工藤:言論NPOは10月25日から北京で「第9回 東京-北京フォーラム」を開催します。このフォーラムは現在、日中関係が非常に厳しい局面の中、この状況を打開するためにはどうすればいいのか、ということを両国の有識者が本音で話し合う場なのですが、この中には日本と中国のメディア同士が話し合う舞台もあります。今日は、その議論を前哨戦として、はスタジオに日本のメディアで活躍されている記者の方々をお呼びして、日本のメディアの問題と日中関係について議論します。それではゲストの紹介です。まず、共同通信社特別編集委員の会田弘継さんです。次に、毎日新聞専門編集委員の倉重篤郎さんです。最後に、NHK解説主幹の加藤青延さんです。
まず、この議論に先立って言論NPOに登録している有識者の方にアンケートを取ってみました。まず、「日本の新聞や雑誌、テレビは、日中問題に対して客観的で公平な報道をしていると思いますか」という質問をしました。回答では「そうは思わない」が70.8%で最多でした。続いて、そのような「客観的で公平な報道をしていないと思う媒体」は何かを聞いてみたところ、一番多かった回答は「テレビ」で79.5%。次に「週刊誌」が76.1%。そして、「新聞」が72.7%と、この3つの回答が7割を占める結果となっています。
「日本のメディアの日中関係の報道は公平で客観的ではない」、という回答の傾向が出たということは、逆に言えば「メディアはかなり過熱した、一方的な報道をしている」と思っている有識者がいるということだと思います。この結果についてどう思われますか。
既存メディアへの疑念を抱く有識者
会田:どのようなアンケートや世論調査でも対象となったのはどのような階層なのか、ということが問題になります。このアンケートは言論NPOに登録している有識者が対象ということで、回答者の属性を見ても年齢層が高く、職業的にも知識層が多いと思います。
この結果から読み取れることは、有識者はメディア報道の現状についてかなり懸念をしている、ということです。つまり、いわゆる既存のメディアがこの状況に対してきちんと対応できているのか、ということへの懸念を強く持っている、ということを示していると思います。
私は、新聞の報道姿勢については、特に日中間の対立やナショナリズムの過熱を煽っているような状況ではないと思います。ただ、オピニオンについてはどうかというと、日本では実に多様なオピニオンがあるわけですが、人々の注目を集めやすいのは、どうしても問題をこじらせるような論調になってしまいます。そのような状況に対する懸念の気持ちも表れている調査結果になったと思います。
倉重:私はこの回答結果の背景には去年の日本政府による尖閣3島の国有化問題があると思います。国有化に至るまでの過程における日本政府内部の動きや、日中両国政府間の折衝などについての事実関係がまだすべて明らかになっていない。なぜ、そこをメディアは書いてくれないのか、というメディアの真相究明にかける努力不足について指摘されているような印象を受けます。
加藤:私は「客観的」という概念が、受け取る方によってずいぶん違うのではないか、と思います。例えば、尖閣諸島の領有権については、私たちは日本のメディアですから、基本的には日本の領土である、という立場で報道します。その場合、「いや、中国は自国の領土だと言っているのではないか」という人たちからすると、私たちの立場は日本側に偏っていると見られるかもしれない。日本のメディアとしては中国の立場も紹介しているから「この報道は客観的だ」と考えるのですが、立ち位置が異なる人たちはそうは見ていないのかもしれません。一方で私たちが中国側の意見を報道すると、今度は「日本の領土だ」と思っている人たちが「なぜ中国の主張を紹介するのだ」と反発する。今度は逆の立ち位置から「客観的ではない」と思われるかもしれないわけです。
だから、私たちは、日本のメディアとしての立場もあるということも踏まえながら、両方の意見を紹介しますが、それで「客観的」という報道のつもりでやっていても、受け手によっては必ずしも客観的と捉えられていない可能性があり、それがこのような調査結果になったのだと思います。
比較的落ち着いている日本のメディア
工藤:アンケートではさらに、「日中関係を報道するにあたり、日本と中国のメディアのどちらかが過熱した報道をしていると思いますか」と「過熱」という言葉を加えた質問もしています。「日中両国のメディアが同じように過熱した報道をしていると思う」という回答が41.7%もありました。ただ、それを上回って最多となった回答が、「中国のメディアの方が過熱した報道をしていると思う」で43.3%でした。確かに、私も中国のテレビ報道を見たことがありますが、「日本と中国が戦争したらどちらが勝つか」、などまさに戦争前夜のような報道がありました。それと比べると、日本のメディアはまだそこまでの論調にはなっていないのですが、メディアによっては、日本でも過熱した報道も現実としてあります。過熱した刺激的な議論をする傾向は、日本のメディアの姿勢の中にもあるのではないか、という有識者は感じているのではないでしょうか。
加藤:中国は圧倒的にメディアの数が多いので、色々と探せばものすごく過激な論調もあるし、そうでない論調もある。同様に日本も多様なメディアがあり、論調も様々ですので、一概にどちらか過熱しているか、ということは言えないのではないかと思います。ただ、私は肌感覚で感じているのは、やはり、中国は昔から日本軍が悪いことをしているようなドラマばかり流してきて、そういう中にどっぷり浸かって、ある意味で反日的な放送が常態化しています。そこにさらにこの尖閣の問題など色々な反日を煽るような要素が上塗りされて余計に酷い報道になっている、というふうに有識者は感じているのではないか、と思います。
会田:メディアの特性として、外交問題では相手の国の過激な報道に目を付けがちになります。つまりある部分だけを大げさに自国に伝える傾向がある。中国で「開戦だ」、という発言があれば、中国ではこんなことを言っているぞ、と大袈裟に報じる。それは逆のことも起こっているかもしれないわけで、日本のメディアのある過激な部分だけが切り取られて中国のメディアによって中国国内に伝えられるということもある。それにより過熱化が増幅される、ということが問題の根底にあるのではないか思います。
ただ、加藤さんが言われるように、中国のメディアの中には間違いなく日本では考えられないような強いナショナリズムがあるのだろうと想像しますし、海外に出て例えば、CCTVなど中国のテレビの報道を見るかなり過激であると実感します。
一方、日本のメディアは、中国のメディアに比べるとちょっと落ち着いているのではないか、と思います。それは日本のメディアだけが突出して「戦争」という言葉を避けている。アメリカや欧州のメディアの報道でも「開戦間近」と煽ったり、開戦後のシミュレーションをしたりとか、しばしば見られます。それは興味本位であったりある種のイエロージャーナリズムのような側面があり、中国に限らず色々な国にそういう面が出ています。そのような中、日本のメディアではそういう言葉を使わないように避けている。それにはどういう心理的背景があるのか、議論する必要がありますが、私は日本のメディアは落ち着いていると思います。
工藤:日本のメディアが落ち着いているのは、良い落ち着きなのか、自粛しているのでしょうか。
倉重:両面あると思います。報道の宿命として、これまでとちょっと違った異様なことが起きていれば、それだけ手数を多くかけて映像を作るなど、大きな力を入れなければならなくなる。ただその反面として、メディアは過剰から過少へと極端な変化をする傾向があります。尖閣であれだけ一時騒いだのに、現在は日常化していますよね。日常化して何も問題を感じなくなっている。それもいかがなものかという感じがします。
情報の掘り下げができないメディア
工藤:アンケート結果からは、メディアが真相をちゃんと伝えているのか、ということに対する有識者からの一つの問いかけもあると思います。というのはやはり、尖閣問題を含めて日中関係には様々な歴史的な背景があります。それは多くの人にとってなかなか理解しにくい部分が結構あります。一般の人たちがきちんと問題の背景を判断できるような報道が十分になされているか、という疑問があるのですが、どうでしょうか。
加藤:私たちメディアの人間は極力真相に近いものを報道したい、と努力をしています。ただ、私たちが知りうる情報はどうしても限られている。例えば、尖閣の問題であれば、一番多く入ってくる情報は日本政府や海上保安庁からの情報です。逆に中国海軍や海警局などからの情報は私たちは貰えないわけです。そうするとどうしても、日本側の情報が圧倒的に多くなり、中国側が何を考えているのか、ということまで十分に伝えきれているのか、というと、それは物理的にも困難となり、真相にも迫り切れない、ということになります。
倉重:例えば、去年の尖閣国有化する閣議決定の2日前にウラジオストックで野田首相と胡錦濤国家主席が立ち話をしましたが、その時のやり取りが果たしてどういうものだったのか、明らかになっていません。「国有化するな」と中国サイドから相当牽制されたはずなのですが、それに対して日本政府はどういう判断をして2日後に国有化の閣議決定に至ったのか、というところについて、まだ事実関係の解明ができていないのです。このように日中関係のいくつかの重要な場面における真相が、我々の力不足もあり、できていない。民主主義国家である以上、国会の力を使って真相を究明してもいいのですが、ある程度はメディアの力によって真相を明らかにしていかなければならないと思っています。
会田:例えば、「棚上げについての合意があったのかどうか」、ということも含めて、あの時鄧小平や田中角栄は何を言っていたのか、ということについて色々な本も出版されています。そこで、おそらく国民が考えている尖閣問題の実相というものがあるはずなのに、それとすれ違った政府の立場を毎日のようにメディアを通して聞かされている。それが日本のメディアが「日中問題に対して客観的で公平な報道をしていると思いますか」、という質問に対して、「それは違う」という回答が出てきてしまう理由の一端だと思います。有識者は何か自分が持っている意識とは全然違うことをメディアが伝えている、というところに違和感を覚えているのではないか、と思います。
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主権問題に対する国家としてのスタンスと報道の在り方
工藤:今、出てきた論点というのは、メディアそのものに過熱させるような本質、つまり過激に報道してしまうことにメディアの特性があるようなところがある。あと、真相をきちんと伝えて切れていないのではないか、ということもあると思います。
もう一つ冒頭で気になったことがあります。加藤さんがおっしゃった、「立ち位置」という問題です。かなり難しい論点だと思うのですが、メディアの立ち位置というのは自国のナショナリズム、自国の利害を代弁する仕組みになってしまうのでしょうか。例えば、中国であればメディア報道が政府当局にある程度管理されています。一方で、日本は自由な社会で多面的なオピニオンがあってもいいと思うのですが、それでもメディアは日本の利益を背負うという報道をしてしまうのか。結局、主権を争ってしまうような問題が発生した時に、日本と中国のメディアが、それぞれ政府の代弁者として議論をしてしまうのではないか、という気がしています。この構造は、どう考えればよろしいのでしょうか。
倉重:その点について注意を払っているのは、歴史認識問題と領土問題です。ある意味で裏表の問題なのですが、両者で少し扱いが違う気がしています。歴史認識問題、例えば、靖国参拝をどうするのか、韓国の従軍慰安婦問題についてはメディアによっても違いはありますが、リベラルな立場をとりやすいと思います。ただ、領土問題など主権が絡む問題については、報道の仕方が難しくなります。本来は色々な捉え方があると思うのですが、日本が国家としてどのようなスタンスをとっているのか。日本の外務省が過去にどういう外交をしてきて、これからどうしようとしているのか、ということを無視して書きにくいという面があります。
工藤:日本のメディアはかつて太平洋戦争の時に戦争を煽ってしまう、加担してしまうような報道をしてしまったということが総括されています。しかし、構造としては現在でも同じような状況になってしまうのではないか、という気がしています。この点についてはどうですか。
倉重:ナショナリズムを背負ってどこまで報道するのか、ということは非常に難しいところです。過去の痛い経験もあるので、私たちメディアも極力抑制的に報道しているつもりです。日本の領土問題は尖閣を始め3つありますが、北方領土問題がどうだったかということを考えますと、1956年に2島の先行返還論が出て、それが撤回されてから一歩も進んでいません。それは外務省がそういう外交を行い、歴代の自民党政権がそれに従ってきたという構図でした。しかし、メディアも同様に従ってきたわけです。メディアの情報ソースがどこから来るのか、といったら、日本の外務省しかないわけです。例えば、ロシアやアメリカを始めとして、世界には世界的な視野から大局的に物事を見ることができる記者もいるとは思うのですが、そういう記者が日本にも数多くいて、日本の外務省からの情報の重要性を相対的に小さくするようなことができれば、もっと北方領土問題における報道でも違った展開があったのではないでしょうか。そういう意味では、記者クラブ制度のような記者の独自取材する力が育たないシステムの存在も問題の背景にあるのではないか、と思います。
政府をけん制するような報道も日本のメディアの役割
会田:メディアがナショナリズムを煽るというのは、19世紀、20世紀前半まではあったと思います。しかし少なくとも、先進諸国では冷戦以降、そういう傾向はあまり見られなくなってきたのではないかと思っています。むしろ、自国政府のナショナリズムを批判していくような流れにきているのではないでしょうか。アメリカのメディアがイラク戦争の時に非常に大きな間違いをしていますが、彼らはすぐにどこで間違い、どうナショナリズムに加担したのか、ということを自分たちで検証しました。多くの先進国メディアは、かなりグローバルに自分たちの位置を考えながら報道するようになっていると思います。
日本の状況はというと、先程、倉重さんもおっしゃっていたように、ニュースソースを外務省に頼ることが多いのですが、外務省担当の記者も世界各国の報道に目を配りながらやっていると思います。ですから、20世紀前半と比べると、随分違ってきていて、先程工藤さんがおっしゃったような状況は、半世紀ぐらいまでのメディアの状況だと思います。日本のメディアも物事をもっとグローバルに見るようになり、脱ナショナリズム化に向かって、自国政府のナショナリズム的な行動を批判します。
しかし、日本のメディアが自国の政府を批判する記事を逆手にとって、ナショナリズムが強い中国のメディアがそれを材料にして、日本批判をして、自国のナショナリズムを煽る、ということが起こっています。つまり、日本と中国の近代化の段階の違いが、メディア報道の在り方の違いにも表れているのではないでしょうか。
工藤:メディアが政府に対してけん制するような報道をしたら、それを中国に逆手にとられてしまい、日本が不利になる。そうすると、日本のメディアは報道を自粛するという形になるのでしょうか。
会田:日本のメディアは自粛しないと思います。それは、政府をけん制するようなことを報道することも、戦前、戦中の反省から、メディアの重要な役割だと思い続けているので、尖閣問題について知り得たことは、極力報道していると思います。しかし、中国はメディアの役割が違いますから、自国政府の何が間違っているのか、という検証報道はしません。
メディア報道は主観的、感情的、一方的なものになっているのか
工藤:今回行ったアンケートの中で自由記述欄もあったので、その内容を一部紹介してみます。「日本のマスコミは、反中感情を刺激するような主観的、感情的、一方的な報道をしているのではないか。日本側に不利な情報は一切報道しない。また、右派の極端な発言や暴言を疑問視したり批判することもなく黙殺放置している。領海問題などのTV・ラジオ報道では、わざとナレーションの声音までおどろおどろしく感情移入して『演出』しているのではないか。これは宣伝、扇動と見られるのではないか」というような意見がありました。一般の人たちから見れば、記事の背景にある考え方などは別にして、出てくるものを見ているだけなので、そういうふうに感じる人もいると思います。この意見についてはいかがでしょうか。
加藤:主権の問題と、ナショナリズムの問題は分けて考えなければいけないと思っています。NHKの場合は、不偏不党であることと、客観的に報道しなければいけないことが法律で決められていますから、何事も客観的に報道するしかありません。ただ、主権の問題ということになると、NHKは日本の放送局ですから、尖閣問題に関して「日本と中国の間で尖閣諸島の領有権に関する争いがある。尖閣には領土問題がある」、とは言わずに、やはり「尖閣諸島は日本の領土です」、と言います。しかし、だからといって、日本政府の言いなりで報道しているのか、というとそうではありません。我々は常に、自分たちの独立した視点で日本政府の間違いを正す必要があるし、他の外国政府が正しいことを言っていればそれを伝える義務があるわけです。決してナショナリズムを煽っているわけでもなく、乗っかっているわけでもありません。
本来の意図とは違う形でナショナリズムを煽ってしまうメディアのジレンマ
工藤:主権を争う時には、政府やメディアも含めて、色々なジレンマを抱えてしまうのではないか、と思ってしまいます。アンケートでは、メディア報道も、きちんと報道することによって、本来は国民感情を過熱させるということを意図していないのだけど、結果的に国民感情を過熱させてしまう、というジレンマがあるのではないか、ということを問題提起しました。
そうしたところ、61.7%の人がそのようなジレンマは「存在していると思う」と回答しているのですが、このジレンマは本質的に避けられないのか、それとも努力によって避けられるのでしょうか。
加藤:非常に難しい問いかけだと思います。例えば、尖閣諸島の周辺に中国の船が入ってきて領海を侵犯した。そこでそれをNHKの飛行機が飛んで行って撮影したとしましょう。これを視聴者が見た時に、「中国の船が領海侵犯してきてけしからん」という見方もできるし、「日本の飛行機が飛んで行って撮影しているけれど何も攻撃されないぐらい平和なのだ」という見方もできるわけです。
物事の本質をどこまで正確に伝えるのか、というところで視聴者に伝わっていない部分があるかもしれないけれど、人によって色々な見方があり得る以上、どこまで伝えればいいのか、ということは非常に難しいですね。
工藤:今の話を聞いていて、過去の東京-北京フォーラムでも同じような議論があったことを思い出しました。確かに、単なる事実でも、それを何十回も何百回も伝えてしまうと、問題を大きく見せてしまう、ということもあるような気がします。それが、結果としてジレンマをもたらしてしまう、ということがありますね。
会田:日本の中核的なメディアは、ナショナリズムを煽ったり、過熱させようと意図していることはないと思っています。客観的に見て、そう思います。ただ、新聞は色々な意見を掲載します。オピニオン欄が重要になってきている。その中で、ナショナリスティックな意見も捨てていないわけです。そういうものを見て、ナショナリズムを煽っている、と感じる読者もいるかもしれません。しかし、全体的なバランスとしては、そうなっていないと思いますし、そうしようと思っているエディターもいないと思います。
近代的なメディアはナショナリズムと密接につながっているのも事実ですが、ここ半世紀ぐらいは、日本も含めた主要先進諸国のメディアは、ナショナリズムを煽るような報道はしていないと思います。ジレンマという意味では、私たちが自国の政府を批判した報道をすると、例えば、関係が良好ではない他国の中で、その報道が思いもよらない反響を呼んでしまう、ということ起こり得ることが、一つのジレンマといえるのではないか、と思います。
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工藤:さらに、アンケートでは、「現在の日本の世論に対してどのような認識を持っているか」ということも尋ねています。「右寄りだと思う」の10.0%と「どちらかといえば右寄りだと思う」の39.2%の回答を合わせると、49.2%と半数近くの人が日本の世論は右寄りだと思っています。一方で、「左寄りだと思う」2.5%と「どちらかといえば左寄りだと思う」の5.0%の回答を合わせると、7.5%ですから、明らかに右寄りだと感じている人が多いことが分かります。
また、メディアのジレンマが生じている状況の中で、「メディアが持つオピニオンという役割に期待していますか」、と聞いてみました。これまでの議論からすると、メディアのオピニオンの役割はあまり期待されてないのかと思ったのですが、驚いたことに、「期待している」という回答が37.5%で、「どちらかといえば期待している」という回答が32.5%ですから合わせて7割くらいの有識者が期待していることになります。
そして、最後に今日の討論のテーマになりますが、「あなたはメディアが戦争を止められると思いますか」、と聞いてみました。客観的ではない、不公平と評価であれば、「止められない」と思うのが当然だと思うのですが、「止められると思う」という回答が36.7%で最多でした。「止められないと思う」という回答も32.5%ありますので、拮抗はしていますが、「止められると思う」という期待を有識者は持っています。
これらの回答結果について最後にお聞きしたいと思います。まず日本の世論の状況について、現在、日本の世論は右になっているのでしょうか。
政府とは異なる選択肢を示すメディアのオピニオン
倉重:はい。私もそういう感じがしますし、実際そう指摘する人も多いです。やはり、領土問題を抱えていると、韓国に対しても中国に対しても、その背景は色々あるにせよ、右傾化の傾向は出てくると思います。また、日本がアジア第一の経済大国であった時代が終わって、中国に追い抜かれてしまったショックや、長期にわたる経済の低迷という閉塞感の中、どうすれば日本人としてのアイデンティティーを確立できるのか、という端境期にあるから、ますますそういう右傾化の傾向は出てきていると思います。
ただ、その中で、日本メディアのオピニオン形成には期待があります。オピニオンには、政府が取り組んでいることを評価しながらも、それとは違う選択肢を提示するという役割があると思います。その時に、日本の右傾化しつつある世論との心理的な戦いという、まさにジレンマみたいなものを感じながらやっていくことになります。そういう意味ではメディアにはこれから非常にやるべきことが多いし、大変な作業が残っていると思います。
工藤:ある新聞の記者に話を聞いたら、何か少しまじめな議論をすると右寄りの人から抗議の電話がたくさんある、ということを聞いたことがあります。それくらい世論の右傾化という問題が新聞報道に対するプレッシャーになっているんでしょうか。
倉重:そうですね。右寄りなネット世論からの攻撃は多少あると思います。ただ、領土問題に関しては毎日新聞もそれほど踏み込んだ論説は書いているわけではないので、今のところそういうプレッシャーを感じたことはありません。むしろ、靖国報道において多いような印象があります。
工藤:たぶん現在、問題になっている「右」というのは愛国というよりも、何か復古的な色彩を帯びている、あるいは、他国を攻撃するようなナショナリズムのあり方、なのではないでしょうか。
会田:元来、アイデンティティーと復古主義は密接な関係にあるものです。自分たちのアイデンティティーを探すとなると過去に行くのが一番手っ取り早いのですから、これはもう表裏一体の話ですよね。それから、グローバリゼーションの進展に伴い、あらゆるところで国境が見えなくなってきていますが、これに抗う時、人が最初に求めるものが国民としてのアイデンティティーということになるわけです。ただ、これは、日本に限らず、色々なところで起こっている現象です。だからそれでいい、と私は言っているのではなくて、それを乗り越えるのはどういう方法があるのかをみんなで考えていかないといけない。そういう問題をどうやって乗り越えるのか、まだ答えが見つかっていないところに私たちはいるのだと思います。
加藤:私の実感としては、日本社会が右寄りになったというよりは、左がいなくなったという感じです。やはり、日本は左になっても右になっても、とにかく社会全体が一つの方向に一直線、一辺倒に進んでしまう、ということが一番怖いと思います。色々な意見が百家争鳴していて、考えられる選択肢がたくさんある社会が、私は日本の世論にとって幸せな状況ではないかと思います。そういう意味では、現在ちょっと偏っているところがあるかもしれませんので、色々なものの見方や情報がもっと出てきてもいい。そういう意味では、私たちメディアももう少し努力しなくてはいけないと感じています。
人々に針路を示すことがオピニオンの役割
工藤:日本には冷静なところはあると思います。ただ、何となく、一部にそういう右寄りで過激なことを言う人がいるにもかかわらず、なかなかその言説を批判しにくくなってしまう雰囲気があるような気がしていますが、そういうことを考えるとなおさら先程のオピニオンという、メディアにおける言論の役割が非常に重要になってきていると思います。メディアの持つオピニオンという役割に7割の人が期待しているというアンケート結果ですが、まさにその当事者である皆さんはこの回答結果をどう受け止めましたか。
倉重:ありがたいことです。それと同時に、やはり有識者は「メディアに期待するしかないのではないか」、と思うところがあるのでしょう。特に主権が絡む、尖閣問題というのは、政府ベースの外交に任せていたら戦争に至るかもしれない。そういう不安の中で、勇ましい言説だけではなく、日中関係の大局的な見地に立った冷静な意見も出てくるような言論の多様性の基盤の構築をメディアに期待しているような気がします。
加藤:特にオピニオンに対する期待が高まった理由はインターネットにあるのではないかと思いました。インターネットの高度化によって情報があふれる時代になったので、情報は自分から探しに行けるようになる。すると、自分である方向性のものを知りたいと思ったならば、どんどん知ることができる。だから、右でも左でもどちらかに走ったらどちらでも行けるようになっています。ただ、逆にそういう時代には、「では、どういうふうに考えたらいいんだろうか」、という一種の先生、リーダーみたいな存在がいないのですね。そこで、メディアに対してある程度一つの考え方を規範として示してほしい、という気持ちが出てきているのではないかなと思います。
会田:先程の話にもつながりますが、現在は端境期であり、色々な面で人々がアイデンティティークライシスに直面しています。だからこそ、安易なナショナリスティックなアイデンティティーにすがろうとする人が出てくるわけだし、そこまでいかなくても多くの人が迷っている。だから、そこでオピニオンを読みたい、という欲求が出てくるのだと思います。オピニオンを読むことによって新しい指針を求めている、という人が多い。それは事実だろうと思います。実際、明らかにここ数年、新聞、あるいはテレビの放送を見ても、オピニオン欄、あるいはオピニオン的な番組が増えていますので、メディアのオピニオンに対する社会の要請は非常に強くなってきています。
しかし、それが本当に良いことなのか、というと少し怖いところがあると思っています。つまり、オピニオンばかり見ていて、それを形成する下地となるファクトについての意識が薄れているような印象を受けます。事実をきちんと押さえずに、オピニオンだけが勝手に動き回っているような傾向は良くないのではないかと思っています。
メディアは戦争を止められるか
工藤:今のオピニオンに対する期待も含めて、有識者には現状に対する危機感があるのではないかという気がしています。その危機感を解消するために、メディアが本気でやってくれないと駄目なのではないか、という意識があるのではないでしょうか。
なぜそう思ったかというと、アンケートで「メディアが戦争を止められると思いますか」と尋ねたところ、意外にも「止められると思う」との回答が36.7%と最多だったからです。このような人は、「メディアはもう駄目だ」と突き放しているのではなくて、尖閣問題も含めて危機管理ができていない状況の中で、偶発的な事故があった場合に、どうなるかわからないという不安感があり、その中でメディアに対して期待をしているのだと思います。つまり、この回答結果は、メディアのオピニオンに対して、ある意味で激励、一方で警告だったりするのではないか、という感じがしました。
そこでお尋ねしたいのですが、メディアは戦争を止められますか。
倉重:非常に難しい問題ですが、止めるための一助にはなると思います。全面的な戦争に突入する、という状況を抑え切れるかというと、過去の歴史を見る限り、あらゆる戦争の時に色々なメディアが戦争を阻止しようと論陣を張りましたが、結果は歴史が示す通りですので、難しいと思います。
しかし、なぜオバマはシリアに侵攻しなかったのかというと、やはりメディアが過去の戦争の失敗を徹底的に検証して、問題提起をした。それを国民が広く知るところにいたり、その代表者である議会が消極的になったという意味では、メディアが役割を果たしたのだと思います。ですから、日本でも戦争という経験をしているわけですから、日本のメディアもそれなりの役割を果たせるのではないかと思います。
加藤:止めたいと思います。だけど、止められるかと言われると、その自信は大きくありません。戦争になる前というのは、政府からあまり情報が出てきませんし、突発的に起こるかもしれないわけです。そうなった場合に、一旦やられてしまったら、「仕返しをするな」という冷静な世論があるのだろうか、と疑問に思ってしまいます。
ただ、私たちも第二次世界大戦以降、平和主義をずっと守ってきて、平和の尊さというものを受け継いできたわけですから、これを何としてでも受け継いでいきたい、という気持ちは非常に強い。そういう意味からも、戦争の悲惨さというものを、強く訴えかけていきたいと思います。
会田:昔以上に言葉やイメージの力というものが国際政治の中で大きくなったのは間違いありません。現在、国家はほとんど戦争が出来ない状況になっていると思います。その中で、小さな紛争が起きる可能性があったとして、それを止めるためには、正当性やイメージが非常に重要になってきています。それを世界に向かって主張したり、声をグローバルに伝えることは、まさにメディアの役割だと思います。
工藤:だからこそ、メディアのオピニオンの役割ということが本質的に問われている局面に来ているのではないか、という感じがしました。
ということで、今日はメディア報道と日中関係について議論してきました。今回のテーマは、本質的な問題を抱えているのでまだまだ十分ではありませんが、その重要性の一端を少しは垣間見えたかと思います。10月26日には今度は北京で、中国のメディアも交えながら、メディアは戦争を止められるのか、を本気で議論してみようと思います。この議論の内容は、言論NPOのホームページで公開しますので、ぜひご覧いただければと思います。今日は皆さん、ありがとうございました。
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2013年10月18日(金)
出演者:
会田弘継氏(共同通信社特別編集委員)
倉重篤郎氏(毎日新聞専門編集委員)
加藤青延氏(NHK解説主幹)
司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)
工藤:言論NPOは10月25日から北京で「第9回 東京-北京フォーラム」を開催します。このフォーラムは現在、日中関係が非常に厳しい局面の中、この状況を打開するためにはどうすればいいのか、ということを両国の有識者が本音で話し合う場なのですが、この中には日本と中国のメディア同士が話し合う舞台もあります。今日は、その議論を前哨戦として、はスタジオに日本のメディアで活躍されている記者の方々をお呼びして、日本のメディアの問題と日中関係について議論します。それではゲストの紹介です。まず、共同通信社特別編集委員の会田弘継さんです。次に、毎日新聞専門編集委員の倉重篤郎さんです。最後に、NHK解説主幹の加藤青延さんです。
まず、この議論に先立って言論NPOに登録している有識者の方にアンケートを取ってみました。まず、「日本の新聞や雑誌、テレビは、日中問題に対して客観的で公平な報道をしていると思いますか」という質問をしました。回答では「そうは思わない」が70.8%で最多でした。続いて、そのような「客観的で公平な報道をしていないと思う媒体」は何かを聞いてみたところ、一番多かった回答は「テレビ」で79.5%。次に「週刊誌」が76.1%。そして、「新聞」が72.7%と、この3つの回答が7割を占める結果となっています。
「日本のメディアの日中関係の報道は公平で客観的ではない」、という回答の傾向が出たということは、逆に言えば「メディアはかなり過熱した、一方的な報道をしている」と思っている有識者がいるということだと思います。この結果についてどう思われますか。
既存メディアへの疑念を抱く有識者
会田:どのようなアンケートや世論調査でも対象となったのはどのような階層なのか、ということが問題になります。このアンケートは言論NPOに登録している有識者が対象ということで、回答者の属性を見ても年齢層が高く、職業的にも知識層が多いと思います。
この結果から読み取れることは、有識者はメディア報道の現状についてかなり懸念をしている、ということです。つまり、いわゆる既存のメディアがこの状況に対してきちんと対応できているのか、ということへの懸念を強く持っている、ということを示していると思います。
私は、新聞の報道姿勢については、特に日中間の対立やナショナリズムの過熱を煽っているような状況ではないと思います。ただ、オピニオンについてはどうかというと、日本では実に多様なオピニオンがあるわけですが、人々の注目を集めやすいのは、どうしても問題をこじらせるような論調になってしまいます。そのような状況に対する懸念の気持ちも表れている調査結果になったと思います。
倉重:私はこの回答結果の背景には去年の日本政府による尖閣3島の国有化問題があると思います。国有化に至るまでの過程における日本政府内部の動きや、日中両国政府間の折衝などについての事実関係がまだすべて明らかになっていない。なぜ、そこをメディアは書いてくれないのか、というメディアの真相究明にかける努力不足について指摘されているような印象を受けます。
加藤:私は「客観的」という概念が、受け取る方によってずいぶん違うのではないか、と思います。例えば、尖閣諸島の領有権については、私たちは日本のメディアですから、基本的には日本の領土である、という立場で報道します。その場合、「いや、中国は自国の領土だと言っているのではないか」という人たちからすると、私たちの立場は日本側に偏っていると見られるかもしれない。日本のメディアとしては中国の立場も紹介しているから「この報道は客観的だ」と考えるのですが、立ち位置が異なる人たちはそうは見ていないのかもしれません。一方で私たちが中国側の意見を報道すると、今度は「日本の領土だ」と思っている人たちが「なぜ中国の主張を紹介するのだ」と反発する。今度は逆の立ち位置から「客観的ではない」と思われるかもしれないわけです。
だから、私たちは、日本のメディアとしての立場もあるということも踏まえながら、両方の意見を紹介しますが、それで「客観的」という報道のつもりでやっていても、受け手によっては必ずしも客観的と捉えられていない可能性があり、それがこのような調査結果になったのだと思います。
比較的落ち着いている日本のメディア
工藤:アンケートではさらに、「日中関係を報道するにあたり、日本と中国のメディアのどちらかが過熱した報道をしていると思いますか」と「過熱」という言葉を加えた質問もしています。「日中両国のメディアが同じように過熱した報道をしていると思う」という回答が41.7%もありました。ただ、それを上回って最多となった回答が、「中国のメディアの方が過熱した報道をしていると思う」で43.3%でした。確かに、私も中国のテレビ報道を見たことがありますが、「日本と中国が戦争したらどちらが勝つか」、などまさに戦争前夜のような報道がありました。それと比べると、日本のメディアはまだそこまでの論調にはなっていないのですが、メディアによっては、日本でも過熱した報道も現実としてあります。過熱した刺激的な議論をする傾向は、日本のメディアの姿勢の中にもあるのではないか、という有識者は感じているのではないでしょうか。
加藤:中国は圧倒的にメディアの数が多いので、色々と探せばものすごく過激な論調もあるし、そうでない論調もある。同様に日本も多様なメディアがあり、論調も様々ですので、一概にどちらか過熱しているか、ということは言えないのではないかと思います。ただ、私は肌感覚で感じているのは、やはり、中国は昔から日本軍が悪いことをしているようなドラマばかり流してきて、そういう中にどっぷり浸かって、ある意味で反日的な放送が常態化しています。そこにさらにこの尖閣の問題など色々な反日を煽るような要素が上塗りされて余計に酷い報道になっている、というふうに有識者は感じているのではないか、と思います。
会田:メディアの特性として、外交問題では相手の国の過激な報道に目を付けがちになります。つまりある部分だけを大げさに自国に伝える傾向がある。中国で「開戦だ」、という発言があれば、中国ではこんなことを言っているぞ、と大袈裟に報じる。それは逆のことも起こっているかもしれないわけで、日本のメディアのある過激な部分だけが切り取られて中国のメディアによって中国国内に伝えられるということもある。それにより過熱化が増幅される、ということが問題の根底にあるのではないか思います。
ただ、加藤さんが言われるように、中国のメディアの中には間違いなく日本では考えられないような強いナショナリズムがあるのだろうと想像しますし、海外に出て例えば、CCTVなど中国のテレビの報道を見るかなり過激であると実感します。
一方、日本のメディアは、中国のメディアに比べるとちょっと落ち着いているのではないか、と思います。それは日本のメディアだけが突出して「戦争」という言葉を避けている。アメリカや欧州のメディアの報道でも「開戦間近」と煽ったり、開戦後のシミュレーションをしたりとか、しばしば見られます。それは興味本位であったりある種のイエロージャーナリズムのような側面があり、中国に限らず色々な国にそういう面が出ています。そのような中、日本のメディアではそういう言葉を使わないように避けている。それにはどういう心理的背景があるのか、議論する必要がありますが、私は日本のメディアは落ち着いていると思います。
工藤:日本のメディアが落ち着いているのは、良い落ち着きなのか、自粛しているのでしょうか。
倉重:両面あると思います。報道の宿命として、これまでとちょっと違った異様なことが起きていれば、それだけ手数を多くかけて映像を作るなど、大きな力を入れなければならなくなる。ただその反面として、メディアは過剰から過少へと極端な変化をする傾向があります。尖閣であれだけ一時騒いだのに、現在は日常化していますよね。日常化して何も問題を感じなくなっている。それもいかがなものかという感じがします。
情報の掘り下げができないメディア
工藤:アンケート結果からは、メディアが真相をちゃんと伝えているのか、ということに対する有識者からの一つの問いかけもあると思います。というのはやはり、尖閣問題を含めて日中関係には様々な歴史的な背景があります。それは多くの人にとってなかなか理解しにくい部分が結構あります。一般の人たちがきちんと問題の背景を判断できるような報道が十分になされているか、という疑問があるのですが、どうでしょうか。
加藤:私たちメディアの人間は極力真相に近いものを報道したい、と努力をしています。ただ、私たちが知りうる情報はどうしても限られている。例えば、尖閣の問題であれば、一番多く入ってくる情報は日本政府や海上保安庁からの情報です。逆に中国海軍や海警局などからの情報は私たちは貰えないわけです。そうするとどうしても、日本側の情報が圧倒的に多くなり、中国側が何を考えているのか、ということまで十分に伝えきれているのか、というと、それは物理的にも困難となり、真相にも迫り切れない、ということになります。
倉重:例えば、去年の尖閣国有化する閣議決定の2日前にウラジオストックで野田首相と胡錦濤国家主席が立ち話をしましたが、その時のやり取りが果たしてどういうものだったのか、明らかになっていません。「国有化するな」と中国サイドから相当牽制されたはずなのですが、それに対して日本政府はどういう判断をして2日後に国有化の閣議決定に至ったのか、というところについて、まだ事実関係の解明ができていないのです。このように日中関係のいくつかの重要な場面における真相が、我々の力不足もあり、できていない。民主主義国家である以上、国会の力を使って真相を究明してもいいのですが、ある程度はメディアの力によって真相を明らかにしていかなければならないと思っています。
会田:例えば、「棚上げについての合意があったのかどうか」、ということも含めて、あの時鄧小平や田中角栄は何を言っていたのか、ということについて色々な本も出版されています。そこで、おそらく国民が考えている尖閣問題の実相というものがあるはずなのに、それとすれ違った政府の立場を毎日のようにメディアを通して聞かされている。それが日本のメディアが「日中問題に対して客観的で公平な報道をしていると思いますか」、という質問に対して、「それは違う」という回答が出てきてしまう理由の一端だと思います。有識者は何か自分が持っている意識とは全然違うことをメディアが伝えている、というところに違和感を覚えているのではないか、と思います。