大震災から宮古市はどう再生するか ― 山本市長に聞く

2011年11月30日

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第1部:宮古市の復旧はどこまで進んだか

工藤:今日は宮古市の市長の山本正徳様にお越しいただきました。本日で震災から8カ月になりますが、今、宮古市の復旧の状況はどうなっているのか、まずお話いただけますか。

山本:被災者の生活は、仮設住宅などに入って徐々に安定してきています。そして産業の再生の方も6割~7割は戻っています。

工藤:そんなに戻ってきているのですね。

山本:宮古市はそうです。ただ、被災地全体を見れば50%しか戻っていないと思っています。これを早急に進めていかないといけないのが今の課題です。
あとは瓦礫の処理が非常に大きな課題です。

工藤:この前、東京都が瓦礫の処理を引き受けると申し出ましたが。

山本:ええ、東京都が先例を作ってくれたので、今、広域での処理を検討している自治体が多くなっています。

工藤:避難された方は、今はほとんど仮設住宅に入ったという状況なのですね。

山本:ええ。避難所はすべて閉鎖しましたので、仮設住宅あるいはみなし仮設住宅、これは公営や民営のアパートですが、被災者は皆さんこちらに入りました。そういう意味では住むところは確保しました。

工藤:そうですか。それは単なる仮設ではなく、ある程度常設的な住まいでもあるのですか。

山本:まあ、市営や民営のアパートは長く住もうと思えば住めますが、あとはどこまで国が家賃代を負担するのかが問題です。

工藤:瓦礫の処理はどのような段階にきているのでしょうか。

山本:瓦礫を仮に置く場所、一時処理ですが、そこに8割くらいの瓦礫を収めた状況です。まだ解体していない建物も若干残っていますが、ほとんど処理が進んでいます。それで今、分別をしている段階です。それを地元で処理できる分と、処理の許容量を超えており広域にお願いしなければいけない部分に分けている段階です。

工藤:それはどのくらいの時間がかかると想定されていますか。

山本:地元だけでやるのであれば10年以上かかりますね。10年とか100年かかるのではないかと言われるくらい、被災地だけでは処理能力が無いので、広域でやらない限りなかなか難しいのです。

工藤:そして、今、雇用・産業の再生という段階に入ってきているのですね。産業は6、7割くらいは戻っているとのことでしたが、宮古市の場合は漁業が中心ですね。

山本:漁業というよりは、漁業を中心とした製造業や商業です。それから物流の部分がまだ再建されていません。あの地域は経済的に弱い地域で、資本も無いような状況です。自力では再建できない現状です。そこの部分に資金投入があれば、再建してくると思います。


3段階で実現をめざす「宮古市復興計画」

工藤:産業の面は、復興計画を見せていただきましたが、これにはどういう手順でやっていくかという方法論が書かれていました。私がお聞きしたいのは、この「宮古市東日本大震災復興計画」という資料で「復旧期」、「再生期」、「発展期」と3つの時期に分けていますが、どれくらいでそれぞれのステージに持っていくことを考えているのか、それにどのくらいのお金がかかるか、それを、政府が出している第3次補正予算やそのほかの動きがどこまでカバーできているのか、ご説明いただけますか。

山本:まず、経済が今マイナスの状況なのでそれを限りなくゼロに近づけるというのが「復旧期」です。今それを必死にやっている状況です。ですから3年以内にゼロにしようとしています。

それから先の部分については、自分たちの努力も要りますが、6次産業化とよく言いますが、新しい形に持っていかないといけない。これから先、災害等が起こったときに、また同じようなことになります。ですので、これを契機に今よりももっとステップアップしたような産業形態を作っていかないとならないと思っています。

工藤:するとまず経済はマイナスをゼロにすることに取り組んでいくわけですね。それにはどれくらいのお金がかかるのでしょうか。また、今度の第3次補正予算でカバーされている状況なのでしょうか。

山本:第3次の補正予算をあてにしているというか期待している面はあります。要するにお金が無ければ絶対にマイナスの経済は上向きません。また、二重ローンの問題もまだまだあります。それをカバーしてゼロにもってくるのに、3年程度かかるのではないかと見ています。

工藤:第3次補正予算案の中身は公表されていますよね。この段階ではまだ案ですが、これで問題ないのでしょうか。


実施が遅れれば、コストが高くなる

山本:たぶんあの程度の規模で大丈夫かとは思います。ただ、先になればなるほど、コストが高くなるのです。今の時点で投入すればある程度の額で済みますが、これが3カ月後、半年後になりますと、やはり1.5倍のコストがかかる可能性があります。

工藤:ありますね。急がないといけない。
山本:逆に言えば、金額の問題もありますが、時間との勝負という部分もあります。

工藤:第3次補正の場合、宮古市としてこの政策が非常に機能するとか、これで何とか経済をマイナスからゼロに引き上げることが出来るとか、というのはありますか。

山本:グループ補助金の問題ですね。
工藤:それは何でしょうか。

山本:国と県で4分の3を補助するという制度です。個人に国がお金を出すわけには行かないので、そこでグループを作っていただいて、そのグループにお金を投入していく、と。要するに共同体みたいなところに資金援助をするものです。

工藤:共同体というのは、宮古市の中に。

山本:市の中にいろんな仕事をしているところがあります。製造業があって、商業があって、物流の運送業があったりします。そういうものが1つのグループを作って、この一体となった産業形態の中に補助をして、それらを同時に再建させていくということです。

工藤:なるほど。そのグループの人たちは1つのプランニングを作らないと資金援助してもらえないですよね。

山本:そうです。それで宮古市のほうでは、産業支援センターというところのコーディーネーターがそれらを結びつけて、有機的にこれからもこのつながりの中でやっていけるようなグループを作って、そこに資金投入させるという形を作っています。

工藤:それは効果が見込めますか。

山本:ところが、これが第1次補正のときに、あまりにも要望が多くて補助の額が足りなくなってしまいました。それでなるだけ多くの人にやらせたいということで、県では一律3分の1にカットしたのです。その結果、今は4分の3の補助が4分の1の補助になっています。

それで今度、3次補正の中で、足りない部分のところもカバーするような補助のメニューが入っていますので、それがきちんと手当てされれば産業再建は出来ると思います。
ただし、問題は時間です。4分の3を補助すれば何とかなるところを4分の1しか補助されていませんので、長引けば長引くほど、ダウンした経済が本当に戻るのか、これは難しいところです。

工藤:なるほど。インフラの面はどうなのですか。ほぼ計画があって元に戻れるような姿が描けていますか。


インフラは震災前に戻すだけでは機能しない

山本:元々インフラ整備は進んでいない地域です。震災前の段階に戻しても、結局、街全体が機能しないのです。このため、もう一度インフラ整備について考え直さないといけない。津波の対策も含めて。例えば防波堤の整備も、道路にしても、あるいは都市計画にしても、これらをもう一度見直して作り直すことをしないとなかなか進まないのです。

工藤:それに関しては今どのように進んでいるのですか。かなり重要な問題ですよね。

山本:道路に関しては三陸縦貫道、三陸北縦貫道、それから横軸の宮古盛岡横断道路という、大きな道路は国がやるように、第3次補正の中にも調査費を入れていますので、これは進むと思います。

工藤:国が進めていくのですね。

山本:宮古盛岡横断道路は3桁国道(二級国道)ですので、国道でありながら県管理なのです。県が本当は整備しなければならない国道なのですが、それを直轄権限代行で国が直接整備するとはなってきています。ただやはり10年間の間に整備するので...、

工藤:それは10年間で整備となっているのですか?

山本:10年以内にと、国交省のほうで言っていますが、しかし途中で何かあった場合にきちんとできるのかまだ不透明な部分があります。

工藤:これは安全とか安心の段階から、インフラをもう一回見直すとのことでしたが、これにはプランニングはあるのですか。例えば防潮堤についてなど。

山本:プランニングはあります。防潮堤の部分は、国や県が考えているのと市町村が考えているもののマッチングが出来ている部分と、まだ議論している部分があります。

工藤:そうですか。最終的には市町村と国・県がどうすり合わせればプランニングは完成するのですか。


多重防災の街づくりに

山本:今までは、防波堤をつくれば防波堤でもって防災は完璧だという考え方でしたが、今回、防波堤を津波が軽々と超えて襲ってきました。それで防波堤だけでは駄目なので、多重防災ということで、防波堤プラスかさ上げするとか、防波堤のほかに国道を高くするとか、鉄道を高くするとかして、2重にも3重にも波を弱めるようなことをする。それから避難道路等も含めて、ソフトの面の対策もとる、と。こういった街づくりをすることが決まっています。
ただし、やはり前提となるのは、防波堤をどこに、どのくらいの高さでつくるのか、それから水門を作るのか、川に津波を少しあげてやるのか、いろんな方法をきちんと決定しないと次が決まらないのです。

工藤:それはいつ、誰が決めるのですか。

山本:それは国、県、市町村で決めます。それが今提示されてきていますが、まだ一部、自治体のほうとして受け入れる部分と受け入れられない部分のすりあわせが出来ていません。

工藤:すると、インフラについてはいろいろ動く意思はあるけど、まだ調整局面なのですね。具体的にプランが決まって動いていく段階にはきていない、と。


復興計画には住民も参加

山本:そうです。今、復興計画は基本的なものは決まり、多重防災型で新しい街づくりをしていきましょう、と。しかし具体策は、今、推進計画を宮古市の場合は来年の3月までにつくりましょうと言っています。その推進計画の中に防潮堤をどうするのか、道路はどうするのか、それから都市計画や区画整備等もどのようにするのか、どこの場所にやるのかを議論しています。なにせ33カ所の被災地域がありますので、そこの住民と1つ1つ街づくりの形を話し合って作っていきます。

行政が一方的につくりますと、自分たちはそんな街なら住まない、となります。ですから、自分たちで考え、自分たちでつくっていくのだ、というものが無いと駄目なのです。

工藤:今の話を本当は一番聞きたかったのです。つまり、これは基本的な考え方は決まり、実際のプランニングは市民を含めて考えていくということですね。

山本:この復興計画も市民に参加してもらってつくったのですが。

工藤:これからはどういう風な形で、地域で議論を始めるのですか。

山本:もう始めています。33の地域の中で、高台に移転しなければならない、住居の面では移転する以外に方法は無いところは、33の中で23カ所あります。あとの10カ所は、どのような街づくりをするかによってそこの街の形態が変わってきます。そういった話を、今そこの地区の代表の方々と市が話し合いをしています。それで話し合いが出来た段階で、今度はそこの地区民の方に「こういう案でどうでしょうか」ということで意見を聞きます。そこで揉まれて、パブリック・コメントが入ります。そしてその中で、3月を目処にしますので、その前の2月ごろになったら私に案を出していただきます。それで最終的に市のほうでOKを出します。

工藤:市が認めれば今度はどうなるのですか。

山本:そうすればその計画通りに進めていくことになります。市が決めれば、県や国とは関係なく進めていきます。その間に、市は「こういう場合にはこう」という風に、結局ここまでしか国の制度の中にはないとか、逆にこれは問題ないとかいう話を全部住民に伝えながらその話し合いをしていきます。

工藤:なるほど。そこで県が横槍を入れてくるとかという話ではないのですね。


国、県とよく相談して

山本:そんなことはないです。ただ、今の法律の中では、こういうことは出来る、出来ないはあります。それが今までは地震しか見ていません。津波防災の観点では見ていないのです。だから、復興庁なり復興特区をつくって、その合わない法律を変えるのも良いですし、とにかく柔軟に対処することが出来るようにすべきです。あとは財源の問題がありますから、この問題は国や県とよく相談しながら進めないといけないのです。自分たちだけやろうと思っても、やれるだけのお金があればいいですが、難しいです。出来ないのであれば、そこは話し合いになります。例えば、3兆円ならいいけど5兆円は駄目だとかいう話になれば、計画の中でどこまで妥協できるのかを考え、それによって街づくりが変わってくるかもしれません。その辺は少し国や県と話し合いながら進めないといけない。

工藤:いろんな法制度に対して、この非常時で上乗せしたりとか、変えるべきだとか皆さんそういう意思なのですか。今回、復興特区という役割になるのでしょうけど。

山本:そうなのだと思います。いろんな特区がありますが、法律で制限されている部分は結構多いのです。例えば、高台に移転するにしても、移転した土地は市の土地ということで、借りて家を建てることになるので、自分のものにならないなどの意見もあります。そういう本当に首をかしげるような例もあります。

それから浸水した区域を買い上げるとか、やはり集団で移転しない限りその法律は使えないとか。10戸以上移転しないと使えないことになっていましたので、それを5戸まで下げてきていますが、他にもいろんな制限がかかっています。その辺も考えながらやっていかないといけない。
1つは法律をどうするか。また法律が現実と合っていない部分をどうするか。あるいは法律が3つ、4つある中でどれを使うかを考えながら、住民にも提示しながらやっていかないといけないのです。

工藤:高台に移転するというのが結構あったようですが、高台移転の場合、僕たちはイメージが出来ないのですが、どういう風に移転することが可能なのですか。


高台への移転と住宅資金の問題

山本:高台移転の場合は、高台の部分に造成してそこに団地をつくるのです。団地を作って、浸水した地域の方々に移り住んでもらうという形になると思います、

工藤:すると費用は自治体側が負担するのですね。

山本:大体は自治体がその造成するのですが、これにはいろんな手法があるのです。例えば、民間がつくったところを買い上げるという方法もあるでしょう。それは今後具体化するでしょう。

工藤:移転する人はどうするのですか、そこを所有するのですか、それとも賃貸ですか。

山本:そこは今の法律の中ではそこは借地になるのです。借地の上に自分たちで家を建てるのです。

工藤:家を建てる際の資金はどうしますか。

山本:それは自分たちで出します。ただ、浸水した地域の土地を買い上げてくれという話が出てきます。その土地を持っていても結局はまた津波がくるようなところには住めないのです。しかしそれは時価で買い上げるようなことになれば、今の時点ではかなり時価は下がっています。3割くらいの値段にしかなりませんので、資金不足に陥る可能性もあります。

例えば自分が移転する場合に家を建てるお金がネックになります。それでどうしても建てられないような人の場合は、災害対策の住宅をつくるとか、アパートを作るとか、そういうこともしていかないといけないと思います。

工藤:まず移らないといけない人はそのものにローンがある場合もありますよね。売れないとお金が無いし、それでまたお金を借りないといけないという絶望的な人もいるのではないですか。

山本:中にはいると思います。それを1人ひとりピックアップしてサポートしていかないといけないと思います。

工藤:ですよね。行政の住宅があってそこに引っ越すだけでもいいのですよね。いろんなメニューはあると。
では今のところは何か決定的に問題があるのではなく、なんとなく動きそうな感じですか。

山本:あとは話し合いがどう進むかですね。「これであれば納得するが、これは納得できない」というのは必ず話し合いの中に出てきます。ですから、その割合がどのくらいなのかというのがあります。

それからニーズを全部つかんでいかないといけないので、その作業がかかります。しかし結構時間があるようでないのです。だから11、12、1、2月の4カ月の中で街づくりをしていかないといけない。

工藤:確かにもう時間が無いですよね。冬になれば雪だらけになりますし。

山本:今、その問題もあります。仮設住宅が寒冷地仕様ではないということで、これも様子を見ないといけません。今その対策を打っていますが。

工藤:つまり国の復興・復旧についての推進はかなり時間がかかりすぎていますね。もっと前にやることは出来たはずでしたよね。

山本:できました。お金さえあれば出来ますので。

  

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第2部:宮古市の街づくりと将来をどう描くか

産業再生への道筋は

工藤:話は変わって、宮古市の産業の立て直しについては、どういう風なイメージを持っていますか。

山本:雇用・産業は、街づくりのなかでどのように位置づけるかによって変わってくると思います。震災前でも、私の公約の中に産業振興、教育振興を挙げていました。元々産業が弱いところなので、6次産業化を図る、要するにいろんな産業を結びつけてまた新しい産業を、あるいはそれらを有機的に結びつけることによって力が2倍、3倍になるようなことをやろうと準備していたところに震災が来ました。ですが、基本的にこの考え方を基に進めていきます。

まず、マイナスの経済をゼロにして、まず前の状況に戻して、その上に積み重ねないと。一気にマイナス10の経済からプラス10にするのはなかなか難しい。2倍のエネルギーが要りますので。

工藤:そうですね。ただマイナスをゼロにするには...。確かに復興の動きに関して雇用が発生する部分は確かにありますよね。

山本:そうです。街づくりをしていく中で、当然いろんな仕事が出てきますから、それに対しての雇用の場は出てくると思います。

工藤:ただそれは市長が考えている本来的な産業の再生とは違いますよね。

山本:違います。ですから、復旧に関しては、被災者の生活を元に戻す暮らしの再建と産業の復興とを同時に進めています。片方ばかり進めてもいけない。両方が車の両輪ですので、経済活動が伴わなければいけない。福祉とか何とか言っても、お金が無いと何もできない。ですから今、並行してやっています。これで、生活が安定してきて、産業も戻ってきて、雇用も6、7割戻ってきます。それで今後は、こっちの復興計画の中にある、暮らしと生活再建、産業経済の復興、安全地域づくりの3つの柱をすべて同時に進めていきます。

工藤:今、市民の方はどのような意識ですか。「何が何でも復興する!」という勢いなのですか。あと全国からの支援もあったと思いますが、今はどのような状況ですか。


被災者が自ら働き、稼ぐ日常に早く戻さないといけない

山本:2つに分かれまして、前を向いて一生懸命やっている人たちと、それから市の方向性を見定めている人たちがいます。今、かなり全国から物やお金が集まってきていますので、自分で働いて、自分でお金を稼いで、物を買って生活するということからかけ離れている人たちがいるのも事実です。その状況がずっと続くのはあまり良いことではありません。自立をしていただかないと、次にいろんなことをするときのパワーが出ません。そこは難しい面があります。

今でも食料やいろんなものを持って現地に入ってくる人がいます。炊き出しに来るボランティアもいます。それは確かに嬉しいことですが、市としては被災者に自立を促すようにしています。義援金や入ってきた物を使いながら自分で生活をするため、そのために仮設住宅の周りに商店を並べたりしています。そういうところで買い物が出来るようにして、買って自分たちで消費するという日常を取り戻さないといけない。要するに、与えられた生活ばかりではあまりいい状況ではないですね。

工藤:ということは支援側のステージも変わってきたということですね。支援側に求められるものも変わってきていると。

山本:そうですね。例えば、冬になりますが、ストーブが無いので、ストーブを支援していただくというのは仕方ないです。このように最低限のセーフティネットをしっかり張りますが、それ以上のものは、分たちでやるようにしないといけません。ですから仕事をどんどん増やしています。しかし、求人があるのですが、ミスマッチしています。そういうところには就職したくない、などミスマッチがあります。

工藤:地元に求人があるわけですね。ほかの県に行ってくれ、というわけではなく。

山本:ええ、違います。いろんなところで、今まで募集が3から5人だったところを、10人に増やしてくれたりするなど、そういう支援をしてくれる会社もあります。

工藤:でも、そこの会社では働こうとしないのですか。

山本:なかなか働きません。緊急雇用対策として、一時的なものですが、働く場所がなかなか無い方々に対する求人が行われましたが、あまり応募が無い。働かなくても支援してもらえて生活できるからです。

工藤:それはある意味、短期的ですよね。

山本:でもまだ支援をもらい続けている段階にいる方もいます。早く自立をしてもらうためには...、

工藤:マインドを変えないといけないですよね。
山本:そうです。変えないといけません、おっしゃるとおりです。

工藤:それはさっきの復興とか街づくりとかのように、「私たちはこう暮らしていく」という、この対話がきっかけになってくるのではないですか。

山本:そうですね。それからもう1つは、前に働いていた場所でもう一回働けるように、3、4割の、まだ再建していない産業を早く再建させて、仕事場を作っていくようにしないと自立には結びつかないのです。


ゼロには戻れるが、プラスに持っていくのは難しい

工藤:先ほどのマイナスの経済をゼロに戻すという計画はどれくらいかかると思っていますか。大体ゴールは見えていますか。

山本:第3次補正予算が執行されて、いろんな補助金が付けば、私はそんなに時間がかからずに元に戻ると思っています。ゼロには1年くらいで戻るでしょう。しかし、そのゼロからプラスの経済、この資料にある「再生期」や「発展期」にもっていくのはなかなか困難で、しっかり考えないといけないと思います。

工藤:本来危機があったときはチャンスで、次の発展に向けて考える知恵が人間には備わっていると思いますが。

山本:そういう意味で、先ほど申しました「グループ化」は、ある意味では1つの企業体を作っていくことになりますので、いい制度だと思います。

工藤:グループ化って言うのは産業とか雇用に伴うグループ化ということなのですね。

山本:そうです。それもありますし、例えば観光業1つをまとめてやろうと思えば、ホテルとかが共同体を作って、ホテルの立地条件などを利用しながら、1つの観光業として成り立つようなシステムをつくるのです。そこに対して補助金が来ます。

そうなれば、今まで1つ1つばらばらに仕事をしていたところが、グループ化することによって大きな力となり、観光に来る人たちに対するPRやサービスが行き届くのです。

工藤:グループ化の中で、今、期待している産業は何ですか。

山本:色々あります。例えば、水産業に関しては、漁業だけではなく、水産加工業や商業が無ければ、いくら魚を揚げても買う人がいないといけません。ですから、バックボーンが無ければいけないのです。それがばらばらで営業していたのを1つの水産加工業として、それを売る商業、運搬する運送業を1つにまとめてしまう。関連する業者をまとめて企業体を作るような感じです。

工藤:もうすでにその動きは始まっているのですか。

山本:それぞれを集約して、そこに補助金が下りるようになっていますので、これは機能すると思っています。

工藤:それで、僕が気になる話ですが、NPOはどうなっていますか。


田老地区の復興に、NPOが専門家を招いて勉強会

山本:NPOは一カ所だけ、「田老地区」というところで、「立ち上がるぞ!宮古市田老」というNPOを作っています。

工藤:名前がいいですね。

山本:田老の町は115年の間に3回も津波が来ています。防波堤がありましたが、それを大きく超えて津波が襲ってきました。私の家も流されてしまいましたが。町がなくなりましたので、ここにどういう町をつくるのか、産業をどうするのかについて考えるグループ、NPOですが活動しています。

工藤:どういう人が参加していますか。
山本:地元の方々、東京の防災関係をやっている会社の方、大学の先生もいます。
勉強会を何回もしています。要するに、何にも知識も経験も無い人ばかりが集まって、町をどうするのかと議論してもなかなか進まないので、NPOを作っていろんな専門家の先生を連れてきて勉強会をしています。

工藤:非常にいいですね。

山本:あとは水産関係で、水産の町をどう作るのかということで函館の方から熊谷先生という方が来て進めています。色んな勉強会をしています。明日は旧奥尻町の町長さんが来まして、自分たちの経験を講演していただいて、それを参考にしようとしています。そういう動きはあります。

工藤:いろいろ取り組んでいることがかなり良く分かりました。
今回の復旧に取り組む中で地方自治の問題とか、市民の力とか、何か市長が考えていることはありますか。


国土を守るには、こういう地域にも人が住まねばならない

山本:まず今回の震災はものすごく被害が広範囲に及びましたので、ポイントが集中しないで復旧、復興することが難しいというところはあります。自分たちの状況をアピールできる市町村はいいですが、アピールできない市町村もありますので、やはりきちんと全体の状況を見ないといけない。

それから、宮古市は元々インフラ整備が遅れていた地域でもありました。岩手県の沿岸地域は内陸に比べて道路の整備や港湾の整備や街づくりが遅れていました。加えて、所得も内陸に比べて沿岸のほうは低いのです。そういうところに襲った災害ですので、なかなか自力で再建するのは難しい。そういう意味では、お金がある地域が被災した場合とは状況が違います。ですからインフラ整備をしっかりしないといけない。

「コンクリートから人へ」と民主党は掲げていますが、コンクリートつまり道路の整備さえもきちんと出来ていなかった地域なので、しっかりこの際、インフラ整備をしていかないといけないと思います。

日本の国土を守るには、こういう地域に人が住まないといけないのです。コンパクト化ばかりすれば荒廃地ばかり増え、日本は元々小さい島国なのに、もっとエリアを小さくしてしまう危険性があります。ですから、ここは日本全体として、ここの地域をしっかり支えることは日本全体にとってもメリットがあると思います。

工藤:これはきちんと国が主導してやるべきですか。

山本:今回は市町村が自分たちで主体的にやらなければいけないことですが、やろうと思ってもお金が無い地域なのです。そのお金の部分はしっかり国がカバーしなければいけないし、国全体を見たときに、この地域をしっかり再生しなければ、日本全体が沈みかねないと思います。

工藤:昔、僕は東北に復興庁を置くべきだと思っていましたが、結局は今、東京にあります。この設計について思うことはありますか。


国の出先機関廃止の議論には賛成できない

山本:若干複雑な面はありますね。今回の震災では仙台にあった国交省の東北整備局が非常に機能しています。ですので、すべて国の出先機関を廃止しようという、ひとまとめにした議論には全く賛成しません。今回、初動で動いたのは東北整備局で、そのおかげでかなりの面で助かりました。インフラが全部ダウンしました。水も止まって、通信も電気も全部止まり、そして燃料も来ない。この中で一番頼りになるのはやはり道路なのです。ヘリコプターが行けばいい、とか言いますが、天候が悪ければ飛びませんので、道路が一番大事なのです。その道路を一番、最初に警戒していったのが東北整備局です。

工藤:今までは、整備局とか国の出先機関はなくして、県が中心になる、という地方分権の大きな流れがありました。民主党の計画もそうですが、これは...

山本:それは無理だと思います。今回の災害を見て無理だと思いました。県の今の力では無理です。もっと強化するなら別ですが、しかし一本筋が通らないと。国・県・市町村でやっていたら、こういった大規模災害時に機能しません。国が一発ドンと入らないといけない。自衛隊が1日半後に入ってきた時点、それから海上保安庁が入ってきた時点、そして警察消防が入ってきた時点には、国家的なものはすでに入ってきていますので、その段階から、がむしゃらに復旧していけば良い。その間が一番大変なのです。

工藤:今の話は立谷さん(相馬市長)も同じことを話していました。今の震災復興をきちんと国がやっていくとすれば、新しい課題を考えないといけませんね。国の出先機関を廃止するという話をこの前も聞きましたが、この流れに反して何でそのような話があるのですか。

山本:その点については、私には分かりません。何でもかんでも国の出先機関を廃止する、というのは危機管理から言えば、大変なことなのです。こういう大規模で広範囲に被害が広がっているときに、岩手県と宮城県と福島県の対応はみんな違うのか、という話になります。そんなことやっている余裕はありません。

工藤:ではどうすればいいですか。将来的に今の実感から見て、地方での災害などの緊急事態もふまえながら、どういう風なあり方が理想ですか。一番住民に身近な基礎自治体がまず中心になりますよね?あとは国ですか。

山本:要するに、市町村の自分のエリアがありますが、そのエリアを自分たちでカバーするのは当然ですが、これが全体にわたったときに自治体によって差が出ますよね。しかし住んでいるところで差が出るのはおかしいので、危機から逃れるためにはもっと大きな力が必要なのです。

工藤:すると国がありますよね。この国の役割は重要ですか。
山本:重要ですね。
工藤:では、その国と基礎自治体の間はどうなりますか。

山本:県のところは、道州制とかいろいろ話がありますが、その辺は、私はまだはっきり言える立場ではありません。県なら県が市町村を一番見ているとは言えますので、ある意味では機能しています。ただ今後どうするかという話になれば別ですが。

工藤:東北の将来を考えるときに、この震災復興を期に、東北の中で何か新しい動きが始まるのを期待していますか。僕も青森出身なので、将来を想いながらどうなるのか心配ですが。産業も弱いですし。

山本:県の立ち位置がどうの、というのは難しい問題です。道州制がいいという方もいますが、今の県が必要だという方もいますので。私自身は今の段階では県があって良いところもありますが、県が無くて、国のそのまま直轄でも良いのではないかと思う面もあります。

ただ、そのままでいいと思う部分がある中で、それをつぶして違う形にするのはなかなか勇気が要ります。

工藤:もったいないですよね。
山本:ですから、そこはうまく連携していけばいいと思います。

工藤:最後に1つ質問です。住民は自分たちの地域に責任を持って、その中で自分がコミュニティの中の活動に参加するという動きは、今回の震災の中でどうなったのですか。昔と変わりましたか。


宮古市は元々民力が強い、行政は市民を繋ぐ役

山本:宮古市に限って言うなら、元々民力が強いところなのだと思います。自分たちでがんばろう、自分たちがやらなければいけない、というのは良く分かっています。例えば、水産会社、建設業の社長さんやそれから住民の方々もボランティアも、こういった人たち全員が、自分たちがやらないといけないものを分かっています。なので、行政はそれをただ繋げばいいと私は思っています。そのように言えば、市長は逃げているとかリーダシップが欠けていると言う人もいますが、私はきちんと市民を繋ぐ人がいなければまとまらないと思います。震災になったから発揮されたのではなく、元々そういう自分でやらないといけないという気質があるのです。それが発揮されたと私は思います。

工藤:なるほど。そうなれば、さっきの再生、発展という面で市民のマインドという一番大事な基盤はあるのですね。

山本:可能性があるからこういった計画をつくるわけです。それに向かって宮古市は動いています。市はちょうど岩手県沿岸の市町村の中で真ん中に位置しています。岩手県で一番大きい盛岡市から東に100キロのところにありますが、これを70キロくらいに短くしたいと思っています。そういう構想の中で宮古市が中心になってこの人口6万をもう少し増やして、中心都市として生きていけるようにしたいというのが私をはじめ宮古市民の思いです。

工藤:さっきの70キロにするというのは、どういうことですか。

山本:今、盛岡-宮古間は100キロメートルあり、クルマで2時間かかっていますが、それを1時間半にしたいという構想です。道路が山を上がって下っていますので、それをトンネル化するとか、湾曲した道路をまっすぐにするなどして、距離短縮を図って高規格の道路にして1時間半で盛岡まで行けるようにしたいのです。岩手県も盛岡からすべての地域に1時間半で行けるようにしたいということでアドバルーンを上げていますがあまり進んでいません。

工藤:今日は宮古市のこれからだけではなく、震災を経て色々考えなければいけない問題をずばり聞かせていただきました。どうもありがとうございました。


   
 


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2011年11月11日(金)収録
出演者:
山本正徳氏(岩手県宮古市長)

司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)

インタビューは11月11日に行われました

第2部:宮古市の街づくりと将来をどう描くか

産業再生への道筋は

工藤:話は変わって、宮古市の産業の立て直しについては、どういう風なイメージを持っていますか。

山本:雇用・産業は、街づくりのなかでどのように位置づけるかによって変わってくると思います。震災前でも、私の公約の中に産業振興、教育振興を挙げていました。元々産業が弱いところなので、6次産業化を図る、要するにいろんな産業を結びつけてまた新しい産業を、あるいはそれらを有機的に結びつけることによって力が2倍、3倍になるようなことをやろうと準備していたところに震災が来ました。ですが、基本的にこの考え方を基に進めていきます。

まず、マイナスの経済をゼロにして、まず前の状況に戻して、その上に積み重ねないと。一気にマイナス10の経済からプラス10にするのはなかなか難しい。2倍のエネルギーが要りますので。

工藤:そうですね。ただマイナスをゼロにするには...。確かに復興の動きに関して雇用が発生する部分は確かにありますよね。

山本:そうです。街づくりをしていく中で、当然いろんな仕事が出てきますから、それに対しての雇用の場は出てくると思います。

工藤:ただそれは市長が考えている本来的な産業の再生とは違いますよね。

山本:違います。ですから、復旧に関しては、被災者の生活を元に戻す暮らしの再建と産業の復興とを同時に進めています。片方ばかり進めてもいけない。両方が車の両輪ですので、経済活動が伴わなければいけない。福祉とか何とか言っても、お金が無いと何もできない。ですから今、並行してやっています。これで、生活が安定してきて、産業も戻ってきて、雇用も6、7割戻ってきます。それで今後は、こっちの復興計画の中にある、暮らしと生活再建、産業経済の復興、安全地域づくりの3つの柱をすべて同時に進めていきます。

工藤:今、市民の方はどのような意識ですか。「何が何でも復興する!」という勢いなのですか。あと全国からの支援もあったと思いますが、今はどのような状況ですか。


被災者が自ら働き、稼ぐ日常に早く戻さないといけない

山本:2つに分かれまして、前を向いて一生懸命やっている人たちと、それから市の方向性を見定めている人たちがいます。今、かなり全国から物やお金が集まってきていますので、自分で働いて、自分でお金を稼いで、物を買って生活するということからかけ離れている人たちがいるのも事実です。その状況がずっと続くのはあまり良いことではありません。自立をしていただかないと、次にいろんなことをするときのパワーが出ません。そこは難しい面があります。

今でも食料やいろんなものを持って現地に入ってくる人がいます。炊き出しに来るボランティアもいます。それは確かに嬉しいことですが、市としては被災者に自立を促すようにしています。義援金や入ってきた物を使いながら自分で生活をするため、そのために仮設住宅の周りに商店を並べたりしています。そういうところで買い物が出来るようにして、買って自分たちで消費するという日常を取り戻さないといけない。要するに、与えられた生活ばかりではあまりいい状況ではないですね。

工藤:ということは支援側のステージも変わってきたということですね。支援側に求められるものも変わってきていると。

山本:そうですね。例えば、冬になりますが、ストーブが無いので、ストーブを支援していただくというのは仕方ないです。このように最低限のセーフティネットをしっかり張りますが、それ以上のものは、分たちでやるようにしないといけません。ですから仕事をどんどん増やしています。しかし、求人があるのですが、ミスマッチしています。そういうところには就職したくない、などミスマッチがあります。

工藤:地元に求人があるわけですね。ほかの県に行ってくれ、というわけではなく。

山本:ええ、違います。いろんなところで、今まで募集が3から5人だったところを、10人に増やしてくれたりするなど、そういう支援をしてくれる会社もあります。

工藤:でも、そこの会社では働こうとしないのですか。

山本:なかなか働きません。緊急雇用対策として、一時的なものですが、働く場所がなかなか無い方々に対する求人が行われましたが、あまり応募が無い。働かなくても支援してもらえて生活できるからです。

工藤:それはある意味、短期的ですよね。

山本:でもまだ支援をもらい続けている段階にいる方もいます。早く自立をしてもらうためには...、

工藤:マインドを変えないといけないですよね。
山本:そうです。変えないといけません、おっしゃるとおりです。

工藤:それはさっきの復興とか街づくりとかのように、「私たちはこう暮らしていく」という、この対話がきっかけになってくるのではないですか。

山本:そうですね。それからもう1つは、前に働いていた場所でもう一回働けるように、3、4割の、まだ再建していない産業を早く再建させて、仕事場を作っていくようにしないと自立には結びつかないのです。


ゼロには戻れるが、プラスに持っていくのは難しい

工藤:先ほどのマイナスの経済をゼロに戻すという計画はどれくらいかかると思っていますか。大体ゴールは見えていますか。

山本:第3次補正予算が執行されて、いろんな補助金が付けば、私はそんなに時間がかからずに元に戻ると思っています。ゼロには1年くらいで戻るでしょう。しかし、そのゼロからプラスの経済、この資料にある「再生期」や「発展期」にもっていくのはなかなか困難で、しっかり考えないといけないと思います。

工藤:本来危機があったときはチャンスで、次の発展に向けて考える知恵が人間には備わっていると思いますが。

山本:そういう意味で、先ほど申しました「グループ化」は、ある意味では1つの企業体を作っていくことになりますので、いい制度だと思います。

工藤:グループ化って言うのは産業とか雇用に伴うグループ化ということなのですね。

山本:そうです。それもありますし、例えば観光業1つをまとめてやろうと思えば、ホテルとかが共同体を作って、ホテルの立地条件などを利用しながら、1つの観光業として成り立つようなシステムをつくるのです。そこに対して補助金が来ます。

そうなれば、今まで1つ1つばらばらに仕事をしていたところが、グループ化することによって大きな力となり、観光に来る人たちに対するPRやサービスが行き届くのです。

工藤:グループ化の中で、今、期待している産業は何ですか。

山本:色々あります。例えば、水産業に関しては、漁業だけではなく、水産加工業や商業が無ければ、いくら魚を揚げても買う人がいないといけません。ですから、バックボーンが無ければいけないのです。それがばらばらで営業していたのを1つの水産加工業として、それを売る商業、運搬する運送業を1つにまとめてしまう。関連する業者をまとめて企業体を作るような感じです。

工藤:もうすでにその動きは始まっているのですか。

山本:それぞれを集約して、そこに補助金が下りるようになっていますので、これは機能すると思っています。

工藤:それで、僕が気になる話ですが、NPOはどうなっていますか。


田老地区の復興に、NPOが専門家を招いて勉強会

山本:NPOは一カ所だけ、「田老地区」というところで、「立ち上がるぞ!宮古市田老」というNPOを作っています。

工藤:名前がいいですね。

山本:田老の町は115年の間に3回も津波が来ています。防波堤がありましたが、それを大きく超えて津波が襲ってきました。私の家も流されてしまいましたが。町がなくなりましたので、ここにどういう町をつくるのか、産業をどうするのかについて考えるグループ、NPOですが活動しています。

工藤:どういう人が参加していますか。
山本:地元の方々、東京の防災関係をやっている会社の方、大学の先生もいます。
勉強会を何回もしています。要するに、何にも知識も経験も無い人ばかりが集まって、町をどうするのかと議論してもなかなか進まないので、NPOを作っていろんな専門家の先生を連れてきて勉強会をしています。

工藤:非常にいいですね。

山本:あとは水産関係で、水産の町をどう作るのかということで函館の方から熊谷先生という方が来て進めています。色んな勉強会をしています。明日は旧奥尻町の町長さんが来まして、自分たちの経験を講演していただいて、それを参考にしようとしています。そういう動きはあります。

工藤:いろいろ取り組んでいることがかなり良く分かりました。
今回の復旧に取り組む中で地方自治の問題とか、市民の力とか、何か市長が考えていることはありますか。


国土を守るには、こういう地域にも人が住まねばならない

山本:まず今回の震災はものすごく被害が広範囲に及びましたので、ポイントが集中しないで復旧、復興することが難しいというところはあります。自分たちの状況をアピールできる市町村はいいですが、アピールできない市町村もありますので、やはりきちんと全体の状況を見ないといけない。

それから、宮古市は元々インフラ整備が遅れていた地域でもありました。岩手県の沿岸地域は内陸に比べて道路の整備や港湾の整備や街づくりが遅れていました。加えて、所得も内陸に比べて沿岸のほうは低いのです。そういうところに襲った災害ですので、なかなか自力で再建するのは難しい。そういう意味では、お金がある地域が被災した場合とは状況が違います。ですからインフラ整備をしっかりしないといけない。

「コンクリートから人へ」と民主党は掲げていますが、コンクリートつまり道路の整備さえもきちんと出来ていなかった地域なので、しっかりこの際、インフラ整備をしていかないといけないと思います。

日本の国土を守るには、こういう地域に人が住まないといけないのです。コンパクト化ばかりすれば荒廃地ばかり増え、日本は元々小さい島国なのに、もっとエリアを小さくしてしまう危険性があります。ですから、ここは日本全体として、ここの地域をしっかり支えることは日本全体にとってもメリットがあると思います。

工藤:これはきちんと国が主導してやるべきですか。

山本:今回は市町村が自分たちで主体的にやらなければいけないことですが、やろうと思ってもお金が無い地域なのです。そのお金の部分はしっかり国がカバーしなければいけないし、国全体を見たときに、この地域をしっかり再生しなければ、日本全体が沈みかねないと思います。

工藤:昔、僕は東北に復興庁を置くべきだと思っていましたが、結局は今、東京にあります。この設計について思うことはありますか。


国の出先機関廃止の議論には賛成できない

山本:若干複雑な面はありますね。今回の震災では仙台にあった国交省の東北整備局が非常に機能しています。ですので、すべて国の出先機関を廃止しようという、ひとまとめにした議論には全く賛成しません。今回、初動で動いたのは東北整備局で、そのおかげでかなりの面で助かりました。インフラが全部ダウンしました。水も止まって、通信も電気も全部止まり、そして燃料も来ない。この中で一番頼りになるのはやはり道路なのです。ヘリコプターが行けばいい、とか言いますが、天候が悪ければ飛びませんので、道路が一番大事なのです。その道路を一番、最初に警戒していったのが東北整備局です。

工藤:今までは、整備局とか国の出先機関はなくして、県が中心になる、という地方分権の大きな流れがありました。民主党の計画もそうですが、これは...

山本:それは無理だと思います。今回の災害を見て無理だと思いました。県の今の力では無理です。もっと強化するなら別ですが、しかし一本筋が通らないと。国・県・市町村でやっていたら、こういった大規模災害時に機能しません。国が一発ドンと入らないといけない。自衛隊が1日半後に入ってきた時点、それから海上保安庁が入ってきた時点、そして警察消防が入ってきた時点には、国家的なものはすでに入ってきていますので、その段階から、がむしゃらに復旧していけば良い。その間が一番大変なのです。

工藤:今の話は立谷さん(相馬市長)も同じことを話していました。今の震災復興をきちんと国がやっていくとすれば、新しい課題を考えないといけませんね。国の出先機関を廃止するという話をこの前も聞きましたが、この流れに反して何でそのような話があるのですか。

山本:その点については、私には分かりません。何でもかんでも国の出先機関を廃止する、というのは危機管理から言えば、大変なことなのです。こういう大規模で広範囲に被害が広がっているときに、岩手県と宮城県と福島県の対応はみんな違うのか、という話になります。そんなことやっている余裕はありません。

工藤:ではどうすればいいですか。将来的に今の実感から見て、地方での災害などの緊急事態もふまえながら、どういう風なあり方が理想ですか。一番住民に身近な基礎自治体がまず中心になりますよね?あとは国ですか。

山本:要するに、市町村の自分のエリアがありますが、そのエリアを自分たちでカバーするのは当然ですが、これが全体にわたったときに自治体によって差が出ますよね。しかし住んでいるところで差が出るのはおかしいので、危機から逃れるためにはもっと大きな力が必要なのです。

工藤:すると国がありますよね。この国の役割は重要ですか。
山本:重要ですね。
工藤:では、その国と基礎自治体の間はどうなりますか。

山本:県のところは、道州制とかいろいろ話がありますが、その辺は、私はまだはっきり言える立場ではありません。県なら県が市町村を一番見ているとは言えますので、ある意味では機能しています。ただ今後どうするかという話になれば別ですが。

工藤:東北の将来を考えるときに、この震災復興を期に、東北の中で何か新しい動きが始まるのを期待していますか。僕も青森出身なので、将来を想いながらどうなるのか心配ですが。産業も弱いですし。

山本:県の立ち位置がどうの、というのは難しい問題です。道州制がいいという方もいますが、今の県が必要だという方もいますので。私自身は今の段階では県があって良いところもありますが、県が無くて、国のそのまま直轄でも良いのではないかと思う面もあります。

ただ、そのままでいいと思う部分がある中で、それをつぶして違う形にするのはなかなか勇気が要ります。

工藤:もったいないですよね。
山本:ですから、そこはうまく連携していけばいいと思います。

工藤:最後に1つ質問です。住民は自分たちの地域に責任を持って、その中で自分がコミュニティの中の活動に参加するという動きは、今回の震災の中でどうなったのですか。昔と変わりましたか。


宮古市は元々民力が強い、行政は市民を繋ぐ役

山本:宮古市に限って言うなら、元々民力が強いところなのだと思います。自分たちでがんばろう、自分たちがやらなければいけない、というのは良く分かっています。例えば、水産会社、建設業の社長さんやそれから住民の方々もボランティアも、こういった人たち全員が、自分たちがやらないといけないものを分かっています。なので、行政はそれをただ繋げばいいと私は思っています。そのように言えば、市長は逃げているとかリーダシップが欠けていると言う人もいますが、私はきちんと市民を繋ぐ人がいなければまとまらないと思います。震災になったから発揮されたのではなく、元々そういう自分でやらないといけないという気質があるのです。それが発揮されたと私は思います。

工藤:なるほど。そうなれば、さっきの再生、発展という面で市民のマインドという一番大事な基盤はあるのですね。

山本:可能性があるからこういった計画をつくるわけです。それに向かって宮古市は動いています。市はちょうど岩手県沿岸の市町村の中で真ん中に位置しています。岩手県で一番大きい盛岡市から東に100キロのところにありますが、これを70キロくらいに短くしたいと思っています。そういう構想の中で宮古市が中心になってこの人口6万をもう少し増やして、中心都市として生きていけるようにしたいというのが私をはじめ宮古市民の思いです。

工藤:さっきの70キロにするというのは、どういうことですか。

山本:今、盛岡-宮古間は100キロメートルあり、クルマで2時間かかっていますが、それを1時間半にしたいという構想です。道路が山を上がって下っていますので、それをトンネル化するとか、湾曲した道路をまっすぐにするなどして、距離短縮を図って高規格の道路にして1時間半で盛岡まで行けるようにしたいのです。岩手県も盛岡からすべての地域に1時間半で行けるようにしたいということでアドバルーンを上げていますがあまり進んでいません。

工藤:今日は宮古市のこれからだけではなく、震災を経て色々考えなければいけない問題をずばり聞かせていただきました。どうもありがとうございました。


   
 


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