震災から半年、被災地に問われている課題は何か ―相馬市の立谷市長に聞く

2011年8月28日

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第一部 被災者の救援とライフラインの確保

工藤:こんにちは。言論NPO代表の工藤泰志です。言論NPOでは3.11の震災から「言論スタジオ」と題して様々な議論を行ってきました。今日は、震災から半年が経って、被災地に問われている現状、課題は何かについて議論したいと思っております。ゲストは、福島県相馬市長として被災地で陣頭指揮を執っている、立谷秀清さんに来て頂きました。立谷市長、よろしくお願いします。

立谷:よろしくお願いします。



工藤:福島県相馬市というと、私も調べたのですが、東京から約300キロ、それから福島原発から相馬市の中心まで約45キロ。あと、津波のあった海岸線に面していまして、人口が約3万8000人という都市ということです。つまり今回の3.11では地震、津波、そしてその後では風評被害という形で追い打ちがかけられた。

立谷:原発と言うことですね。風評というのは4つめですよね。

工藤:その中で、陣頭指揮を執って被災地の救済、市民の救済、市民の生活再建に向けて動かしているのが立谷市長なのですが、この5カ月を一言で言うのは難しいと思うのですが、今どの状況に来ているという風に見ればよろしいでしょうか。


まず孤立者の救出、同時に避難所の開設

立谷:最終的な地域の設計、これは復興とか、地域再生、地域新生という言葉で表現するべきなのでしょうけど、その途上です。我々は短期的に何をすべきか、中期的に何をすべきか、あるいは長期的に何をすべきか、ということを考えてやってきたのですけど、中期的な目標としては、仮設住宅に全員入れるということだったのです。あるいはその仮設住宅でどうやって皆さんに生活してもらうかということなのですけれども、やはり短期的には、被災直後といいますと、今回は津波でしたから、孤立している人がいっぱいいたのです。孤立したというのは、例えば物資が届けられない、通信が思うに任せない、通信は全体的な問題でしたけどね。物資が届けられない、あるいはそこから救出できない、まあ救出できないということと物資が届けられないということはほとんど一緒ですが、微妙に違います。そういう方々が100人ぐらいいらっしゃいました。この方々の救出が一番ですね。それと同時に、避難所を開設しまして、避難所に入っていただいた方は一応助かりました。まあ、次のテーマも出てくるのですけど、とりあえず避難所に入っていただく。避難所には入れない方、入って頂いていない方というのは、孤立しているか、あるいは行方不明になっているか、あるいは死亡したか、ということです。

ですから、避難所に入っていただいた人達と、住民基本台帳を突合していくのです。そうしますと、突合して、そこから外れた人達は、我々としては今まだ問題を抱えているという認識です。その対応に追われたのが、最初の2日間ですね。孤立者がいなくなって、亡くなっているか、行方不明者かどちらかでしょう。孤立者が無くなって、一応考えられる人達はほとんど避難所に収容したか、あるいはご親戚の所に行っているか、それまで2日間ですね。


集落ごとに避難所に入ってもらう

今度は避難所の基本的な体勢を組むわけです。まず、できるだけ集落ごとに避難所に入っていただくということです。それから、次の問題としては、避難所にお預かりした以上は、そこから死者を出さない事が、直後の大きな目標なのです。ですから、その段階では相当、津波によって被災して、流通というか、お店か何かが痛んでいるわけです。ライフラインも痛んでいるわけです。そこで、避難所でスムーズに生活していただくには、どうしたら良いか。これは直後にやったことなのですが、集落ごとにまとまって避難所に入っていただいて、避難所は何せ被災者が多かったですから、市内の公共施設を全部使いました。全部使ってやっとくらいでした。

工藤:何カ所ぐらいでした。

立谷:十数カ所だったと思います。学校から何から全部使いましたから。そうやって避難所に一応落ち着いていただいて、避難所での基本的な生活、これは仮設住宅が出来るまで続くわけです。もう1つは、市内のアパートを次の日にすぐに押さえました。また、旧厚生省関連のが作った雇用促進住宅というのがあったのです。古くて使わなかった住宅をこじ開けまして、そこも若干の手直しをしただけです。そこに5、60世帯だったと思うのですけど入っていただく。それから雇用促進住宅の様な集合住宅で使っていないところに入っていただく。残った方はやはり避難所に。避難所に入った方々のことでは、出口はどうなるのかと言うことを考えるのですね。最終的にはやはり、終の棲家ということになるのですけれども、それまでには2年とか3年かかる話になります。そうしますと、避難所で暮らす期間をできるだけ短くする。具体的には仮設住宅ということです。

ですから、被災した夜に仮設住宅が果たしてどのくらいできるものか。私は次の日が明けたら、仮設住宅の争奪戦になると思っていたのです。ですから夜中の内に。

工藤:被災した当日の夜に次のことを考えていたということですね。

立谷:当然、一晩あるわけですから。皆で無い知恵を絞るわけです。それで全部対応できたのかというと、これをやれば良かったというものが出てくるかもしれませんけど、あの段階では皆無い知恵を絞って、いま何をしなければならないか、いま何を準備しなければならないか。夜が明けたらということを考えながら、一晩過ごしたわけです。やはり早急に手当しなければならないのは、仮設住宅の申込みです。恐らく争奪戦になると思いました。それから、アパートと言いましたけど、市内のアパート、不動産屋さんにお願いして、全部押さえました。まあ、それでも抜けているのがあったのですけど、考えられるものは全部押さえた。ですから、ある程度仮設住宅というか、それぞれの被災者の方に竈を持ってもらうことですね。それを前提として、その間まで避難所で暮らしてもらいましょうということなのです。避難所にどんどん人が入っていくということは当然予想がつきますけど、何人になるかというのは、被災した夜の段階ではわからない。だんだん確定していくことになります。やはり地方自治というのは戸籍の番人です。それが基本です。つまり住民基本台帳と突合して、今、行方不明もしくは死亡している可能性がある人は何人かと。その数をだんだん小さくしていくわけです。ですから、被災した夜考えたのはそういうことだったですね。

工藤:まず避難所に入れて、それから仮設住宅に入って、仮設住宅を出るという全体的な行程のイメージがそのときにもうあるわけですね。

立谷:それは、工藤さんだって同じことを考えるでしょう。
工藤:でも、それ早い、かなり早い。

立谷:誰が考えてもそうなりますよ。だから、その後どうするのということを考えると、そこから戻って、いま何をしなければいけないかということだと思います。

工藤:リスクマネジメントそのものですね。


やはり必要なのは水、給水車を手当てした

立谷:ですから、例えばですね、その段階で一体何が足りないの、その結果どうなるの、というようなことを想像するわけです。ですから、被災した夜ですと、ライフラインが相当壊れていますから、仮に避難所に連れてきても、避難所の水道が止まったらしょうがないわけです。避難所で炊き出ししなくてはいけないのですが、その炊き出しするための水道がとまったら、これもできないです。実際そういう経験をしましたけど、ある業者におにぎりを夜の内に用意してくれと頼んだら、水道が止まっているから駄目だと。市内各所でそういうことがありました。そうすると、今度は給水車が欲しくなるわけです。給水車は相馬市に1台しかありませんから、福島県内の市町村に「給水車を貸してくれ」と電話するわけです。でも、みんな地震で駄目なのです。それで結局、姉妹都市である千葉県の流山市。それから、防災協定を結んでいる静岡県裾野市、それから東京都の稲城市、これは市長さんと友達。この3市から給水車をよこしてもらって、次の日の朝来てくれました。こういうのは、スピードが勝負だということはみんな分かっているのですね。結果として、給水車は全部で4台になりました。あの時のことを今一言で言えといわれても、なかなかできません。色んな事を考えたのですけど、やはり必要なのは水です。被災した人達にとって直近で必要なのは「水」です。後は、医療ということになるのです。今回の津波の被害の特徴は、これは法医学の先生方に色々と聞いたのですけれども、私も死体の検案所に行きましたけど、特徴としては、中等傷の方がいないのです。つまり、助かった方の中に、中等傷・重傷の方がいないのです。亡くなったか、軽傷か、どちらかなのです。というのは、やはりおぼれて溺死されたのではなくて、死因はたいがい圧迫死なのです。つまり、波の圧力です。瓦礫に挟まれて亡くなったような、そういうケースが多いです。従って、医療が、例えば重傷の方がどんどん来たとか、火災なんかだったらそうなりますね。中等傷、例えば出血で循環血液量が足りないとか、点滴しないといけないですね、そういう方よりも怪我をなさっている軽傷の方ですね。ですから、軽微な怪我をなさっているか、亡くなっているか、あるいは何ともないか、なのです。ですから、直近というか、すぐに医療を組み立てなければならないような状態ではなかった。

今回、相馬市内では、ライフラインは壊れましたけど、いわゆる都市機能は保たれました。被災というか、津波をかぶったところに、例えば病院とかですね、医療機関はなかったし、介護業者もいないのです。そっちのほうは波が来ないところで保たれていたのです。ですから、これは大きなポイントになっています。そうしますと、医療はその後から組み立てればよい。そうしますと、被災して避難所に入った方々の避難所に入れ方、集落ごとに出来るだけ纏めたい。仮設住宅ができるまでは、数ヶ月かかるだろうというのは想像がつきます。そうすると、それまでの数ヶ月間の暮らし方ということを考えたら、先ず被災地ごとに小さくてもガバメントをしっかりさせていかなければいけない。そのためには地域コミュニティを使うというのがやはり一番ですから、例えば原釜という地区は中村第一小学校に入って下さとか、そういう大雑把な振り分けるわけです。

反省としては、もう少し厳密にやってもよかったかなと思っていますけれども。ちょっとそこは難しかったかもしれませんけれども。我々で知恵を絞って何とかやったのですけれども。

工藤:これを聞いている人は、市長だけではなくて、職員も含めてきちんとした意思決定のガバナンスが機能していること、そういう形の動きをさせる仕組みになっていることに驚いている、と思います。たった1日ですよね。


なすべきことを1枚紙にまとめ、市職員すべてに周知

立谷:仕組みというか、これはやはり災害対策本部として方向性を統一しないといけない。ですから、被災した夜の朝の3時だったですけど、これからやらなくてはいけないことを1枚の紙にまとめました。その紙に書いてある現場の情報をみんなで共有したのです。対策本部には市の部長クラスが入っていますから、その部長さんが自分の部に持ち帰って課長さんにコピーして渡すのです。課長さんはその課の係長さんですとか、全員に渡すのです。それは自衛隊員にもいったし、消防にもいきました。ですから、1枚のシートで大体その方向性とか、情報とかを共有するという形でやっていました。そういうマニュアルがあったわけではないのですけれども、短期的にはこれをやると、長期的にはこういうことをやる。私が書いて、それを副市長が各課に振り分けるわけです。例えば、夜中にあれくれ、これくれ、と電話していますから物資が入ってくる。副市長が振り分けたのですが、その物資は教育部が担当しなさいと。教育部長が物資の受取を担当しなさいと。ライフラインだったら、水道ということになるし、例えば電気は企画政策部がやりなさいとかね。相馬市の副市長は生え抜きですけど、優秀な副市長で、人間もしっかりしているし、彼が仕事を振り分けるわけです。市長の言うことを聞くかどうかは分からないけど、副市長の言うことは皆聞く。ですから、じゃあこの副市長だったらみんな言うことをきいてくれるのではないかと、それで、一応やることを統一して、会議で機関決定して、勝手なことはしないでくれ、それには全員したがってもらうということです。

工藤:分かりました。ちょっとここで休息を挟みます。今、これまでの取り組みの内容が分かりましたので、それから課題の議論に入って行きたいと思います。

   

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第二部 皆にカマドをもってもらうために頑張る

工藤:では議論を再開します。今、休憩中も話を進めていて、非常に重要な話をしていただいたので、もう一度それを分解して聞こうと思います。市長が休憩中に言っていたのは、課題を抽出して、それを理解し、職員がその課題を行う時には、立ち位置や目的実現に対する意味を理解していないと意味が無い、という話なのですが、それを職員のみなさん、共有していたということですよね。

立谷:そうですね。私がトップですから、トップの責任として判断、場合によっては決心しなければいけないわけですね。それを、こういう時は、下が批判したらやっていけないのですよ。ですから、みんなで議論して決めるのですけど、緊急事態ですから決めたらもう行くしかないのです。その流れの中で、ひょっとしたら間違った選択をしていることもあったかもしれないです。しかし、とにかく間違っても正しくても、決めた通りにいかないと、バラバラになったらたぶん混乱するだけですね。

工藤:なるほど。被災地の避難所から、今度、仮設住宅という話に入っていくのですが、それに移行したのっていつでしたか。

立谷:最終的に完了したのは、6月17日です。


コミュニティを大事にしたのは被災者たちの知恵<

工藤:そうですか。避難所ではコミュニティを大事にして、みんながちゃんと暮らせるような仕組みを整えようということに、非常に腐心されたわけですよね。それを今度は、仮設住宅にも引き継がなければいけない、というアジェンダになるわけですね。その流れはどうだったのでしょうか。

立谷:それは私達がこうしろ、ああしろと言ったことよりも、被災した方々の知恵なのですね。ちょっと感心して見ていました。というのも元の避難所ごとの組織がしっかりしている。

工藤:避難所ごとに自治会みたいなものができたわけですね。

立谷:できているのです。例えば中村第一小学校、これは工藤さんご覧になって下さい。今年の2月にオール木造でつくりました。よかったですね。とってもいいホテルでした。教室ごとに、12、3世帯入ります。中にはペット部屋というのもありまして、ペットと一緒に暮らせるような部屋もあります。余談ですけど、ペットがいるっていいですね。廊下を犬が走り回ったりして。

工藤:心が和みますね。


ある小学校の避難所では12~13世帯入る教室ごとにリーダー

立谷:それはさておき、部屋ごとにリーダーがいるのですよ。牢名主といったら言い方が悪いですけど、12世帯ぐらいの部屋ごとに代表者がいるわけです。中村第一小学校の場合、とってもいい校長がいるのですが、その校長先生が全体の村長なのですよ。で、各教室に入っている代表者集めてきて会議やっているわけです。

工藤:議会ですね。

立谷:例えばね、後で、うんと有り難かったことなのですが、一部屋ね、「この部屋はインフルエンザになった人をいれるのだ」とか、そういうことを決めるわけです。また、支援物質が送られてきますよね。その際に、例えば、お風呂に入った後、肌着が欲しいのですよ。みなさん着のみ着のままで来ていますから。その肌着が届けられたら、それをどうやって分配するか。避難所ごとに、いろいろ支援物資が届けられるのですが、配り方も決める。

工藤:避難所ごとにそれを決定するわけですね。


喧嘩しないで家族になっていることに感激

立谷:避難している方々も、今、自分たちがどういう位置にいるのか、誰だって気になりますよね。ですから最初、避難所にいる方々に私が言ったのは、みんな仲良くして、ここで頑張ってくれと。脱落者を出さんでくれと。脱落者っていうのは病人も入りますよね。それから、いずれ、できるだけ私は頑張って仮設住宅を作るから、みんなに、一世帯に一つの竈を持ってもらう。そうすると、その後どうなるのかという話になるのですけど、それにはなかなか答えることは出来ない。ただ、とりあえず仮設住宅をつくるところまでは全力で走ると。私が避難所の人に言ったことは、とにかく物資は最大限努力して集めると。不自由な思いを出来るだけさせないようにすると。私が一番頑張るのは、はやく仮設住宅作って、みんなに竈持ってもらうことなのだということでした。それに対して、みんな我慢してくれるのですよ。基本的に喧嘩しないという我慢ですね。これはびっくりしました。1つの小学校の12、3世帯の部屋が、家族になっている。これは感激的でしたね。やはり、体育館なんかに大人数でいる人たちもいたのですけど、勝手なことを言わないのですよ。この集団を混乱させたら、自分たちが行くところが無くなるのだということをみんなわかっているのですね。あれは、大したものでした。

工藤:僕は今、中国から帰ってきたばかりなのですが、そういう日本人の市民なり国民の秩序立った行動や連帯感に、世界は感動していましたね。

立谷:私はそう思いますよ。私自身が大変感動しましたからね。損得勘定したら誰でもわかることなのですね。自分たちの小さな集落ですからね。この集落が混乱したら、結局困るのは自分たちだということがよくわかっているのですね。

工藤:それで、市長がおっしゃられたように、一番の悲願というか、何とか実現したかった仮設住宅が、6月17日に完成したわけですか。


仮設住宅入りもコミュニティ維持を重視

立谷:仮設住宅は4月の末からできていました。少しずつ入って、移動完了したのが6月17日です。3月中から着工していますから、4月の末には第1回の入居、鍵の引き渡しをやりました。

工藤:市長が参考人として出席した、参議院の東日本大震災復興特別委員会の議事録を見ていたのですが、結局はコミュニティを維持するような仕組みになったのですか。

立谷:当然です。第1回目の仮設住宅に入れた方々は、小さなコミュニティを集めた、1つのブロックにしました。例えば、この地区から20世帯とか、この地区から10世帯とかね。それで、100世帯ぐらいのブロックが最初にできました。というのは、スピードの問題がありますから100世帯のブロックが全部1つの集落というわけにはいかないのですよ。避難所にいる人の中で、優先して、仮設住宅に入れないといけない人がいる。例えば妊婦さん、授乳中のお母さんがいる世帯、あるいは病人を抱えた世帯、こういう方々は早く入れないといけません。そういった優先入居者でも、バラバラに入れちゃいけないのですね。いわゆる災害弱者の方々も、やっぱり10世帯、20世帯のぐらいの単位にして、コミュニティの励まし合いが必要です。

工藤:仮設住宅にとにかく移って、初期に考えられていたアジェンダ設定は、一応、達成したわけですね。

立谷:それはね、私そんな頭良くないから、震災の当日考えて、仮設住宅は最初100棟ぐらいできるけど、そこをどうやって、どういう方法論で、小さいながらもコミュニティを維持しながら、災害弱者を先に入れるか。そういう方法論を展開するのは職員です。

工藤:なるほど。
立谷:私よりずっと優秀だもの。

工藤:チームワークで見事に実現したわけですね。あと、原発の問題は、当初の方針にどのような歪み、影響をもたらしていったのですか。


優先順位で、原発は冷静に見ていた

立谷:原発の問題というのは3月12日から始まっているのですね。その段階で、もし広島の原爆みたいになるとしたら話は別ですよ。だけど原子炉ですからね。原子炉から発生する放射能の健康障害と、3月12日に我々がやっていたこと、つまり、生きるか死ぬかという人、いわゆる孤立者がいるわけですよ。どうやって登ったかわかりませんが、屋根に登って助かった、屋根の上に人がいるなんて話ありましたから、ヘリコプターで救助していました。そういう、「今」の救出劇をやっているところでは、原発より優先するわけです。原発の爆風が来るとしたら、それはまた別ですよ。だけど、その段階では、原発の事故を、ある程度冷静に見ていました。こっちで救出というとんでもない課題を持っているわけです。ですから、優先順位で言ったら、原発は冷静に見てなくてはいけないということが1つですね。

あとは、病院に線量計があったのです。それで実際に測るわけです。その時は1~2マイクロシーベルトくらいですね。ですから、これは慌てる必要が無いと。その後、積算の話がいろいろ議論されましたが、年間、積算で100ミリシーベルト、それでは多いから20ミリシーベルトにしようと国が決めた。だけど、1年間、それも屋外にいての話です。最悪の場合、屋内に退避していればいいというのが最初の私の考えです。1年間毎日浴びた場合の話であって、それが、1週間とか2週間遅れても、爆風でやられるわけではないから、それよりも、優先する課題があるだろうという風に考えて、冷静に分析していったつもりです。たった1つあった線量計の情報は本当に大きかったですね。

放射能の問題の緊急事態は何なのかと考えるわけです。これは、私も反省しなければならないのですが、SPEEDIの、死の灰が風によって飛んでくることを、あの段階で知識として私は持っていませんでした。ですから、何となくモワーンと来るんだと思ってました。そうすると、45キロ離れた相馬市については、放射能の急性症状はあんまり考えなくてもいいだろうと。

立谷:その数字をどこで判断するかということです。被災直後から、色々な評論家が色々なこと言いました。「大丈夫だ」みたいな意見もあったし、「これはとにかく大変だ」みたいな話もありました。スリーマイルでこうだった、チェルノブイリでこうだった、とにかく色々な話が出てきました。だけどやはり相馬市としては、津波の被災者、約4500人いるのです。その方々のお世話をしながら、ということなのですね。

工藤:避難指示が最終的に政府から出ましてね、南相馬とかも、だんだんいろんな形で移動していくじゃないですか。その状況の中で相馬市はどのように対応したのですか。


もし、屋内退避となったら

立谷:屋内退避という措置が、南相馬の原町区というところに出ました。その次に、南相馬の鹿島区というところがあって、つまり、30キロ圏内の次は40キロ圏内になりましてね、40キロ圏内の次は50キロ圏内になるわけですよ。その時考えたのは、相馬市が屋内退避となった場合は動こうと思っていました。動くというのは、まず、屋内にみんな入ってもらいますね。病院の入院患者は屋内にいれば、線量は10分の1ですね。積算量は1年間浴びた場合です。私が考えたのは、慌てて避難をして、災害弱者がとんでもないことにならないように。だから相馬市が避難するということを考えたら、まず屋内退避になった段階で、まず屋内に退避して、そこから次のことに備える。やらなくちゃいけないことは、災害弱者を適切な医療機関に引き取ってもらうことですね。つまり、災害弱者として考えなければならないのは、在宅の寝たきり老人が47人いました。それから、病院の入院患者。入院患者の場合はまた別なファクターが出てくるのですけど、要するに、医薬品が入ってくるかどうかということがあるのです。医薬品が入ってくること、スタッフがいるということが前提です。

工藤:スタッフも辞めたり、移動しちゃう場合がありますよね。

立谷:相馬でも若干ありましたが、頑張り通しました。その上で、元気な方々を、1週間、2週間かけて避難させる。一番は子供でしょうね。南相馬が屋内退避区域になった時に私が考えたのは、そういうことでした。会議録にも残っています。だけど、あんまり、私は想像がつかなかったのですよ。つまり30キロ圏内の屋内退避地域が、50キロにまで延長されるということは、その段階で想像がつかなかった。ただ、今から考えるに、SPEEDIのあの風の流れが海岸に向かって相馬に来ていたら、その時は、そうなったでしょうね。後々、飯館村がだいぶ経ってからなりましたけど。SPEEDIの実際の考え方に沿って風がこっちに来ていたら、そういうことが起きたでしょうね。

工藤:政府の情報の公開に対して、その意味では注文は無いですか。

立谷:我々は逃げ遅れて健康被害を心配するような、そういう地域ではありません。例えば飯館村とか南相馬市、福島市もそうですけど、相当、住民のみなさんも、首長さんもストレス感じてらっしゃるのですね。そのストレスの中で、比較的冷静に市長さん達は行動していらっしゃると、私は思います。そういう方々と私は状況が違いますからね。私から軽々にあまり申し上げたくないですね。

工藤:わかりました。では、もう一度ここで休憩にします。

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第三部 国や県でもない、基礎自治体が地方政府の覚悟で

工藤:議論を再開します。最後のセッションなので、課題をもうちょっと伺っていきたいと思います。1つはこういう場合の震災の被災地の中で対応するというのが、市町村、一番住民に近いところがかなり機能したという事例になっているのですが、国は一方で復興案をつくるということがあり、県庁という問題がある。基本的にこういう地方分権の本質そのものなのですが、今回の被災に対する取り組みが何かの1つの大きな問題提起をしているような気がするのです。そういう点から見てどうですか。


震災対応は基本的に基礎自治体の責任

立谷:僕は大いにあると思います。大いにあると思いますけど、僕は被災地のまっただ中にいますから、日本のためにこの際、地方分権とか何とかというほど余裕はありません。そのことをひとつ理解していただきたい。ただ、我々は地方政府です。ですから、地方分権とか何とかという意味ではなくて、これは地方政府として、そういう気持ちを持ってやっていかないと駄目です。というのは、孤立している方がいる。その方々を避難所に入れて、避難所をどうやってマネジメントしていくかというようなことは、もう全部我々がやらないといけないのです。国が何かやってくれるとか、県が何かやってくれるとか、待っていられません。ですから、我々の責任でやらなくてはいけない。例えば原発の風評被害で薬が入ってこないので、トラックを用意して我々が取りに行きました。ガソリンが入ってこない。相馬市が、相馬市内のタンクローリー屋さんをキープして、取りに行きました。それは、入ってこないのは、誰が悪いとかいっても仕方がない。悪い奴はいるのですよ、東京電力かもしれないけど、東京電力に文句を言ったって何もならない。どうにもならんのです。ここにガソリンが必要な人達がいるわけです、救急車もガソリンが必要ですから。あるいは食料だって必要なのだし、病院は医薬品が必要なのです。人工透析の薬が無くなったら死んでしまうわけです。ですから、避難させるよりも何よりも、今日、明日に人工透析をやる人、その人たちの健康を我々が責任を持って維持しなくてはいけない。それは国でもない、県でもない、とにかく自分らでやらないといけないのです。

避難民にご飯を食べさせるということを、我々がやらなくてはいけない。水も我々がやらなくてはいけないのです。それを県から届かないという文句を言うこと自体に意味はないです。ですから、あらゆる判断は自分たちの責任で、あるいは物資の調達も自分たちの責任でやるべきなのです。国から県から何かが来るのかといっても、来ないわけです。後から来ましたけど。ですから、一番ありがたかったのは自分の友達の市長に電話をかけて、米を持ってきてくれとか、給水車を持ってきてくれとか、自分の知り合いの医者たちに電話をかけて、手伝いよこしてくれとか、全部我々の責任でやらないといけないわけです。 

今後、地域をつくっていくとか、あるいは地域再生、新生ということについて、やはり相馬市の財政力だけでは無理ですから、国の力、県の力ということになってきます。ですから、そういう大きなビジョンの中で、国とか県とかの力を引っ張り出して、どうやってやらなくてはいけないかという立場が出て行きますけど、やはり震災対応は基本的には基礎自治体の責任です。やはり地方政府だという気持ちを持ってやらないと駄目です。


国や県がボランティアに横やりという話も

工藤:今の話は非常にピンと来たというか、この前この言論スタジオでも、お医者さんたちと議論したのですが、やはりみんな自分なのです。何か、厚労省とか政府とかではなくて、自分の友達に頼んでバスを手配したりするわけです。政治家も行っていましたね、もう個人でやるしかなくなっていると。多分それに近い感じのような気がします。そのときに、みなさんがいっていたのは、国とか、都道府県が何か、逆に邪魔をしていたと言っていました。何か色々なことをやると、色々な文句を言われたと。

立谷:そういうところも若干ありました。
工藤:それはどういうところなのですか。

立谷:ボランティアで来てくれた人がクレーム付けられたみたいなことがありました。飯館村の村長さんから、住民が不安がっているから、詳細な健康診断をやってくれということを頼まれまして、上先生たちにお願いしました。ところが、ボランティアで来た先生に、そういうことをすると地域が混乱するではないかというようなことを、言われたという話がありました。

工藤:それは、勝手にやるなという話ですよね。

立谷:相馬市の場合も、玉野地区というところの健康診断をやりました。ここは相馬市でも飯館村に近いところで、飯館村ほどではないのですが、若干、放射線量が高いところです。そこでは、やはり住民は不安がります。そこの詳細な健康診断をやりました。私も医師として10年ぶりに参加しました。健康診断は数字だけですけど、その際に避難民の話をよく聞くのです。色々な不安に対して1人30分くらい話を聞くというところから始めました。そこに参加してくれたドクターに文句が来たのです。要するに、そういうことをやると、住民の負担が増えるから、そういうことをやるのは適切でないと。私、よく分からなかったですね。希望しない住民はやらなかったのですから。

工藤:一言だけでこの問題に移りたいのだけど、この前国会で市長の発言を見ていたら、地方分権の議論で、国の出先機関を廃止しろという議論があるのだけれど、今回の震災ではそれが役に立ったと。だから、今までの設計の建て方をもう一回考えた方が良いのではないかという話がありました。

立谷:あれは中央政府廃止論でしかないのです。中央政府の縮小論でしかないのです。非常に無責任です。そういうと、話が通ると思って、現場を分からない連中がやるのです。例えば国道の補修だとか、あるいは国道の建設とか、今回道路がいかに大事かということについて、みなさんよく分かったと思いますけど、道路が無かったらみんな死んでいましたから。

工藤:津波も止めましたよね。

立谷:そうです。津波を止めるのと、「くしの歯」作戦というのがなかったら東京に医薬品を取りに行けませんでした。ですから、道路がいかに大事かというのは皆さんよく分かったと思うのですけど、この道路整備は国交相の東北地方整備局というのがやるのですが、こういう所は無駄だから、地方に任せろと。その地方はどこだと思います。

工藤:県ですね。

立谷:そうです。ただ、はっきり言いますけど、県にそんな能力はありません。今回よく分かりました。県にそんな能力ないですよ。県だって食中毒おこして、下痢で脱水になってしまうだけですから。これは、そうやって地方分権だ、地域主権だという方向にいこうと思ったら、大きな間違いです。やはり国のやること、それから我々のような基礎自治体がやることをちゃんと明確にしなくてはいけない。その中間にある県がどういう役割を果たすのかということも明確でなくてはいけない。そこで、県に国の出先を全部押しつけたら、これは機能しません。今回、私はハードの面については、東北地方整備局の局長と2人でずっとやってきました。これは非常に役に立ちました。

工藤:僕たちも現場とか市町村がやはり中心となるべきだと思っています。僕たちは政府や政策の評価をやっているNPOでもあるのです。そういう主張をやっていたので、非常にその発言にピンと来ました。

立谷:だから、地方の出先機関を廃止しろというのは、現場を知らない格好付けだけだと思います。はなはだ無責任だと思います。

工藤:あと、もう1つ、ここは別の問題があるのですけれども、市民の参加の問題です。つまり、今回みたいな相馬市の場合は市長をベースにして非常にビジョンやアジェンダ設定がきちんとしています。そこに全国の支援が入るわけですよね。この融合をどう考えればよいかという問題があったのですが。


行政がテーマを絞って市民参画のNPOづくりに

立谷:市民参画といいますね。市民参画というのを、烏合の衆の参画にしては駄目なのです。テーマを決めてやらないと駄目です。市民参画、例えば、ゴミを少なくしようとか、衛生状態を良くしようとか、これは立派な市民参画です。それから、地域防災の組織をつくって、いざというときの体制をつくっておきましょうというのも立派な市民参画ですが、あまり注目されません。ボランティアみたいな市民参画の方が注目されるけど、ボランティアというのは一歩間違うと烏合の衆なのです。今回で言えば、「炊き出し」。おにぎりの炊き出し、おにぎり握りなどは、市民の力が大きく発揮されました。彼らがいなかったらできませんでしたから、そういう点では市民の力は非常に大きかった。それから、被災直後に市民から、寒かったから毛布などを色々募ったのですけど、そういうところでの市民の気持ちというのは、ありがたかったです。今、市民参画というのはある程度テーマを絞ってやっています。相馬市はこれまで行政でNPOをずいぶんつくってきました。こっちが主導して、できたら市民の人に任せる。その地区のおじさんたちに、NPOをつくってこのことをみんなでやってくれと言うわけです。その方が予算も決断もちゃんとして良いのだと。場合によっては、市の委託も一部お願いするからと。そうしないと、彼らに全部やれと言ったって無理です。ですから、こっちである程度NPOとして認可を受けるまではお手伝いするのです。例えば、全国最大級のパークゴルフ場があるのですが、これはNPOが運営しています。そういうものが相馬市ではいっぱいあります。今回も「はらがま朝市」というNPOをつくりました。これは被災した仲買業者の方々によるものですが、これがとても大きな力を果たしています。今、相馬市が行政支援員として、リヤカー部隊をつくりました。16人のリヤカー引きのおばさんたちを雇って、仮設住宅の一棟一棟の間を声かけながら歩くのです。そうすると買い物弱者対策になるし、孤独死対策にもなります。

工藤:そうですね。コミュニケーションもできますもんね。


被災した子供たちの学力向上を図る

立谷:これはとても良かったなと思っています。彼らが持ってくる食材をどうするのと。この「はらがま朝市」というNPOがバックアップしている。食材だけではなくて、歯ブラシが欲しいから今度持ってきてよと言われたら、えらいですよ、スーパーまで買いに行くのですから。儲けゼロですが、そういうことをしなくてはいけない。仮設住宅の被災者に生活物資を配給する、本当は魚が今捕れないから、魚を食べさせたいとかから始まったのだけれども、どんどんテーマが、需要が出てくるわけです。それにフレキシブルに答えているわけですね。それから、PTSD対策も臨床心理士とか、色々なところから集めて、NPOをつくってやっています。これについては、仕事が増えてきたら、多分市民の力も必要となってくると思います。というのは、今PTSD対策ですけど、これを話すと長くなりますが、被災者の子供たちの支援として、もう1つ考えて行かなくてはいけないのが、学力向上です。その他にも学力向上のために色々なアイデアがあるのですけれども、一番は被災した子供たちの学力をどうやって向上させるかということについては、今、宮城教育大学の学生たちが勉強を教えに来ています。

工藤:これは自発的に来ているのですか、それとも頼んだのですか。

立谷:頼みました。やはり市内のインテリジェンスの高い人達が家庭教師をやってくれるとか、そういう風なことも将来的には視野に入れなくてはいけないなとは思っています。

工藤:今の話は、課題設定とかをきちんと理解した上でボランティアがやってくれないと、機能しないという状況があります。ので、行政がそれを提案している、と。そういう問題はあるのだけれど、将来的な日本の先で見ると、市民がある程度、課題設定を自分でちゃんと自己認識して、協力し合うような状況になる社会がいいと思っているのです。そこまではまだ遠い感じがしますか。率直に言って。


ボランティア活動の継続にはNPO化がいい

立谷:人口3万8000人ですから。そんなに人はいないですね。人がいない割には相馬いっぱいNPOありますよ。それは、そういうボランティア的な活動をしたいという方々に行政としては支援をしたい訳です。例えば公園を管理するNPOなんてあります。そういうところに行政が支援をするに当たって、やはり継続性が問題なのです。継続性を確保するには、NPOが一番いいのです。例えば、集落の独居老人の所に若い老人たちが声かけして歩くというNPOがあるのです。私は相馬に住んでいる限り、孤独死はなくそうと思って、ずっとやってきましたから、それを仮設住宅にその考え方を持って行っているだけなのですけど、そういう声かけNPOがあるのです。この声かけのようなことをしたいという人はたくさんいるのです。

ただ、一人のボランティアが色々なところの老人の集落を毎日回った場合、仮にその人が死んでしまったらどうするのですかという問題が出てくる。だから、そういうことをやるにはやはり継続性が一番大事なのです。継続性を確保するにはやはり集団で、1つの理念をみんなで共有してやるべきなのです。行政も絡まってバックアップするべきだと思うのです。だから、継続性を保てなくなるようなときは、行政の方から色々と、人集めも含めた支援をしないといけないと思います。ですから、公益的なNPOというのは、私はある程度行政と連携してやった方がよいと思うし、その方がリスクが少ないということが言えると思います。

工藤:はい。ありがとうございました。聞きたい論点はかなり話していただいて助かりました。本当は相馬市のビジョンとか、これからのことを聞きたかったのですが、時間がなくなりまして。これからのことについて一言どうぞ。


被災地を公用地化して、ソーラーパネルをしきたい

立谷:みなさん整然と暮らしていらっしゃるし、今、相馬市はある程度落ち着いてはいます。一応、これからのビジョンを持っているのですが、このビジョンが実現するかどうかというのは、国の対応待ちなのです。恐らく他の被災地も、みんな同様のテーマを持ってくるようになると思います。相馬は仮設住宅が早くできたりした分だけ、先を見ようとするところがあります。例えば被災地を公用地化して、どのように利用するのか。ソーラーパネルをしきたいと思っています。だけど、今は個人のものなのです。被災地の買い取りをやって、公用地として使わないと、次にいけないですよ。その枠組みというか、その方程式は未だできていない。それはいずれ作らざるを得ないでしょう。ですから、もうちょっと他の所も備わってきたら、よその市町村にも声をかけて、連携してやりたいと思っています。

工藤:なるほど。今の話僕も、ちょっとこの前、釜石市とかをずっと回ってきたら、同じ話をやはり、土地の問題ですね。されている方が多くいました。僕たちがこの3.11にこの言論スタジオを立ち上げていますので、ずっと継続的に議論をしていきたいと思います。私たちは、3.11のときからも言っていたのですが、復興は被災地主体、つまり地元が主体でやるべきで、僕たちはそれを何かの形でサポートするためにも、色々な形の認識を共有しようというところでこの議論が始まっています。そういう意味で、今日は被災地の現状、課題について、僕たち側で考える点はあったなと思っております。今日は相馬市長に出席していただきました。ありがとうございました。

立谷:ありがとうございました。

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8月26日、福島県相馬市長の立谷秀清氏をお迎えし、被災地にとわれている現状、課題は何かについて議論しました。

2011年8月26(金)収録
出演者:
立谷秀清氏(福島県相馬市長)

司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)


第三部 国や県でもない、基礎自治体が地方政府の覚悟で

工藤:議論を再開します。最後のセッションなので、課題をもうちょっと伺っていきたいと思います。1つはこういう場合の震災の被災地の中で対応するというのが、市町村、一番住民に近いところがかなり機能したという事例になっているのですが、国は一方で復興案をつくるということがあり、県庁という問題がある。基本的にこういう地方分権の本質そのものなのですが、今回の被災に対する取り組みが何かの1つの大きな問題提起をしているような気がするのです。そういう点から見てどうですか。


震災対応は基本的に基礎自治体の責任

立谷:僕は大いにあると思います。大いにあると思いますけど、僕は被災地のまっただ中にいますから、日本のためにこの際、地方分権とか何とかというほど余裕はありません。そのことをひとつ理解していただきたい。ただ、我々は地方政府です。ですから、地方分権とか何とかという意味ではなくて、これは地方政府として、そういう気持ちを持ってやっていかないと駄目です。というのは、孤立している方がいる。その方々を避難所に入れて、避難所をどうやってマネジメントしていくかというようなことは、もう全部我々がやらないといけないのです。国が何かやってくれるとか、県が何かやってくれるとか、待っていられません。ですから、我々の責任でやらなくてはいけない。例えば原発の風評被害で薬が入ってこないので、トラックを用意して我々が取りに行きました。ガソリンが入ってこない。相馬市が、相馬市内のタンクローリー屋さんをキープして、取りに行きました。それは、入ってこないのは、誰が悪いとかいっても仕方がない。悪い奴はいるのですよ、東京電力かもしれないけど、東京電力に文句を言ったって何もならない。どうにもならんのです。ここにガソリンが必要な人達がいるわけです、救急車もガソリンが必要ですから。あるいは食料だって必要なのだし、病院は医薬品が必要なのです。人工透析の薬が無くなったら死んでしまうわけです。ですから、避難させるよりも何よりも、今日、明日に人工透析をやる人、その人たちの健康を我々が責任を持って維持しなくてはいけない。それは国でもない、県でもない、とにかく自分らでやらないといけないのです。

避難民にご飯を食べさせるということを、我々がやらなくてはいけない。水も我々がやらなくてはいけないのです。それを県から届かないという文句を言うこと自体に意味はないです。ですから、あらゆる判断は自分たちの責任で、あるいは物資の調達も自分たちの責任でやるべきなのです。国から県から何かが来るのかといっても、来ないわけです。後から来ましたけど。ですから、一番ありがたかったのは自分の友達の市長に電話をかけて、米を持ってきてくれとか、給水車を持ってきてくれとか、自分の知り合いの医者たちに電話をかけて、手伝いよこしてくれとか、全部我々の責任でやらないといけないわけです。 

今後、地域をつくっていくとか、あるいは地域再生、新生ということについて、やはり相馬市の財政力だけでは無理ですから、国の力、県の力ということになってきます。ですから、そういう大きなビジョンの中で、国とか県とかの力を引っ張り出して、どうやってやらなくてはいけないかという立場が出て行きますけど、やはり震災対応は基本的には基礎自治体の責任です。やはり地方政府だという気持ちを持ってやらないと駄目です。


国や県がボランティアに横やりという話も

工藤:今の話は非常にピンと来たというか、この前この言論スタジオでも、お医者さんたちと議論したのですが、やはりみんな自分なのです。何か、厚労省とか政府とかではなくて、自分の友達に頼んでバスを手配したりするわけです。政治家も行っていましたね、もう個人でやるしかなくなっていると。多分それに近い感じのような気がします。そのときに、みなさんがいっていたのは、国とか、都道府県が何か、逆に邪魔をしていたと言っていました。何か色々なことをやると、色々な文句を言われたと。

立谷:そういうところも若干ありました。
工藤:それはどういうところなのですか。

立谷:ボランティアで来てくれた人がクレーム付けられたみたいなことがありました。飯館村の村長さんから、住民が不安がっているから、詳細な健康診断をやってくれということを頼まれまして、上先生たちにお願いしました。ところが、ボランティアで来た先生に、そういうことをすると地域が混乱するではないかというようなことを、言われたという話がありました。

工藤:それは、勝手にやるなという話ですよね。

立谷:相馬市の場合も、玉野地区というところの健康診断をやりました。ここは相馬市でも飯館村に近いところで、飯館村ほどではないのですが、若干、放射線量が高いところです。そこでは、やはり住民は不安がります。そこの詳細な健康診断をやりました。私も医師として10年ぶりに参加しました。健康診断は数字だけですけど、その際に避難民の話をよく聞くのです。色々な不安に対して1人30分くらい話を聞くというところから始めました。そこに参加してくれたドクターに文句が来たのです。要するに、そういうことをやると、住民の負担が増えるから、そういうことをやるのは適切でないと。私、よく分からなかったですね。希望しない住民はやらなかったのですから。

工藤:一言だけでこの問題に移りたいのだけど、この前国会で市長の発言を見ていたら、地方分権の議論で、国の出先機関を廃止しろという議論があるのだけれど、今回の震災ではそれが役に立ったと。だから、今までの設計の建て方をもう一回考えた方が良いのではないかという話がありました。

立谷:あれは中央政府廃止論でしかないのです。中央政府の縮小論でしかないのです。非常に無責任です。そういうと、話が通ると思って、現場を分からない連中がやるのです。例えば国道の補修だとか、あるいは国道の建設とか、今回道路がいかに大事かということについて、みなさんよく分かったと思いますけど、道路が無かったらみんな死んでいましたから。

工藤:津波も止めましたよね。

立谷:そうです。津波を止めるのと、「くしの歯」作戦というのがなかったら東京に医薬品を取りに行けませんでした。ですから、道路がいかに大事かというのは皆さんよく分かったと思うのですけど、この道路整備は国交相の東北地方整備局というのがやるのですが、こういう所は無駄だから、地方に任せろと。その地方はどこだと思います。

工藤:県ですね。

立谷:そうです。ただ、はっきり言いますけど、県にそんな能力はありません。今回よく分かりました。県にそんな能力ないですよ。県だって食中毒おこして、下痢で脱水になってしまうだけですから。これは、そうやって地方分権だ、地域主権だという方向にいこうと思ったら、大きな間違いです。やはり国のやること、それから我々のような基礎自治体がやることをちゃんと明確にしなくてはいけない。その中間にある県がどういう役割を果たすのかということも明確でなくてはいけない。そこで、県に国の出先を全部押しつけたら、これは機能しません。今回、私はハードの面については、東北地方整備局の局長と2人でずっとやってきました。これは非常に役に立ちました。

工藤:僕たちも現場とか市町村がやはり中心となるべきだと思っています。僕たちは政府や政策の評価をやっているNPOでもあるのです。そういう主張をやっていたので、非常にその発言にピンと来ました。

立谷:だから、地方の出先機関を廃止しろというのは、現場を知らない格好付けだけだと思います。はなはだ無責任だと思います。

工藤:あと、もう1つ、ここは別の問題があるのですけれども、市民の参加の問題です。つまり、今回みたいな相馬市の場合は市長をベースにして非常にビジョンやアジェンダ設定がきちんとしています。そこに全国の支援が入るわけですよね。この融合をどう考えればよいかという問題があったのですが。


行政がテーマを絞って市民参画のNPOづくりに

立谷:市民参画といいますね。市民参画というのを、烏合の衆の参画にしては駄目なのです。テーマを決めてやらないと駄目です。市民参画、例えば、ゴミを少なくしようとか、衛生状態を良くしようとか、これは立派な市民参画です。それから、地域防災の組織をつくって、いざというときの体制をつくっておきましょうというのも立派な市民参画ですが、あまり注目されません。ボランティアみたいな市民参画の方が注目されるけど、ボランティアというのは一歩間違うと烏合の衆なのです。今回で言えば、「炊き出し」。おにぎりの炊き出し、おにぎり握りなどは、市民の力が大きく発揮されました。彼らがいなかったらできませんでしたから、そういう点では市民の力は非常に大きかった。それから、被災直後に市民から、寒かったから毛布などを色々募ったのですけど、そういうところでの市民の気持ちというのは、ありがたかったです。今、市民参画というのはある程度テーマを絞ってやっています。相馬市はこれまで行政でNPOをずいぶんつくってきました。こっちが主導して、できたら市民の人に任せる。その地区のおじさんたちに、NPOをつくってこのことをみんなでやってくれと言うわけです。その方が予算も決断もちゃんとして良いのだと。場合によっては、市の委託も一部お願いするからと。そうしないと、彼らに全部やれと言ったって無理です。ですから、こっちである程度NPOとして認可を受けるまではお手伝いするのです。例えば、全国最大級のパークゴルフ場があるのですが、これはNPOが運営しています。そういうものが相馬市ではいっぱいあります。今回も「はらがま朝市」というNPOをつくりました。これは被災した仲買業者の方々によるものですが、これがとても大きな力を果たしています。今、相馬市が行政支援員として、リヤカー部隊をつくりました。16人のリヤカー引きのおばさんたちを雇って、仮設住宅の一棟一棟の間を声かけながら歩くのです。そうすると買い物弱者対策になるし、孤独死対策にもなります。

工藤:そうですね。コミュニケーションもできますもんね。


被災した子供たちの学力向上を図る

立谷:これはとても良かったなと思っています。彼らが持ってくる食材をどうするのと。この「はらがま朝市」というNPOがバックアップしている。食材だけではなくて、歯ブラシが欲しいから今度持ってきてよと言われたら、えらいですよ、スーパーまで買いに行くのですから。儲けゼロですが、そういうことをしなくてはいけない。仮設住宅の被災者に生活物資を配給する、本当は魚が今捕れないから、魚を食べさせたいとかから始まったのだけれども、どんどんテーマが、需要が出てくるわけです。それにフレキシブルに答えているわけですね。それから、PTSD対策も臨床心理士とか、色々なところから集めて、NPOをつくってやっています。これについては、仕事が増えてきたら、多分市民の力も必要となってくると思います。というのは、今PTSD対策ですけど、これを話すと長くなりますが、被災者の子供たちの支援として、もう1つ考えて行かなくてはいけないのが、学力向上です。その他にも学力向上のために色々なアイデアがあるのですけれども、一番は被災した子供たちの学力をどうやって向上させるかということについては、今、宮城教育大学の学生たちが勉強を教えに来ています。

工藤:これは自発的に来ているのですか、それとも頼んだのですか。

立谷:頼みました。やはり市内のインテリジェンスの高い人達が家庭教師をやってくれるとか、そういう風なことも将来的には視野に入れなくてはいけないなとは思っています。

工藤:今の話は、課題設定とかをきちんと理解した上でボランティアがやってくれないと、機能しないという状況があります。ので、行政がそれを提案している、と。そういう問題はあるのだけれど、将来的な日本の先で見ると、市民がある程度、課題設定を自分でちゃんと自己認識して、協力し合うような状況になる社会がいいと思っているのです。そこまではまだ遠い感じがしますか。率直に言って。


ボランティア活動の継続にはNPO化がいい

立谷:人口3万8000人ですから。そんなに人はいないですね。人がいない割には相馬いっぱいNPOありますよ。それは、そういうボランティア的な活動をしたいという方々に行政としては支援をしたい訳です。例えば公園を管理するNPOなんてあります。そういうところに行政が支援をするに当たって、やはり継続性が問題なのです。継続性を確保するには、NPOが一番いいのです。例えば、集落の独居老人の所に若い老人たちが声かけして歩くというNPOがあるのです。私は相馬に住んでいる限り、孤独死はなくそうと思って、ずっとやってきましたから、それを仮設住宅にその考え方を持って行っているだけなのですけど、そういう声かけNPOがあるのです。この声かけのようなことをしたいという人はたくさんいるのです。

ただ、一人のボランティアが色々なところの老人の集落を毎日回った場合、仮にその人が死んでしまったらどうするのですかという問題が出てくる。だから、そういうことをやるにはやはり継続性が一番大事なのです。継続性を確保するにはやはり集団で、1つの理念をみんなで共有してやるべきなのです。行政も絡まってバックアップするべきだと思うのです。だから、継続性を保てなくなるようなときは、行政の方から色々と、人集めも含めた支援をしないといけないと思います。ですから、公益的なNPOというのは、私はある程度行政と連携してやった方がよいと思うし、その方がリスクが少ないということが言えると思います。

工藤:はい。ありがとうございました。聞きたい論点はかなり話していただいて助かりました。本当は相馬市のビジョンとか、これからのことを聞きたかったのですが、時間がなくなりまして。これからのことについて一言どうぞ。


被災地を公用地化して、ソーラーパネルをしきたい

立谷:みなさん整然と暮らしていらっしゃるし、今、相馬市はある程度落ち着いてはいます。一応、これからのビジョンを持っているのですが、このビジョンが実現するかどうかというのは、国の対応待ちなのです。恐らく他の被災地も、みんな同様のテーマを持ってくるようになると思います。相馬は仮設住宅が早くできたりした分だけ、先を見ようとするところがあります。例えば被災地を公用地化して、どのように利用するのか。ソーラーパネルをしきたいと思っています。だけど、今は個人のものなのです。被災地の買い取りをやって、公用地として使わないと、次にいけないですよ。その枠組みというか、その方程式は未だできていない。それはいずれ作らざるを得ないでしょう。ですから、もうちょっと他の所も備わってきたら、よその市町村にも声をかけて、連携してやりたいと思っています。

工藤:なるほど。今の話僕も、ちょっとこの前、釜石市とかをずっと回ってきたら、同じ話をやはり、土地の問題ですね。されている方が多くいました。僕たちがこの3.11にこの言論スタジオを立ち上げていますので、ずっと継続的に議論をしていきたいと思います。私たちは、3.11のときからも言っていたのですが、復興は被災地主体、つまり地元が主体でやるべきで、僕たちはそれを何かの形でサポートするためにも、色々な形の認識を共有しようというところでこの議論が始まっています。そういう意味で、今日は被災地の現状、課題について、僕たち側で考える点はあったなと思っております。今日は相馬市長に出席していただきました。ありがとうございました。

立谷:ありがとうございました。

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8月26日、福島県相馬市長の立谷秀清氏をお迎えし、被災地にとわれている現状、課題は何かについて議論しました。

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