第1部:陸前高田はどこまで復旧したのか
8ヵ月経ち、基本的に生活できる段階にたどり着いた
工藤:今日は陸前高田市(岩手県)の戸羽太市長に言論NPOの事務所に来ていただきました。陸前高田という場所は、3.11の地震・津波で街の多くが壊れてしまうという大変衝撃的な映像で、私達の記憶に残っています。それから8ヵ月たって、今の状況はどうなっているかをおうかがいしたい。
戸羽:基本的には瓦礫の片付けが9割以上終わりました。片付けと言っても、今、2次分別もやっていますけれど、処理が終わったのではなくて、寄せた、というところです。
工藤:瓦礫が山になっている状態ということですか。
戸羽:そうです。その山もだんだん崩れていって、ごちゃごちゃになっているところもありますので、その仕分けもやっていただいています。しかし基本的には、あとは何も進んでいません。
工藤:ライフライン、生活環境はどうなっていますか。
戸羽:基本的に生活環境は大分改善されてきています。信号灯も回復してきましたし、街灯も点き始めました。ライフラインのほうは、例えば一部の地域で水道の水が濁るということがありますから、まあまあ、としか言えないのですが、基本的には人が生活をしていける状況にはなっていると思います。
工藤:そうですか。私たちも何度か被災地を訪れていますが、瓦礫の撤去と、あと廃墟の構造物がありますよね。あれはもう、ほとんど整理されている状況なのですか。
戸羽:これはいろいろ問題があって、公共施設、例えば市の公共施設であれば、当初は市の単費で壊して下さいという話がありました。私たちは市街地がやられているので、計算してもらったら20億円以上かかる、これはとてもじゃないですが無理なので、国に、是非、国費でやっていただきたい、とお願いしました。これは後に、そういう方向に変わりまして、ちょうどこれから市役所や体育館といった大きな建物を解体していくところです。
工藤:瓦礫の処理に関しては、プラントを作りたいとおっしゃっていましたが、あれはその後どうなりましたか。
戸羽:今からプラントを作ったのではどうにもなりません。結局、県があって、国があっての話なので、スムーズに行きませんでした。国がやると言っても、真ん中に県がいたり、県と市でやろうと言っても国が許可しなかったり、今回のプラントの問題は両方が譲り合って、「言ってくれればやったのに」という感じでした。
工藤:たらい回しみたいじゃないですか。
戸羽:そうですね。それで時間が経ってしまったので、いまさら、それをやると言ってもどうしようもないかな、と思っています。
冬を迎える生活面での課題は何か
工藤:そうですか。では、生活の問題なのですが、かなりの方が被災されましたね。今、仮設住宅に皆さん入って、次はどういう段階になるのですか。仮設後の課題を教えて下さい。
戸羽:8月の14日で全ての避難所を閉じて、今、仮設住宅が約2200ありますけれど、満杯の状態で、これから冬に向かうわけです。
建設当時は夏に向かって作っていたものですから、冬仕様・寒冷地仕様ではないわけです。今、二重サッシの取り付け等の対策をとっています。ただ、水道管が浅いところに埋まっていたり、むき出しになっている所もあって、これからそういった水道管が凍るということがあるので、市の水道事業所にも話をしていて、何とか対処してくれるとは思っています。突貫工事的でしたので仕方ないのですが、冬本番になる前に対処しなければいけません。工藤:最終的には、皆さんがきちんと暮らせる公営住宅を目指しているのですね。
戸羽:そうですね。うちの地域ではだいたい3千数百の家がなくなってしまっています。その方々が全て新しい家を建てられるかと言えば、それは違うと思いますので、しっかりニーズ調査をして、必要な戸数については公営住宅を作らなければいけないと考えています。
工藤:そうですか。震災から8ヵ月も経ってしまったのですが、復興の前の復旧レベルの段階を振り返ってみてどうだったのでしょうか。復旧にも非常に時間がかかってしまいました。市長として課題や教訓をどのように感じていますか。
戸羽:復旧というと、どうしてもライフラインの所が出てきますが、私たちのような田舎の街は姉妹都市があるわけでもないし、どこにどうやってヘルプを求めていくかという術も持っていませんでした。例えば、水道に関して言えば、かなりの範囲でやられていて、当初、うちの水道事業所ではだいたい9月か10月にしか水道がつながらない、という話だったものですから、私もちょっと、いい加減にしろ、と。そんなことは言っていられない、少なくとも夏の前にはつながなければ、シャワーぐらい浴びられなければダメだ、という話をしました。そういった中で、神戸とか大阪とか東京とか、先進的な技術を持っている自治体の方に来ていただいて、復旧作業をやっていただいたわけです。そういうところのつなぎを、本当であれば、県なり国なりにしっかりやっていただけるとスムーズなのです。皆さん、現場を持っていて、被災者の方々の対応をしながらの仕事なものですから。
教訓といえば、そういう復旧に関するシステムをしっかり作っておかなければいけない、ということがあります。ボランティアの問題もあります。一日に500人と来ていただくこともありましたが、コーディネーターがいなくて、結局お帰りいただいたりしたこともあります。ボランティア経験者の方は、特に阪神・淡路大震災で活躍された方々がいましたが、壊れた家から家具を出す経験はあるよ、と言われても、我々の場合、津波被害ですから、家自体が無いわけです。自分の思ったボランティア活動が出来ない、そういうときに我々が代わりにこれをやって下さいと言ってあげられれば良いのですが。
工藤:余裕が無い?
戸羽:余裕というより、我々自体がそういうアイデアを持ち合わせていませんでした。これも、国として、地域として、平常時にそういうコーディネーターの育成も含めてやっておかないと、大変なのだと思います。
工藤:県と国との規制の問題についてお聞きしたい。有事なのに平時対応してしまうので、たらい回しになってしまう、ということが、いろいろなところで出てきています。それが発展して、地方自治のあり方にまで議論が発展しかねない状況になっているのですね。つまり、現場の市町村が中心になって動くべきなのが、なかなか機能できない、と。この点はどうですか。
被災自治体に権限を移してくれないと前に進めない
戸羽:これは私の持論ですが、日本の国には非常事態宣言というのはないわけで、それでは規制緩和は特区でやりましょう、特区で、特区でと言われて、もう8ヵ月も経っているわけですよ。その間、我々は何も出来ないのか、という話になりますから、少なくとも緊急事態なのだということを一国の総理大臣が発表して、では、岩手県に全ての権限を、例えば土地利用などを移しましょう、あるいは被災した市町村長にその権限は一時的に預けましょう、ということがないと、当然、前に進めない。私もかなり苦労しましたけれど、最終的に国の考え方を変えさせるのは世論でしかなくて、議員や大臣にいくら話してもダメです。結果的には、いろいろなマスコミを通じて情報を出していって、「国は何をやっているんだ、被災地の人たちは可哀想じゃないか」という世論を起こして、初めてそこでルールが変わる、ということはこの間いくつも経験しています。
工藤:そうですか。政治的には時間がかかりすぎた、と。時間がかかりすぎると、本当は改善できることがどんどん深刻になっていくのですが、それに関してやはり苦労されているという感じがしました。戸羽市長は著書『被災地の本当の話をしよう』で、8年間で復興させたいと計画を説明しています。今、どういう段階に来ているのでしょうか?
被災者が一番気にしているのは「自分たちがどこに住むか」
戸羽:今は復興計画の素案を作って、住民の皆様に説明をさせていただいています。ただこの復興計画の素案というのは基本的な考え方であって、こういう方向でやっていきますよ、という部分ですから、これから1つ1つの事業計画あるいは推進計画を作らないといけません。被災者の皆さんが一番気にしているのは「自分たちがどこに住むか」なので、計画全体の議論にはなかなかならないですね。
工藤:市長の本は、津波に襲われて被災したところに対しても、ちゃんと医療と福祉をコアにする街をつくるという話で、賑わいを戻して街をちゃんと取り戻そうという発想ですよね。でも、一般の人たちは津波の恐怖があるから高台に移りたいとなっていると、聞いています。
戸羽:まさにそういう議論になっています。過去に津波被害を受けているところを見てもそうなのですが、結局、お金をかけて直しはしました、人が住める状況を作りました、でも現実には人がどんどん減って、賑わいどころか過疎に向かっている、と。そうすると、大きなお金をかけて、みんなで苦労して、そこまでやる必要はあるのか、と。やっぱり、確かに津波は怖いし、命は大事で、これは当然ですけれど、でも、いつ来るかわからない津波にビクビクしているだけなのはダメだと思います。やはり街として、将来ある子供たちがそこにちゃんと生活できる環境を作ってあげて、町として発展しながら、ただ、万が一来るかもしれない津波に対しては、ハードとソフトの面を含めて備えるということでないと。高台にバラバラに皆さんが住んで、同じ市民ですと言っても、これはあまり意味がないと思います。
工藤:それほど、恐怖を伴う体験が凄かったのだと思います。住民が自分たちの未来に関してきちっと話し合っていくのは、民主主義から見れば非常に大事なプロセスです。話し合ってみて、どうですか。
復興計画は住民の話を聞いて修正するところは修正する
戸羽:いろいろな動きが出てきていて、民間の経済界の方々も、自分たちから立ち上がろうという動きをしていただいていますが、いずれ高齢化が進む地域なので、住民は自分の将来に非常に不安を持っているわけです。家も流された、どこに住んだらいいのだろう、どうやって食べていったらいいのだろう、と。個人個人の思いが、今どうしても強く出る状況ですから、全体として将来の陸前高田市をこうしていこうよ、という意見は出にくいのかなと思っています。ただ、これは焦らないで、計画の中で、みんなでしっかり話をしながら、修正するところは修正しますし、今回、復興計画が出来たから何がなんでもこれで100%行きますよ、ということはしませんという話はしています。
工藤:なるほど。もし高台に移る場合は土地を買って造成するのは市で、家を建てるのは個人になるのですか。
戸羽:防災集団移転というやり方ですが、5軒以上がまとまって高台に行くとなると、元々住んでいたところは危険地域として、もう人が住むことができなくなりますし、上の高台については市が造成しますけれども、造成にかかった費用を戸数で割って分譲するような格好なのですよ。
道路とかは別ですけれど、人が住む家を建てる部分の土地については、買っていただくということになっています。もちろん住む建物も自分で負担する。
工藤:お金の無い人は出来ないですね。
戸羽:もちろん出来ません。
工藤:これは政府として、そういうルールでやりましょうということが決まっている、と。
戸羽:決まっています。そして、問題は元々住んでいた土地にも出てきます。津波をかぶってしまっていて、この間、新聞等で発表された路線価では大体被災前の3割と言われているのです。
1000万円の価値があった土地が300万円になってしまう。ではその300万円を持って高台の土地が買えるかといったら買えないわけです。この間、参議院の国土交通委員会の皆さんに来ていただいた時、その話もしたのですが、いや、それは税を今回被災した人から取らないための話であって、もっと買い取りの値段は高くなるはずですよ、という言い方をされました。ですが、その目安がどれくらいという話には全然なりません。なので、市民の皆さんも非常に不安に思っていますね。
工藤:不安ですよね。私たちの中にも映像として焼き付いていますが、津波に遭ったところは土地を盛って高くしようと言う考え方ですね。
戸羽:一部ですけど。
工藤:一部ですか。そこを高くして、そこにちゃんとした商業施設を作るというような計画があるのですか。
戸羽:そうですね、山に近いほうですけれど。当初、今回の津波に対応できる防潮堤を、ということで15メートルのものをお願いしていたのですが、結果的には12.5メートルになり、2.5メートル足りなくなってしまいました。ですから、この足りない分をほかで補わなければならない、ということになりますと、水が越えてきた時に低いところを残しておいて、プールを作っておく。
そうすれば、嵩上げした部分にはぶつかって勢いがなくなりますが、2.5m低くなったことでプールを広くしなければいけなくなったので、使えない土地がかなり増えてしまいました。
工藤:なるほど。そこのお金というのは今度の3次補正で付いているのですか?
戸羽:3次補正はかなり色々なものが付いていて、高台移転、土地の嵩上げは、3次補正の中で対応できることになっています。
工藤:そうですか。そうしますと、高台は仕組みの問題があるようですが、インフラや被災された土地の問題は政府のお金で対応できているということですか。
戸羽:その部分はできています。ただ、被災地にはそれぞれ事情があって、被災の度合いも違います。例えば今回3次補正でもらえている中でも、学校の再建費用というものがあります。学校の再建もできますよ、と。今までは、移転する場合には土地の費用は出なかったのですが、今度は出せます、と。ところが、うちみたいに全部やられてしまっていると、移転する土地さえも探さなければいけない、作らなければいけない。今度の3次補正で、その予算は目の前にあっても手が出せません。
工藤:使えない、と?
戸羽:昨日も国会議員の先生方と話をさせていただきましたが、今度の3次補正に関わらず、国の制度として取っておいて下さいとお願いしました。そうしないと、たぶん我々は3年後とかでないと手が着けられない事業ですので、今回の3次補正に盛り込んでいただいても我々にとっては意味がないのです。
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第2部:人が住め、仕事の選択肢がある街をめざす
工藤:こういう言い方で説明していただきたいのですが、8年間という計画の中で、今はこの段階で、3年後にはこのぐらいの姿で、8年後にはこの姿を目指している、と。だけど、これに関してはこういう課題がまだ残っている、これに関しては政府で取り組んで欲しい、という形で説明することは可能ですか。
戸羽:政府云々というものよりは、テクニック的な話ですね、例えば、うちはまだ防潮堤がない。全部破壊されてしまったので。だから、街づくりの計画は、12.5メートルの防潮堤ができるという前提での計画なのです。この防潮堤ができるのに、早くて5年と言われています。そうすると、今、私が言っている、低い土地に家を建てる、お店を作る、というのは、リスクを背負ってでもやるよという人は別ですが、そうでない限りは我々から推奨するというわけにはいかないので、そこからもう計算が狂っているというところです。高台移転は高台に行くわけですから、そっちは先行してやっていきますし、あるいは災害公営住宅の建設も先行してやっていきますが、さしあたっては商店街もなにもかも仮設という形にしかならなくて、低いところに家を建てたいという方についても、防潮堤ができるまで待って下さい、と言わざるを得ません。ですから、災害公営住宅に一時的に住んでいただく、というパターンになると思います。
工藤:防潮堤が5年後にできるということは、確実なのですね。
戸羽:確実といいますか、県がそう言っていますから。県が施工しますので。
工藤:県が施工して、その分のお金はもう付いているのですね。
戸羽:はい。
工藤:そうですか。ではそこは動いている、と。あと、道路を作る話はどうなっていますか。
8年位で仙台までの高規格道路が全通というが、保証はない
戸羽:道路はですね、三陸縦貫自動車道は高規格道路で、高速道路よりランクが1つ下がるのですが、あの道路については国土交通省では8年ぐらいで仙台まで全通させると言っています。しかし私が気にしているのは、道路特定財源という制度がなくなってしまっていて、やるよって言ったって、本当に予算がとれるのかというところが実際あるわけです。ここらへんを、国会議員の先生方、あるいは国交省以外、特に財務省との間でちゃんと一致できているのかどうか。正直申し上げて、東北にばっかり、お金が行っていると言っている方々もいます。現実として仕方のないことです。そういった中でやるよ、と。大臣自ら8年で全通すると言っていただいて、大変ありがたいのですが、それを担保しているものは本当にあるのか、というと不安です。
工藤:昔だったら道路計画があって、その予算がちゃんと決まっている、と。そこまで明示的になっていると安心しますよね。
戸羽:そうなんです。これは国土交通省の方からも言われています。「首長の皆さん、ぜひ、それを政治家の皆さんやほかの省庁の皆さんにも言って下さい。我々は何としても作りたいけれども、お金がなければ作れないのですよ」と。そういうことですから、我々も機会があるごとにこれをお話させていただいています。
復興庁ができれば、窓口が1つになり、大変ありがたい
工藤:なるほど。復興庁も今度出来ますが、復興庁ができることへの期待はどのようなものですか。あまりないですか。
戸羽:いえいえ、復興庁は私たちもずっと求めてきています。ただ、野田総理と平野復興担当大臣の言っていることが設置する場所からしてまず違う。
国会で、野田さんは当初、東北に、平野さんは東京に、ということで、そういう違いがあることが1つ。ただ、例えば、先ほどの防潮堤の話ですが、海水浴場に作るのは国土交通省の担当の防潮堤、漁業をやっているところに作るのは農林水産省管轄の防潮堤なのですよ。ですから、通常のやり方をすれば、まず国土交通省にここからここまではお願いします、次は農林水産省に行ってお願いします、というやり方をしなければいけなかったわけです。これが、復興庁ができることによって、窓口を1つにしていただける。教育の問題であっても、道路の問題であっても、どの話も復興庁にすれば良いということにしていただけると聞いていますから、我々とすれば大変ありがたいです。
工藤:なるほど、窓口が一本化されると。震災後8ヵ月間、全然ダメだったけれども、ようやく動き始めているという感じですか。
3次補正予算は我々の要望をかなり盛り込んでくれた
戸羽:そうですね、私自身もかなり国に対して文句を言ってきて、相当嫌われていますけれど、ただ、この3次補正には、本当にこの間、私たちがお願いしてきたことを、かなり盛り込んでいただいています。その中にも、使い勝手の問題とか多少ありますけど、ただ、国としてかなり思い切ったことをしていただいたなと思っています。
工藤:そうですか。あと、色々な被災地に全国から支援が入って、NPOがなんとか応援したい、という形になっていると思うのですけれど、ちゃんとうまく機能しているのかという問題があります。どんなふうにNPOの役割を見ていましたか。
被災地支援のNPOなどに求められていること
戸羽:私たちは市役所そのものが被災してしまって、職員がかなり亡くなったりしている環境にあって、かなりマンパワーが足りないわけです。そういった中で、それぞれのNPOの方に来ていただいて、例えば、仮設住宅の高齢者の方々のケア、心のケアも含めて、それぞれの得意分野、NPOの目的に沿ってやっていただいていますから、こういった方々がいなければ、とてもとてもこの8ヵ月間やってこられませんでした。
工藤:これから、支援やNPOについて求められることって何なのでしょう? だんだんステージが変わってきましたよね。
戸羽:求められることというか、私がちょっとどうかな、と思っていることは、今でも物資を供給していただいているのですけれど、かえって、それが被災者の自立を阻害している、そういう人が若干いるな、ということを非常に危惧しています。
もう8ヵ月たっていて、しかも若い方で、仕事をしていない。被災地だって仕事が無いわけではないのですよ。だけど、米がないと言えば米を持って行ってあげた、歯ブラシがないと言えば届けてあげた、という方がいらっしゃる。それが本当は良いことなのかどうか。病気や怪我で仕事ができない高齢の方にならありがたい話ですけれど。NPOにもいろんな方がいらして「本当にNPOなの?」という方も実際はいるのですね。
工藤:例えばどんな人ですか?
戸羽:例えばNPO団体に間違いはないのですけれど、一生懸命、前半2週間ぐらい物資の供給、炊き出しなど、色々なことをやっていただいて、ありがたいので、私も、どうもどうもと友達のように接する。で、そのあとに「○○NPOの方がおみえになりましたよ」ということがある。お世話になったので、お通しして会って話をすると、いきなり別の名刺を出して、「実は私はこういう商売をしているのですけど」という話になる。このパターンは実際に非常に多い。
工藤:そうですか。
戸羽:商売してはダメなわけではないのですよ、ただ信頼関係としてはですね・・・。
工藤:そういう理由にして行って、ですか。その可能性はそんなに多いですか。
戸羽:いや、かなりの率であります。陸前高田市内は田舎なので、普段はNPO団体がほとんどない。ですから、NPOは非営利団体だということしか頭にないわけで、名刺をいただくと安心するのです。ああ、NPOの方なんだな、お手伝いに来てくれたんだな、と。けれど、結構裏切られていますね。ああいい人だな、申し訳ないな、ありがたいなと感じて、信頼関係ができて良かったなと思ったら、いきなり全然違う名刺を出して、すぐ商売、という話ですから。
いまはマイナスからやっと戻った段階,これからがスタート
工藤:次に聞きたいことは、かなりの覚悟で市長をやっておられますね。8年の復興計画や若い世代も自分たちに誇りを持てるように、ですとか。そのご自身の考えている復興に向けてのプロセスという点で見て、今はどういう位置にありますか。
戸羽:まさに今スタートですよね。これまでは復旧でマイナスから元のレベルまでやっと少し戻ってきたかな、というところですから、本当にこれから、ゼロからです。
工藤:これからですか。そして、住民の人たちが一緒に共有して考える。
戸羽:ただ街づくりに関して、私自身は、道路の位置をどこにするとか、人がどこに住むとかということに、あまり口出しをしないことにしています。それは、道路を通す位置というのは誰が考えたっていくつかのパターンのうちの1つになるのだと思うのです。私は、子供たちに夢を持ってもらうとか、若い人たちに定住してもらうことを考えると、やはり雇用の場ですとか、高齢者の福祉の充実といった、中身の話をしていかないといけない。ですからちょっと飛び道具みたいなところもありましたけど、ワタミ会長の渡辺美樹さんに参与になっていただいたり、あるいは青年市長会という若い市長さん達の集まりが昨日もありましたけど、そういう方たちの人脈も借りて、色々な企業の方々とお目にかかったり、あるいは、よその自治体から色々と直接支援をいただいたりしました。
とにかく人が住める、あるいは職業の選択がある程度出来る、そういうものを私は目指しているのです。そのことによって、高校、大学、専門学校、様々だと思いますが、自分が勉強してきたことが活かせる、とか、スバリでなくても「僕が勉強してきたことがこの仕事だったら活かせるかな」ぐらいの、4つか5つの選択肢、それが今までなかったものですから、そういうものを作ってあげることによって、若い人たちが頑張れる環境になるのかな、と思います。
工藤:つまり、ただ被災される前に戻るだけではないのですね。今、雇用という話が出ました。復興に関連してちょっと雇用はあるかもしれませんが、最終的にどのような雇用の場、産業、企業誘致をお考えですか。水産業とか農業の問題もありますよね。
被災前にあった課題も克服して、若者が出ていかない新しい街を
戸羽:水産業については、水産加工の会社がもう始まっています。お隣の宮城県の気仙沼市に本社があった会社にもう来ていただいて、300人くらいの雇用をする、かなり大きな加工所もできました。あと農業については、放射能の問題も気がかりですし、正直、陸前高田は中山間地域なので、専業農家の方はいないのです。ですから、今、植物工場や野菜工場のようなもの、スニーカーを履いてポロシャツを着て土に触らないで農業ができる、そういったものに今度チャレンジしてみます。これは若い人たちの就職の場になり、サラリーをもらって農業をやる、全部をそうするというわけにはいかないけれど、やっぱりそういったものに挑戦していくことは大事だなと思っています。あと、ワタミさんにコールセンターを作っていただいて、これは2月にオープンしますが、ここも100人ぐらいの雇用があると思われます。
田舎だからこそある農業や漁業は大事だと思っていますが、それだけでは今までみんな若者は出て行ったわけですから、若い人たちが「こういう仕事だったらな」と思うものも同時に作っていきます。今回被災してしまったことによって、被災前にあった課題も一緒に克服していかないと、復旧にしかならないので、新しい街を作ることを考えています。
工藤:それは、それは8年の中では、3年、5年と分けているのでしたっけ?
戸羽:計画自体は3年、5年としていますが、会社等については、土地の利用が決まっていないのですよね。でも実際には、企業をそんなに待たせるわけにはいかないですから、被災していない山手の土地ですとかを物色して、会社が立地できる場所を新しく探しているところです。
工藤:最後の質問なのですが、今回、被災地の復旧、復興のプロセスを通じて、地方自治について何か、お考えになったことはありますか。今まで、日本における地方分権の議論は、結構上から目線なのです。でも実際には、地域が課題に対して答えを出して、住民がそれに参加していくという仕組みが一番の理想です。今、東北はまさにそれを迫られて、現実的にやられているわけですよね。その実践側に立って、地方分権や地方自治の進め方について何かご意見はありませんか。これには非常に関心があります。
国は関与したがるが、地方からの取り組みこそ大事
戸羽:現状でも、例えば今度の3次補正の中で、復興交付金というのがあるわけですが、これは私たちが自由に使えるお金にして下さいと全員一致でお願いしてきて、そういう制度が創設されます。例えば、5省庁40事業とかって、なんでそういうものを作るの?となると、やっぱり関与したいわけじゃないですか。
工藤:国が?
戸羽:国が。あるいは先生方がですね。で、俺達のさじ匙加減で出るか出ないか、そこにちょびっとの権力を持っていたいのだろうな、と私は勝手に思っています。そうではなくて、やっぱり地方から積み上げていくことが、今求められているのだと思います。そうでなければ、逆に国がリーダーシップを発揮して、陸前高田はこういう街にします、道路はここに通して、人はここに住みますって言った方がわかりやすいのですよ。「おまえたちのアイデアでやれ」と言われ、私たちが計画を出せば、「ダメだよ、こんなの」と来るのですから。何なのだと思います。防潮堤だって、15メートルの物ができるということを前提で、当初、街をデザインしていました。そうしたら、15メートルはダメだ、12.5メートルしかできないよ、と言われて、こっちも変えなければダメだという話になった。
自分たちでデザインしていいって言われて、デザインすればダメだって言われる。だったら一緒に考えてください、と。国の方がいらっしゃって、我々がこういう計画なんですよと相談して、これは無理だよ、だったらこう変えた方がいいよ、と話し合う方が早いんじゃないですか、ということをずっと言ってきたわけです。なかなか、そこも......。
工藤:まだいかないですか。
戸羽:いかないですね。
工藤:その時、県と国との役割はどうですか。私たちは政府の政策を評価している団体なのですが、国と県との関係において、県に対する不満がある人が多いみたいなのですね。
戸羽:うちのような被災地は、国土交通省との関係が一番大きいと思いますが、非常にスムーズにいきます。国交省さんは特に被災地を心配していただいているということが、我々に伝わってくるので、有難いと思っています。ただ、間に県が入ると、何か急に規制の固まりみたいになって、国交省の方とお話をしたときと違うという話になってしまいます。これは、私だけではなくて、宮古市長や遠野市長など、みなさん、同じ事をおっしゃっています。極端なことを言えば、ある人は県なんかいらないよね、という人もいますから。
工藤:この問題は、別に地方分権の議論でやりたいと思うので、時間があったらご参加いただければと思います。本を見て、もう1つ気になって、ズバリ聞きたかったのですが、政治家が会いにきたら、Vサインで、ポーズだけとって帰ってしまう、という人が結構いたという話なのですが。
戸羽:Vサインは1人だけですが、本当に遊びに来る人はいますよ。
工藤:政治家でしょ。
戸羽:有名な方でも...名前言うと問題だと思いますが。
工藤:しかし、それは問題ですよね。
戸羽:ですから、うちの方は統一地方選挙が延期になって、県内で県議会選挙があったのですが、その前の決起大会に来て、そのついでに来たということを、わざわざ宣言してきた女性議員がいました。帰れこの野郎、ということで帰しましたけど。でも、自分のブログには、「今日、陸前高田に行ってきました」ということが掲載されていました。
工藤:それで、彼等はそれだけで何もしないでしょ。だから、こういう政治なり地方分権の在り方もこれを機会に見つめ直す必要がありますね。
戸羽:ただ、一方では岩手県選出の方々もそうなのですが、やはり被災地を分かっていたり、自分がそういう経験をされたことがあるとか、色々と事情はあると思いますが、本当に一生懸命な方も沢山いらっしゃいます。自分のことのようにやっていただいている方もいるし、一方で全然興味がない方もいらっしゃいます。1回ぐらい行っておくか、という感じの方もいます。だから、一概に国会議員の先生がダメとか、国がダメと言ってしまうと、何か国全体がダメだとか、国会議員さんがダメという風になってしまいますけど、なかには変な議員さんもいらっしゃいますし、中にはあまり動かない省庁もあります。私もどうしても、国が、国がと言うと、国全体を否定しているように聞こえるかもしれませんが、本当に国土交通省なんかには、発生当初からずうっとお世話になっています。
工藤:宮古市長もそのように言っていました。ただ、現場の状況がこういう形で語られることが非常に重要だと思っています。ほとんどの人は知らないのですよ。99%位の人は知らないと思います。何となく支援して、どうすればいいのか、という感じです。今日は来ていただいて本当によかったと思います。こういう議論をまたやっていきますので、8年間は付き合います。
戸羽:私の本にも書いてありますし、いつも言っていることですが、とにかく被災地の皆さんとういのは、毎日がんばっていますし、これから長い、長い闘いが始まります。ですから、私もがんばっていきますけど、情報発信をしていただいて、現状を1人でも多くのみなさんにお伝えいただければいいな、と思います。
工藤:これから、寒い冬がきますので、がんばってください。今日は、ありがとうございました。
戸羽:ありがとうございました。
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2011年11月17日(木)収録
出演者:
戸羽 太氏(岩手県陸前高田市長)
司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)
インタビューは11月17日に行われました
第2部:人が住め、仕事の選択肢がある街をめざす
工藤:こういう言い方で説明していただきたいのですが、8年間という計画の中で、今はこの段階で、3年後にはこのぐらいの姿で、8年後にはこの姿を目指している、と。だけど、これに関してはこういう課題がまだ残っている、これに関しては政府で取り組んで欲しい、という形で説明することは可能ですか。
戸羽:政府云々というものよりは、テクニック的な話ですね、例えば、うちはまだ防潮堤がない。全部破壊されてしまったので。だから、街づくりの計画は、12.5メートルの防潮堤ができるという前提での計画なのです。この防潮堤ができるのに、早くて5年と言われています。そうすると、今、私が言っている、低い土地に家を建てる、お店を作る、というのは、リスクを背負ってでもやるよという人は別ですが、そうでない限りは我々から推奨するというわけにはいかないので、そこからもう計算が狂っているというところです。高台移転は高台に行くわけですから、そっちは先行してやっていきますし、あるいは災害公営住宅の建設も先行してやっていきますが、さしあたっては商店街もなにもかも仮設という形にしかならなくて、低いところに家を建てたいという方についても、防潮堤ができるまで待って下さい、と言わざるを得ません。ですから、災害公営住宅に一時的に住んでいただく、というパターンになると思います。
工藤:防潮堤が5年後にできるということは、確実なのですね。
戸羽:確実といいますか、県がそう言っていますから。県が施工しますので。
工藤:県が施工して、その分のお金はもう付いているのですね。
戸羽:はい。
工藤:そうですか。ではそこは動いている、と。あと、道路を作る話はどうなっていますか。
8年位で仙台までの高規格道路が全通というが、保証はない
戸羽:道路はですね、三陸縦貫自動車道は高規格道路で、高速道路よりランクが1つ下がるのですが、あの道路については国土交通省では8年ぐらいで仙台まで全通させると言っています。しかし私が気にしているのは、道路特定財源という制度がなくなってしまっていて、やるよって言ったって、本当に予算がとれるのかというところが実際あるわけです。ここらへんを、国会議員の先生方、あるいは国交省以外、特に財務省との間でちゃんと一致できているのかどうか。正直申し上げて、東北にばっかり、お金が行っていると言っている方々もいます。現実として仕方のないことです。そういった中でやるよ、と。大臣自ら8年で全通すると言っていただいて、大変ありがたいのですが、それを担保しているものは本当にあるのか、というと不安です。
工藤:昔だったら道路計画があって、その予算がちゃんと決まっている、と。そこまで明示的になっていると安心しますよね。
戸羽:そうなんです。これは国土交通省の方からも言われています。「首長の皆さん、ぜひ、それを政治家の皆さんやほかの省庁の皆さんにも言って下さい。我々は何としても作りたいけれども、お金がなければ作れないのですよ」と。そういうことですから、我々も機会があるごとにこれをお話させていただいています。
復興庁ができれば、窓口が1つになり、大変ありがたい
工藤:なるほど。復興庁も今度出来ますが、復興庁ができることへの期待はどのようなものですか。あまりないですか。
戸羽:いえいえ、復興庁は私たちもずっと求めてきています。ただ、野田総理と平野復興担当大臣の言っていることが設置する場所からしてまず違う。
国会で、野田さんは当初、東北に、平野さんは東京に、ということで、そういう違いがあることが1つ。ただ、例えば、先ほどの防潮堤の話ですが、海水浴場に作るのは国土交通省の担当の防潮堤、漁業をやっているところに作るのは農林水産省管轄の防潮堤なのですよ。ですから、通常のやり方をすれば、まず国土交通省にここからここまではお願いします、次は農林水産省に行ってお願いします、というやり方をしなければいけなかったわけです。これが、復興庁ができることによって、窓口を1つにしていただける。教育の問題であっても、道路の問題であっても、どの話も復興庁にすれば良いということにしていただけると聞いていますから、我々とすれば大変ありがたいです。
工藤:なるほど、窓口が一本化されると。震災後8ヵ月間、全然ダメだったけれども、ようやく動き始めているという感じですか。
3次補正予算は我々の要望をかなり盛り込んでくれた
戸羽:そうですね、私自身もかなり国に対して文句を言ってきて、相当嫌われていますけれど、ただ、この3次補正には、本当にこの間、私たちがお願いしてきたことを、かなり盛り込んでいただいています。その中にも、使い勝手の問題とか多少ありますけど、ただ、国としてかなり思い切ったことをしていただいたなと思っています。
工藤:そうですか。あと、色々な被災地に全国から支援が入って、NPOがなんとか応援したい、という形になっていると思うのですけれど、ちゃんとうまく機能しているのかという問題があります。どんなふうにNPOの役割を見ていましたか。
被災地支援のNPOなどに求められていること
戸羽:私たちは市役所そのものが被災してしまって、職員がかなり亡くなったりしている環境にあって、かなりマンパワーが足りないわけです。そういった中で、それぞれのNPOの方に来ていただいて、例えば、仮設住宅の高齢者の方々のケア、心のケアも含めて、それぞれの得意分野、NPOの目的に沿ってやっていただいていますから、こういった方々がいなければ、とてもとてもこの8ヵ月間やってこられませんでした。
工藤:これから、支援やNPOについて求められることって何なのでしょう? だんだんステージが変わってきましたよね。
戸羽:求められることというか、私がちょっとどうかな、と思っていることは、今でも物資を供給していただいているのですけれど、かえって、それが被災者の自立を阻害している、そういう人が若干いるな、ということを非常に危惧しています。
もう8ヵ月たっていて、しかも若い方で、仕事をしていない。被災地だって仕事が無いわけではないのですよ。だけど、米がないと言えば米を持って行ってあげた、歯ブラシがないと言えば届けてあげた、という方がいらっしゃる。それが本当は良いことなのかどうか。病気や怪我で仕事ができない高齢の方にならありがたい話ですけれど。NPOにもいろんな方がいらして「本当にNPOなの?」という方も実際はいるのですね。
工藤:例えばどんな人ですか?
戸羽:例えばNPO団体に間違いはないのですけれど、一生懸命、前半2週間ぐらい物資の供給、炊き出しなど、色々なことをやっていただいて、ありがたいので、私も、どうもどうもと友達のように接する。で、そのあとに「○○NPOの方がおみえになりましたよ」ということがある。お世話になったので、お通しして会って話をすると、いきなり別の名刺を出して、「実は私はこういう商売をしているのですけど」という話になる。このパターンは実際に非常に多い。
工藤:そうですか。
戸羽:商売してはダメなわけではないのですよ、ただ信頼関係としてはですね・・・。
工藤:そういう理由にして行って、ですか。その可能性はそんなに多いですか。
戸羽:いや、かなりの率であります。陸前高田市内は田舎なので、普段はNPO団体がほとんどない。ですから、NPOは非営利団体だということしか頭にないわけで、名刺をいただくと安心するのです。ああ、NPOの方なんだな、お手伝いに来てくれたんだな、と。けれど、結構裏切られていますね。ああいい人だな、申し訳ないな、ありがたいなと感じて、信頼関係ができて良かったなと思ったら、いきなり全然違う名刺を出して、すぐ商売、という話ですから。
いまはマイナスからやっと戻った段階,これからがスタート
工藤:次に聞きたいことは、かなりの覚悟で市長をやっておられますね。8年の復興計画や若い世代も自分たちに誇りを持てるように、ですとか。そのご自身の考えている復興に向けてのプロセスという点で見て、今はどういう位置にありますか。
戸羽:まさに今スタートですよね。これまでは復旧でマイナスから元のレベルまでやっと少し戻ってきたかな、というところですから、本当にこれから、ゼロからです。
工藤:これからですか。そして、住民の人たちが一緒に共有して考える。
戸羽:ただ街づくりに関して、私自身は、道路の位置をどこにするとか、人がどこに住むとかということに、あまり口出しをしないことにしています。それは、道路を通す位置というのは誰が考えたっていくつかのパターンのうちの1つになるのだと思うのです。私は、子供たちに夢を持ってもらうとか、若い人たちに定住してもらうことを考えると、やはり雇用の場ですとか、高齢者の福祉の充実といった、中身の話をしていかないといけない。ですからちょっと飛び道具みたいなところもありましたけど、ワタミ会長の渡辺美樹さんに参与になっていただいたり、あるいは青年市長会という若い市長さん達の集まりが昨日もありましたけど、そういう方たちの人脈も借りて、色々な企業の方々とお目にかかったり、あるいは、よその自治体から色々と直接支援をいただいたりしました。
とにかく人が住める、あるいは職業の選択がある程度出来る、そういうものを私は目指しているのです。そのことによって、高校、大学、専門学校、様々だと思いますが、自分が勉強してきたことが活かせる、とか、スバリでなくても「僕が勉強してきたことがこの仕事だったら活かせるかな」ぐらいの、4つか5つの選択肢、それが今までなかったものですから、そういうものを作ってあげることによって、若い人たちが頑張れる環境になるのかな、と思います。
工藤:つまり、ただ被災される前に戻るだけではないのですね。今、雇用という話が出ました。復興に関連してちょっと雇用はあるかもしれませんが、最終的にどのような雇用の場、産業、企業誘致をお考えですか。水産業とか農業の問題もありますよね。
被災前にあった課題も克服して、若者が出ていかない新しい街を
戸羽:水産業については、水産加工の会社がもう始まっています。お隣の宮城県の気仙沼市に本社があった会社にもう来ていただいて、300人くらいの雇用をする、かなり大きな加工所もできました。あと農業については、放射能の問題も気がかりですし、正直、陸前高田は中山間地域なので、専業農家の方はいないのです。ですから、今、植物工場や野菜工場のようなもの、スニーカーを履いてポロシャツを着て土に触らないで農業ができる、そういったものに今度チャレンジしてみます。これは若い人たちの就職の場になり、サラリーをもらって農業をやる、全部をそうするというわけにはいかないけれど、やっぱりそういったものに挑戦していくことは大事だなと思っています。あと、ワタミさんにコールセンターを作っていただいて、これは2月にオープンしますが、ここも100人ぐらいの雇用があると思われます。
田舎だからこそある農業や漁業は大事だと思っていますが、それだけでは今までみんな若者は出て行ったわけですから、若い人たちが「こういう仕事だったらな」と思うものも同時に作っていきます。今回被災してしまったことによって、被災前にあった課題も一緒に克服していかないと、復旧にしかならないので、新しい街を作ることを考えています。
工藤:それは、それは8年の中では、3年、5年と分けているのでしたっけ?
戸羽:計画自体は3年、5年としていますが、会社等については、土地の利用が決まっていないのですよね。でも実際には、企業をそんなに待たせるわけにはいかないですから、被災していない山手の土地ですとかを物色して、会社が立地できる場所を新しく探しているところです。
工藤:最後の質問なのですが、今回、被災地の復旧、復興のプロセスを通じて、地方自治について何か、お考えになったことはありますか。今まで、日本における地方分権の議論は、結構上から目線なのです。でも実際には、地域が課題に対して答えを出して、住民がそれに参加していくという仕組みが一番の理想です。今、東北はまさにそれを迫られて、現実的にやられているわけですよね。その実践側に立って、地方分権や地方自治の進め方について何かご意見はありませんか。これには非常に関心があります。
国は関与したがるが、地方からの取り組みこそ大事
戸羽:現状でも、例えば今度の3次補正の中で、復興交付金というのがあるわけですが、これは私たちが自由に使えるお金にして下さいと全員一致でお願いしてきて、そういう制度が創設されます。例えば、5省庁40事業とかって、なんでそういうものを作るの?となると、やっぱり関与したいわけじゃないですか。
工藤:国が?
戸羽:国が。あるいは先生方がですね。で、俺達のさじ匙加減で出るか出ないか、そこにちょびっとの権力を持っていたいのだろうな、と私は勝手に思っています。そうではなくて、やっぱり地方から積み上げていくことが、今求められているのだと思います。そうでなければ、逆に国がリーダーシップを発揮して、陸前高田はこういう街にします、道路はここに通して、人はここに住みますって言った方がわかりやすいのですよ。「おまえたちのアイデアでやれ」と言われ、私たちが計画を出せば、「ダメだよ、こんなの」と来るのですから。何なのだと思います。防潮堤だって、15メートルの物ができるということを前提で、当初、街をデザインしていました。そうしたら、15メートルはダメだ、12.5メートルしかできないよ、と言われて、こっちも変えなければダメだという話になった。
自分たちでデザインしていいって言われて、デザインすればダメだって言われる。だったら一緒に考えてください、と。国の方がいらっしゃって、我々がこういう計画なんですよと相談して、これは無理だよ、だったらこう変えた方がいいよ、と話し合う方が早いんじゃないですか、ということをずっと言ってきたわけです。なかなか、そこも......。
工藤:まだいかないですか。
戸羽:いかないですね。
工藤:その時、県と国との役割はどうですか。私たちは政府の政策を評価している団体なのですが、国と県との関係において、県に対する不満がある人が多いみたいなのですね。
戸羽:うちのような被災地は、国土交通省との関係が一番大きいと思いますが、非常にスムーズにいきます。国交省さんは特に被災地を心配していただいているということが、我々に伝わってくるので、有難いと思っています。ただ、間に県が入ると、何か急に規制の固まりみたいになって、国交省の方とお話をしたときと違うという話になってしまいます。これは、私だけではなくて、宮古市長や遠野市長など、みなさん、同じ事をおっしゃっています。極端なことを言えば、ある人は県なんかいらないよね、という人もいますから。
工藤:この問題は、別に地方分権の議論でやりたいと思うので、時間があったらご参加いただければと思います。本を見て、もう1つ気になって、ズバリ聞きたかったのですが、政治家が会いにきたら、Vサインで、ポーズだけとって帰ってしまう、という人が結構いたという話なのですが。
戸羽:Vサインは1人だけですが、本当に遊びに来る人はいますよ。
工藤:政治家でしょ。
戸羽:有名な方でも...名前言うと問題だと思いますが。
工藤:しかし、それは問題ですよね。
戸羽:ですから、うちの方は統一地方選挙が延期になって、県内で県議会選挙があったのですが、その前の決起大会に来て、そのついでに来たということを、わざわざ宣言してきた女性議員がいました。帰れこの野郎、ということで帰しましたけど。でも、自分のブログには、「今日、陸前高田に行ってきました」ということが掲載されていました。
工藤:それで、彼等はそれだけで何もしないでしょ。だから、こういう政治なり地方分権の在り方もこれを機会に見つめ直す必要がありますね。
戸羽:ただ、一方では岩手県選出の方々もそうなのですが、やはり被災地を分かっていたり、自分がそういう経験をされたことがあるとか、色々と事情はあると思いますが、本当に一生懸命な方も沢山いらっしゃいます。自分のことのようにやっていただいている方もいるし、一方で全然興味がない方もいらっしゃいます。1回ぐらい行っておくか、という感じの方もいます。だから、一概に国会議員の先生がダメとか、国がダメと言ってしまうと、何か国全体がダメだとか、国会議員さんがダメという風になってしまいますけど、なかには変な議員さんもいらっしゃいますし、中にはあまり動かない省庁もあります。私もどうしても、国が、国がと言うと、国全体を否定しているように聞こえるかもしれませんが、本当に国土交通省なんかには、発生当初からずうっとお世話になっています。
工藤:宮古市長もそのように言っていました。ただ、現場の状況がこういう形で語られることが非常に重要だと思っています。ほとんどの人は知らないのですよ。99%位の人は知らないと思います。何となく支援して、どうすればいいのか、という感じです。今日は来ていただいて本当によかったと思います。こういう議論をまたやっていきますので、8年間は付き合います。
戸羽:私の本にも書いてありますし、いつも言っていることですが、とにかく被災地の皆さんとういのは、毎日がんばっていますし、これから長い、長い闘いが始まります。ですから、私もがんばっていきますけど、情報発信をしていただいて、現状を1人でも多くのみなさんにお伝えいただければいいな、と思います。
工藤:これから、寒い冬がきますので、がんばってください。今日は、ありがとうございました。
戸羽:ありがとうございました。
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