげ、膨らませて相争う事によって、その他の大事な部分を台無しにしてしまうことはないだろうと、当然ながら日本側はそう思っている。ただ、今のナショナリズムの高揚の下、中国社会で多くの人が感情的になっている状況の中で、そういった理性的な声がなかなか浸透しない。中国政府も非理性的な声に対応せざるをえないという難しい状況にある。ただし、中国の中にもクールで理性的な人たちはいる。ただ、今は声を出せない、彼らもじっと我慢している状況である。この人たちに向けて、我々が理性的な、冷静な態度でアピールし続けていく、心を通わせていくことが非常に重要だと思う。
宮本:間違いなくそういう人たちが中国にも多いが、高原氏が言うようにそれを口に出しにくい状況になっている。私もいろいろなところで申し上げているが、中国はある意味で空気社会である。だから、社会の空気がそういう風になると、それに反することを口に出せない。にもかかわらず、私も時々ネットでの議論を眺めるが、そんなに「日本けしからん、やれやれ」という論調ばかりでない。ネットの世界でも「本当にそんなことをやっていいのか、他にやることがあるのでは」という話も出ている。しばらく前よりも中国社会は確実にそういう方向に進んでいる。大きな利益に着目する努力を怠ってはいけない。
工藤:日本も日中関係で勇ましい発言をする人ばかりでなく、理性的な国民は多いです。私たちが行う有識者のアンケートの結果もかなり理性的な反応です。
実はアンケートで「今回の尖閣問題を契機に日中間で軍事紛争が起こると思いますか」、という事を聞いています。そうしたら57.4%が「起こらないと思う」と答えています。我々は5月頃にも世論調査をしましたが、あの時よりも「起こらない」という人が増えています。
今ここまで紛争が激しくなってきている状況の中でも日中間で「軍事紛争が起こらない」という人が多いのです。
3割は「軍事紛争が起こる」と見ていますが、その人たちにどうやって軍事紛争を避ければよいか、と追加で質問すると、一番目が「両国政府による協議」の26.4%で、「多国間の協議」が18.9%で続いています。先程の「民間のトラック2の対話」も15.1%ありました。また、「多国間政府による協議」もあります。あと「現場レベルでのホットラインをきちんとすべき」も13.2%あった。こうした傾向をどう見ているのですか。
秋山:このアンケートの結果は私の感覚とも合うし、割と常識的だと思う。むしろ中国でこうしたアンケートを行ったら、「日中間の軍事衝突はある」というのがかなり多いと思う。それは日中の違いである。「多国間政府による協議」がわりと多いのは面白い。これは例えば南シナ海の問題を意識して考えているかもしれないが、尖閣も、日本も、米国も、台湾も関係する。もちろん2国間の協議も必要だが、現実的にはやはり多国間協議、それをトラック2などの民間で行うことの常識的な一つの示唆を与えているように感じている。
宮本:今回のケースは、今後の中国の対外姿勢を計る一つのテストケース(試金石)になっていると思う。この問題をどういうかたちで中国側が終結させるのか。それが今後の中国の南シナ海も含めていろいろなところに対する姿勢の流れを作るだろう。自分が強くなったから、その力に頼んで対外政策をやっていくというものになるのか。もっと理性的により大きな利益を念頭に置いてやっていく対外姿勢なのか。その2つの流れの分岐点にあると思う。今回のケースはそれを見極める非常に良い例になると思う。
高原:私もそう思う。だからここで日本が折れてはならない。それは世界のためにもそうだし、中国のためにもそうだ。「それ見ろ、やっぱり力で相手を圧倒すればいいのだ」という風潮、考え方が中国ではびこったとしたら、非常に危険だと思う。日中平和友好条約で合意した反覇権主義、武力ではなく平和的に問題を解決するなどの様々な原則を、今中国に対しても、世界に対しても、日本はしっかり守るとアピールすべきである。
工藤:今回の私たちの議論では、軍事的な衝突にならないような様々な合意が両国間で必要であり、民間側の対話の役割も再確認されました。日本側の説明不足やコミュニケーションのチャネルの不足も指摘されました。こうした議論の方向は、同時に私たちが行った有識者アンケート(約200人回答)と同じであり、今回も平和解決に向けた知恵が問われているように私は感じました。
こうした議論には、理性的で冷静な姿勢が不可欠ですが、中国にも多くのそうした識者が存在していることも私たちは知っています。この政府レベルの閉塞感を壊して、平和解決を進めるためにはそうした理性的な対話が日中間の民間レベルで始まることも、必要な局面だと考えています。
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2012年10月3日(水)収録
出演者:
宮本雄二氏(宮本アジア研究所代表、前駐中国特命全権大使)
高原明生氏(東京大学大学院法学政治学研究科教授)
秋山昌廣氏(海洋政策研究財団会長、元防衛事務次官)
司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)
尖閣諸島問題を契機として日中両国関係の対立が深刻化した背景とそれをどう解決していくべきかについて、日中関係の専門家でこれまで中国の有識者と様々な対話を行ってきた3人が話し合った。
3人共に、領有権の問題の解決は時期尚早であり、軍事的な衝突の回避のための日中双方の合意が必要な段階と判断している。平和解決には理性的、冷静な態度が不可欠であり、合意作りには政府だけではなく民間レベルでの対話の重要性も指摘された。
宮本雄二 宮本アジア研究所代表、前駐中国特命全権大使
京都大学法学部卒業後、外務省入省。アジア局中国課長、軍縮管理・科学審議官(大使)、駐ミャンマー連邦特命全権大使などを経て、2006年より駐中国特命全権大使。11年より現職。
高原明生 東京大学大学院法学政治学研究科教授
東京大学法学部卒業後、英国開発問題研究所博士課程修了。在香港日本国総領事館専門調査員、桜美林大学助教授、立教大学教授などを経て、05年より現職。
秋山昌廣 東京財団理事長、元防衛事務次官
東京大学法学部卒業後、大蔵省に入省。1991年に防衛庁に移り、防衛事務次官などを歴任。12年より現職。
工藤泰志 言論NPO代表(Discuss Japan編集委員長)