「民間外交」の可能性

2013年10月22日

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工藤泰志工藤:言論NPOは10月25日から、北京で「第9回東京-北京フォーラム」を開催します。このフォーラムは日本と中国の間にどのような困難な問題が起こっても、民間の「対話の力」でそれを乗り越えることを目指して、8年前に立ち上げました。特に今年は日中関係が非常に厳しい状況の中、政府間ではその打開の糸口すら見いだしていません。この民間の対話によって私たちは何ができるのか、それが私たちの最大の問題意識です。このフォーラムを単なる対話ではなく、皆さんにも日中関係や、日本の外交自体のあり方について考えていただくきっかけとなるように、先日から議論を行っています。今回はその第3回目の議論として、「民間外交の可能性」について議論をしてみたいと思っています。

 さて、ゲストの紹介です。まず、東京大学大学院総合文化研究科准教授の川島真さん。次に、慶應義塾大学総合政策学部准教授の神保謙さん。最後に、広島修道大学法学部教授の三上貴教さんです。

 まず、現在の東アジアの外交において、なかなか政府間外交が機能していません。この現状について、どのように考えていますか。


動けない政府間の外交

川島真氏川島:現在、東アジアでは、領土の問題など主権を争う問題が出ています。国家というものはその性質上、主権問題で相手国に対して譲歩をすることは極めて難しい。より大きな共通の国益が出てくれば乗り越えられますが、そのようなものはなかなか出てこない。ですから、主権が絡む領域の問題においては、政府間外交が動くことができなくても、(政府と立場が異なる)民間外交には問題解決の突破口を開くことができる、という可能性が出てくると思います。

神保謙氏神保:現在、北東アジア、特に日韓、日中の間で首脳外交のインターアクションがなかなか起きてきません。今年の秋はAPECや、東アジア首脳会談もあり、この多国間外交の場で、お互いの首脳が会うチャンスもあったのですが、それもうまく生かすことができなかった。その背景にはお互いの国が抱えている国内世論があります。その世論は主権をめぐる問題については極めて非妥協的であり、この非妥協的な世論を見ると、政府もなかなか相手国に対して妥協をするような外交姿勢は取れません。今後数か月間、数年間を見据えて、日本の政府と「今握手しても大丈夫だ」、という状態を作れるかどうか、ということに関して、まだ、中韓はゴーサインを出せるような段階にはない、と思います。

三上貴教氏三上:私の専門分野であるパブリック・ディプロマシー論の視点から申し上げたいと思います。現在、中国が新しい大国として、国際社会の中で台頭していく中で、果たしてこれまでのやり方で日中間の外交が機能するのか、というと、やはり、中国がこれだけ力をつけ、その一方で日本は相対的に国際的な影響力を減じているとなると、日中間の外交も難しくなってきます。そうなってくると、政府間外交だけではなくて、言論NPOが取り組んでいるような民間のパイプなどを活用した多層で、複眼的な観点からアプローチをしていく必要があると思います。そうしなければ今の困難な情勢はとても打開できないと思います。


世論によって制約を受ける政治

工藤:現在の日中関係は、東シナ海における緊張状態の緩和をはじめとして、政府間外交の役割が非常に問われている局面だと思います。しかし、日本と中国の動きを観察すると、政府間が積極的にこの状況を改善するために動こうとしていない。それどころか今は特に関係改善のための動き出さなくてもよいのではないか、というような見方すら一部に存在しているような印象を受けます。政治指導者がこの問題を解決しようと積極的に乗り出すと、劇的に日中関係は改善に向けて動き出すのですが、現実の事態はそういう流れではない。逆に、互いに日中両国の反発を煽るような出来事が散見されます。政府間外交が今、きちんと日中間の課題に応えていく、という状況になっていないことについて、どう考えますか。

川島:日中関係に限っていえば、中国にとっての対日外交というのは、内政の大きな焦点になっています。同時に、日本の国政にとっても対中外交は大きな焦点です。ですから、中国とどう付き合うか、ということについては、日本の中には「経済関係も含めて中国と関係を再構築すべきだ」、という人もいるし、「中国には毅然とした姿勢で臨むべきだ」、という人もいる。中国の方では保守派は日本に対して強硬ですが、発展派の方は改善してほしいと思っている。両国ともに世論はそのように割れています。そのような中では政府はリスクが取れない。すなわち、どちらが世論の中間点なのか分からないので、どちらにも寄れない。その結果、何もできないという不作為状態になるわけです。そのような状況の中で、できることは何か、と考えていくと、日中の民間の中で、対話をしていき、ある種の共通のコンセンサスを作っていく。そして、それを双方の政治に反映させていく、ということではないかと思います。難しいかもしれませんが、現状では政府同士で何かをやるよりは可能性があると思っています。

神保:例えば、日中国交正常化前は、当然、両国の経済交流はごく限られたものだったわけですが、今日、お互いに深く経済的に相互依存をしていて、政府間のコンタクトが薄くなっても、基本的には対中投資、あるいは中国におけるビジネスの活動というのは日々営まれています。それだけ経済界では草の根レベルの強靭な関係が日中間にはある、ということだと思います。

 だからといって、政府がこのままの状況を放置していい、ということにはならないのですが、ただ、中国も韓国も日本に対する要求の水準がちょっと高すぎます。現状では日本側が妥協できないようなラインにまで行かないと、向こうが対話のドアを開けない、ということになっている。日本にとっては中韓に近づくことがすなわち、日本国内世論が納得できない妥協外交に陥ってしまうということになってしまう。これでは互いが睨み合ったまま、一歩も近づけない、という構造になってしまいます。

 妥協可能な政治的意思というものが出てこないとなかなかお互いに歩み寄ることができない。そして、歩み寄るためには同時並行的に妥協を示さないと、上手くいかない。そのための政治環境をいかにして作るか、ということが課題として出てきている段階だと思います。

三上:政府レベルの外交に関して私は悲観的に捉えています。リアリスト的な発想ですが、安全保障に関連する問題の場合、相手国の動きに対して常に備えておく必要がある。備えておくことによって脅威を感じなくなる。相手国に脅威を感じたら、突飛な行動に出てしまう、という可能性は双方にありますから、やはり、相手の行動に対して、十分に備えて置くことは政府レベルでは必要なことだと思います。しかし、現状では政府レベルでは動きが取れない。このままの手詰まりの状態でいいか、といったら経済界はもちろん、そんなことは望んでいない。民間の草の根レベルにおいても、例えば、日本には現在、中国人留学生など在日中国人も多く滞在していますが、彼らもこのような日中の険悪な関係を望んでいません。誰も日中の対立を望んでいない、しかし、政府は動けないという状況の中でどうこの局面を打破していくのか。

 そこでエピステミック・コミュニティーが非常に重要な役割を果たしていくと思います。知識人同士がトラック1.5のような形で、何らかのフォーラムなどの対話の場を作っていく。例えば、言論NPOも参加している米国の外交問題評議会(CFR)が主催する「カウンシル・オブ・カウンシルズ(COC)」などは非常に注目すべき動きです。世界中のシンクタンクが集まり、場として機能している。そういうものを機能させることによって、局地的な二国間の問題を何とか落ち着かせることができるのではないだろうか、と思っています。

工藤:政治指導者のメッセージや行動など政治のリーダーシップで何か局面を変えるということはあり得ますが、そういう動きがなかなか日中間では出てこない。やはり現代の政治はどんなにリーダーシップがあっても世論というものを無視できない、ということでしょうか。

川島:日本の場合、小選挙区制になり、政権交代が容易に起こり得るある種不安定な政治システムとなりました。中国も従来に比べれば社会から政府に対するフィードバック、さらに言えば圧力が高まっています。また、社会も多様化し、政治家自身のパワーも落ちています。ほとんど連合体で政治を動かしていますので、もはやトップが何か言えば過熱した国民感情が治まるというような状況ではなく、お互いの政権基盤が非常に緩い。逆に言うと世論の影響力が増大し、政権が世論の動向に敏感にならざるを得なくなっています。政府がちょっとした世論のざわつきというものに左右されない、という姿勢を堅持することも大事ですが、民間同士で議論をまとめながら、世論のレベルで、ある方向付けをしていく、というやり方もあると思います。


日中両国政府が課題に向き合うきっかけはある

工藤:今の政治は確かに世論に影響されやすいのですが、何かの課題解決をしていく上で、政治という機能を、全く否定していいのでしょうか。尖閣周辺では、危険な状況がいまだに続いています。国益を考えるのであれば、紛争になれば日中のみならず世界にとっても、大変な事態になるわけですよね。それを防ぐために政治という機能が課題に向き合っていくということは当然ではないかと思うのですが、どうでしょうか。

神保:政治が向き合うアジェンダを、どのように設定するかが大事だと思います。例えば、尖閣問題について、もし、これを原理原則論で争うとしたら、日中両国は互いに一歩も引けなくなります。しかし、尖閣問題のアジェンダを周辺海域における危険の回避、お互いの武力衝突の回避ということにしていくと、そこには共通の利益が見出せます。もし、日中のリーダーシップがそれを最優先課題としてアジェンダ作りができれば、お互いに話をする余地が生まれます。そしてそこには「では、どういうふうに危険を回避するのか」、というまさにプロフェッショナリズムからの判断が介在する余地があるわけです。プロフェッショナリズムの世界というのはまさに三上さんがおっしゃられたエピステミック・コミュニティーなので、お互いが合意できる領域というものが増えてきます。そこまで政治がどのようにナビゲートするのか、ということが大変重要です。

 また、日本と中国に互いに交流がない間に、両国の首脳が世界中を歴訪しました。おそらく、日中両国の首脳は「日中はしっかりと関係を改善してくれ」というメッセージを、アメリカをはじめとして至るところでメッセージとして受け取っていると思います。日中が互いに相手国を無視したくても、外部環境として、色々な外交を進展させるためには、実は日中の軸がしっかりしているという環境が必要である、という課題をお互いに把握し始めたと思います。

   

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外交のジレンマを乗り越えるための民間の役割とは

工藤:政府間の外交では、領土など主権問題が関わると、どうしてもナショナリズムを刺激してしまうため、身動きが取れなくなってしまう、という政府間外交特有のジレンマがあると思います。この問題を乗り越えることは可能なのでしょうか。

神保:政府間外交は公的な外交であり、政府を代表して国の立場を述べるわけですから、当然ながら妥協というのは非常に大きな決断であるし、その妥協によって国内に対する政治リスクを負ってしまう、という意識を常に持たなければならない。つまり、二国間関係を発展させるということと、国益を守るということは、元来両立しにくく、根本的なジレンマが生じやすいのだと思います。ここでのポイントは、国益を守りつつ二国間関係もよくなるようなwin-winの関係をどのように見出していくのか、ということが大事なのですが、残念ながら領土や主権など原理原則が関わるような領域においては、そのジレンマを政府間外交の中で打開していくことは極めて難しいと思います。

 では、それをどのように乗り越えていくのか。もちろん、政府の役割もありますが、民間が果たすべき役割が非常に大きいと思います。まず、日中間での民間交流というのは20年前とは比べ物にならないぐらい密になっています。ですから、民間から見れば、「日中関係は本来こうあるべきである」、という理想の姿を政治に対して常にフィードバックするような仕組みを構築する必要があります。同時に、民間の中にも「原理原則は守るべきだ」という意見や、「もっと良いビジネス関係を作り、互恵関係を増やしていくべきだ」など色々な意見があると思います。それも含めて、国内世論の姿がどのような配置になっているのか、ということを日中両国がお互いに理解するためのインターフェースが必要だと思います。

三上:民主主義社会においては、政府は市民社会とのつながりを無視して、外交を行っていけないと思います。今、日本の政府が行っている外交政策について、特に、国境をめぐる問題について秘密にしたいというのは分かるのですが、やはり市民社会にもっとしっかりと説明してほしいと思います。それが、国際社会に向けての日本政府の外交政策の発信にもつながるわけです。中国社会にもその発信が広がっていくのは難しいかもしれませんが、アメリカの中にいる中国人たちには伝わっていくわけです。
ですから、外交のジレンマを乗り越えていくために、二国間での解決が行き詰まるようであれば、国連や国際機関を動かすなど国際世論を巻き込んでいくことが重要であると思います。そして、もう少し広い視野から「紛争は絶対に起こさない」、という規範を作っていければ理想的です。


民間側でどのようなコンセンサスを作るのか

工藤:政府側に課題を解決する意思はあるのでしょうか。今ある動きは、日本、中国ともに、民間の動きを自分たちの動きの雰囲気づくりや主張に利用し、世論を自分たちのゲームの中に巻き込んでいってしまうようなものです。その結果、動けなくなって立ち止まってしまうような気がしています。もし、政府側に本当に課題を解決する意思があれば、様々な民間の動きと連携したり協力したりできると思うのですが、そういう意思を政府から全く感じられません。この点について、いかがでしょうか。

川島:日中関係は、この10年ぐらいで経済関係を中心に非常に緊密化し、人の往来も非常に多くなりました。しかし、物理的な関係が緊密化すればするほど、感情は悪化したわけです。日中双方でアンケートをとっても、「相手国と信頼している」と回答する人は、10%もいない状態です。そのような状態では、日本と中国のリーダーは相手国に甘い顔をするという発想にはならないわけです。確かに、民間の交流は大事なのですが、逆に政府の側から見れば、上がってくる統計を分析すると、民間こそが相手に悪い印象を持っていると解釈してしまうわけです。ですから、そもそも民間とは何か、という定義も難しいところです。

 それから、外交官の方々というのは、世論をよく見ている政治家と世論に挟まれて非常に狭いところを動いているのだと思います。外交官も実際には、危機回避の仕組み作りや、何とかして妥協しよう、という交渉はおそらく色々な方法でずっとやっていると思います。ところが、その方法が政治的なアジェンダに乗らない。つまり、不作為ではなくて、やってはいるのだけどそれが政治の課題には載らない、ということが大きな問題だと思います。その背景には、世論側にも問題があります。相手国へ非常に悪い感情を示す国民がとても多いので、政治家も批判を避けて自分の身を守るために世論に迎合して、どちらかというと相手国に対してネガティブな方に立ち位置を取ってしまう、あるいは思い切ったことはできない、ということになるのだと思います。

 ですから、民間側でどのような冷静なコンセンサスを作るのか、ということが大きな課題だと思います。


尖閣周辺で常態化した危険な状況と、民間側の不感症

工藤:では、議論を民間側の問題に移します。日本では、尖閣周辺海域で衝突への危機感が一時期非常に高まり、非常に話題になっていたのですが、今は話題にならない。自粛しているのかもしれませんが、ある意味で危機がもう終わった、平時に戻ったという雰囲気があります。しかし、実際には何も変わっておらず、緊張感が続いている状況です。つまり、政府側にも民間側にもアジェンダを決めて考えていくという動きがなくて、何か不感症になっているという感じがするのですが、いかがでしょうか。

神保:特に、尖閣周辺における中国の様々なタイプの船舶の活動は、2012年の9月以降、回数も規模も飛躍的に拡大していて、常態化しています。その結果、日本の海上保安庁もかなり疲弊しながらパトロールを行っています。このような状況は現在も続いています。その狙いは、この状況を常態化することによって、既成事実を積み上げていくことを意識されないような状態にする。つまり、「ほら、もう既に領土問題はあるじゃないか」、という状態にすることが中国側の狙いだと思います。

 これ自体は、日本政府の側からすると容認できることではありませんから、しっかりと対応していかなければならないと思います。同時に考えないといけないことは、こういう状態が続いていくと、何が起こるかというと、警戒監視活動を続けていく中で計算間違いや誤解に基づく事故が起こりやすくなります。そして、一旦事故や衝突が起きると、原理原則の話に発展して、エスカレーションの制御が難しくなる。つまり、現状は沸点が低く設定されている中で、今の緊張感の欠如の常態化が起きている。これは非常に危険な状況だと思っています。

工藤:先程、三上さんは、様々な情報を市民社会に説明するべき、ということをおっしゃっていました。確かに、その通りだと思うのですが、一方で、民間側が不感症になって課題を避けてしまい、メディアもそういった報道をしません。非常に不透明な環境を民間側も作り出しているという点で、民間側の問題も大きいのではないでしょうか。

三上:民間が取るべき態度としては、現状を正しく知って、「正しく恐れる」ということが必要ではないかと思っています。中国は中印、中ソ、中越など数々の国境紛争において、実力行使に出ているわけですから、日本に対しても実力行使に出てくるかもしれない、ということは政府レベルでは想定しておかなければいけないと思います。それを前提として、国民の中で中国の脅威に対して日本は十分に対応できる、ということが分かっていれば、いたずらに危機を恐れることはないと思います。現状を市民社会がしっかりと認識すれば、「では、これまでと違った形でどのように交流を深めていくべきか」、ということを考えていく余裕も出てくるのではないでしょうか。リアリスト的な発想から、いたずらに相手国を恐れないことが大切です。そういうことを理解した上で、ドイツとフランスがパイプを強くしていったように、日中間でもしっかりと関係を改善していく。これは少し遠い道のりになりますが、地道にやっていくしかないのではないかと思っています。


試金石は、両国の民間同士のコンセンサス作り

工藤:政府間外交のジレンマがある時に、民間が何かをしなければいけないと思うのですが、民間の様々な交流や対話に政府間外交を補完するような能力、役割はあるのでしょうか。また、どのような可能性を感じますか。

川島:政府間外交では本音で言えないことはたくさんありますし、言い方が硬くなってしまうという問題もあります。それこそ、外国の方には理解しにくいことも非常に多くあります。そういう時に、民間はそれを相手にとって分かりやすく、説き明かして自国の考え方を伝えられるわけです。つまり、政府が行うパブリック・ディプロマシーはどうしてもプロパガンダになりがちですが、民間だからこそできるパブリック・ディプロマシーもあるわけです。

 また、民間同士で何らのコンセンサスを作ることもできるわけです。例えば、「戦争だけは止めよう」など最低限のコンセンサスを作っていって、それをそれぞれが自国の政府に提案していく、という作業はあり得ると思います。それを日本と中国の民間が共にやっていく。政治家は世論を見ているわけですから、その動きが大きくなれば意識せざるを得ない。だからこそ、世論のコンセンサスを作ってみせることが、外交において民間が影響力を持つことにつながっていくのだと思います。

神保:過去20年間のアジア、太平洋の外交を振り返ってきた時に、民間外交の果たしてきた役割は、非常に大きかったと思います。トラック1.5という仕組みでは、民間の専門家と政府の関係者が、個人的なキャパシティで会議に関わりますが、そこで大事なのは、政府と全く関係のないところで議論しているのではなくて、そこでの対話が、メッセージとして何らかの形で政府に届けられるであろう、という感覚です。そこに、政府の発言のように固い原則に縛られているわけではない人たちの議論の場がある、ということが非常に大事だと思います。ですから、外務省のOBや、政権与党で政府の役職には入っていないけれども、個人のキャパシティで政権中枢にアプローチできるような人など、ワンステップを置くと今のリーダーにも声が届くのではないか、という人たちの話は各国の政府でも非常に重要視されていたと思います。

 それから、専門的な知見から見たら、「当然こういう協力をしていくべきだろう」、ということが客観的に示されているにもかかわらず、現状がそうはなっていない場合、それは当該テーマが各国の政治的課題の俎上に上がっていないということになります。そこで、専門的な見地から見ると当然なされるべき議論を政府に示していく、というのも民間外交の重要な役割です。

工藤:政府間外交はむしろ、民間外交を避けていませんか。「東京-北京フォーラム」の準備を行っていると、時々、そう感じることがあるのですが。

川島:政府は民間外交の動向を見て動くので、一緒に動くということは必ずしもないと思います。つまり、民間外交と政府外交はずれるのが普通で、ずれるからこそ効果を持つのだと思います。

工藤:今回の「東京-北京フォーラム」の準備を進めながら、言論NPOが考えている民間の対話・外交のアプローチとはそもそも何だろうか、と悩むことがあります。私たちが考えている外交は、「個人として課題解決に参加したい」という思いがベースにあるわけです。実は、世界でもこれと同じ現象が起こっていて、ステークホルダー、つまり当事者として、色々な市民、専門家、学者、政府関係者OBも含めてみんなで課題解決に取り組む、という動きが出てきています。

 私たちはそこで、「当事者としての課題解決」と「輿論」を重要視して外交に取り組む仕組みを提起しようと思っています。私たちは、その仕組みに「言論外交」という名前を付けて、世の中に提案できないかと思っているのです。

 ただ、「言論外交」という言葉を作り出す前に、私たちが考えている外交の概念は、ひょっとしたらいわゆる「パブリック・ディプロマシー」と同じなのではないか、と考えていました。しかし、三上さんをはじめとする様々な専門家の方の話を聞いていたら、パブリック・ディプロマシーというのは、そもそも政府が行う他国の国民に対する広報宣伝外交なのだということが分かりました。それでいわゆるパブリック・ディプロマシーは、私たちが目指す外交とは異なるものだ、と感じるようになったわけです。

 そこで伺いたいのですが、民間が参加する外交の在り方を、どのように考えていけばいいのでしょうか。

   

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民間外交には政府間外交よりも優れている要素がある

川島:政府が行っているパブリック・ディプロマシーも非常に大事だと思います。特に日中関係・日韓関係の場合、相手側の中国や韓国がパブリック・ディプロマシーに非常に力を入れていますので、そのことを踏まえるとなおさら重要です。日本政府はもちろんそれを分かっていて、色々な取り組みを実施しています。ただ、日本はまだパブリック・ディプロマシーに慣れているとはいえません。取り組みもまだ始まったばかり、という印象さえあります。

 パブリック・ディプロマシーには、単なる広報宣伝的な側面だけではなく、相手側の知りたいことをどう伝えるか、相手が自国に対して持っている誤解をどう解くか、という側面もあります。ですから、相手国の民間がどう考えているかを把握していないとできません。この点については、政府よりも民間の方が優れています。相手国の人々が一体どのような考えを持っていて、どういう誤解をこちら側に持っているのかということを、機微を含めて知ることができるのは民間の方なのです。

 また、先程から申し上げている通り、政府の言葉というのは硬くなることが多いので、分かりやすく、柔らかく伝えることができる民間は、言葉という面でも政府より優れています。ですから、民間外交には十分な可能性がありますし、政府によるパブリック・ディプロマシーと補完する、そして時には批判するような、民間外交ができれば理想的だと思います。

神保:まず、政府が行うべきパブリック・ディプロマシーに関しては、日本は質・量ともにやはりまだまだ全然足りないと思います。特に首脳・閣僚が外交に費やすことができる日数を考えると、日本の首脳・閣僚は例年ほとんど国会に拘束されていて、海外に出られません。かたや中国や韓国は積極的に回っています。中国は閣僚級のメンバーがたくさんいますから、縦横無尽にアフリカ、中東、さらにはアメリカの田舎の州にまで行って、農産物をしっかり買って帰ってくるというパフォーマンスをすると、チャーム・オフェンシブというのですが、魅力をアピールする機会が断然多くなります。

 だから、まず政府のパブリック・ディプロマシーでは、日本のトップリーダーたちの外交の機会をどんどん増やすことが必要なのではないでしょうか。そのためには、内閣法や国会法の改正によって、首脳・閣僚が国会や委員会にできるだけ拘束されない形の外交日程を作るということが大事です。

 同時に民間側にも改善すべき点があります。すなわち、各個人がもう少しパブリック・マインドを涵養する必要があります。つまり、各個人が、自分が担っている言論というのは、実は自分だけのものではなく、日本全体に関する高度にパブリックなものでもある、ということを認識して、自覚を強くすることではじめて言論と外交が結び付く領域で民間人が活躍できるようになるのではないかと思います。

工藤:政府間外交が身動きできなくなってしまう、というジレンマに陥った時に、民間がアジェンダを大きく変え、世論を変えていくということは可能なのでしょうか。

川島:現在の東アジア各国に内在する病理として、自国の言論は多様だと強調するのですが、相手国の言論はワンボイスに見えてしまうという傾向があります。日本人自身はそう思っていなくても、韓国も中国も日本はワンボイスと思っている、というようなことがあるし、その逆もあります。このジレンマの中で、「言論外交」を実現するとしたら、「東京-北京フォーラム」などの対話の議論をいかにして国内外に伝えるか、というもう一つの発信装置を作ることが必要だと思います。なぜなら、政府は記者会見等、公式発表の場がたくさんありますが、ここで発信するのは当然、政府の立場のみであり、わざわざ民間の中に存在する多様な議論に言及してくれることはありません。ですから、例えば、言論NPOがフォーラムで議論した結果、相手の国にも言論の多様性があるということが分かったとすれば、そこでの議論を発信して、その内容が日本国内や、中国国内にも伝えられれば理想的だと思います。そのようにして国内の言論の多様性を伝えられると、相手国の中にも色々な考えがある、決してワンボイスではないことが伝わります。まさに民間が政府にできないことやる、という取り組みになると思います。

 二つ目は、先程も申しましたが、政府や外務省も色々と中国当局と接触をしていますが、それらは全く報道されません。政府間外交には秘密も多いため、ここから日本人が中国側の言い分や論理を知ることは難しい部分もあります。しかし、NPOなどが行うトラック1.5など民間の場における議論であれば、「最低限戦争をするのは止めよう」という問いかけをしてみると、中国側はある論理を持って何か回答します。つまり、民間には政府間外交のような制約はないので、我々は中国側の言い分も日本国内に伝えることができるのです。これは民間だからこそできることなのです。このような視点で対話の「場」を作っていけば、「言論外交」には可能性があると思います。

神保:実際に草の根の市民レベル、経済界や専門家同士でうまく議論ができているとして、うまくいっていないところは政府間だけではないか、という状態ができたら、それは言論外交が政府間外交に先行し、政府に対してリーダーシップを取っていることになるわけです。それができれば、これは非常に面白い取り組みになります。

 同時に考えなければいけないのは、その取り組みは実は日中二国間だけにとどまるものではないということです。日中を取り巻く国際世論というのがあって、国際世論が日中関係をどう見ているのか、ということを日中両国がお互いに把握する。そして、日中両国がどのように消化していくのか、ということも非常に重要です。


「世論」から「輿論」へ

工藤:国際世論が、理解を示した時は二国間関係が国際世論からの圧力によって変わらざるを得ないという局面になるわけです。そうなると、国際社会の理解を得る、健全な輿論という役割が非常に重要な局面に来ているな、という感じがします。いかがでしょうか。

三上:現在、尖閣の周辺海域において、偶発的な事故が起きる可能性もありますが、仮に事故が起きても絶対に対立をエスカレーションさせない、というコンセンサスを、今回の「東京-北京フォーラム」の中で、日中双方が納得した上で合意をする。そして、日中間では、少なくとも民間レベルではそういう合意がある、ということを国際社会の中に広く浸透していけたら、日中両国政府にとっても大きな意味があり、関係改善に向けた効果的な誘因になると思います。

工藤:中国の社会は、例えば、「平和」や、「不戦」などそういう規範に関しては同調できる基盤や環境はあるのでしょうか。それとも、それが国の外交方針にとってマイナスになるのであれば、世界の誰もが納得できる発想すら排除しよう、という形になってしまうのでしょうか。

川島:これはとても難しい問題です。やはり、中国では、ある種の言論であれ、映像であれ、それを流すのも自由ではなく、日本とは違います。加えて、中国側で「民間」といっても団体の内実は、そのほとんどが政府系であり、党が介入していますが、それでも社会はあるわけです。そして、表の場には出ない輿論もあるわけです。だから、そういうところに働きかけることが重要だと思いますが、効果はすぐには出ません。しかし、日本とは違う回路で、ゆっくりと政府まで上がってくる可能性はあるわけです。

 今日のこれまでの議論で思ったことは、佐藤卓己さん(京都大学准教授)が言うような世論(せろん)と輿論(よろん)ですね。浮ついたような世論と、しっかりした輿論。世論から輿論へ、という話については、中国側の知識人であれば共通して理解してくれると思います。

工藤:以前、輿論と世論の違いについて中国の人に説明したことがあるのですが、非常に感銘を受けて、理解していました。まさに、そうした健全な輿論作りが、言論NPO創設も目的でした。言論の空間が広げながら、課題解決に参加する、それが、「言論外交」のあり方だと思っています。

神保:中国社会でも日本社会でもネット社会が発展してきています。ツイッターを始めとする様々なソーシャルメディアの中で、老若男女がどんどん発信する世の中になり、多くの人の発信力が非常にフラットになっています。かつては専門家が支配していたような領域に、そういった様々な人たちが言論として文字を残すことができるようになった。そういう意味では、非常に非理性的な、感情に支配されやすい言論空間というのが容易に発生する世の中ができてきたと思います。しかし、その中でも「ハブ」というものがあって、例えば、魅力的な議論というのはツイッターでいえばリツイートされて、どんどん伝播されていくわけです。そういった信頼できるハブ的な役割を担う人をどれだけ社会の中に作れるのか、ということが、成熟した市民社会において言論が機能するための条件だと思います。すなわち、言論NPOに関わり、海外にインターフェースを持っている人たちがどれだけ良質なハブになれるかというところが、今後の活動における一つの大きな成功のポイントということになるのではないかと思います。

三上:SNSに関しては確かに有効な面もありますが、注意しなければならないのは情報が断片化してしまう危険性もあるということです。そこで、やはりフォーラムのような、面と向かって対話をする場が、言論の核となり、その周辺にあるネット社会を断片化しないように言論空間を構築していく必要があると思います。

工藤:今日は多面的で、重要な論点を議論してきました。社会の中で当事者意識を持ち、課題に対して取り組んだり、発信力を持つ人たちと色々な形で連携しないといけない、と感じました。それがないと、東アジアの閉塞感を打破できないと思います。日中の二国間問題を議論することはおそらく、東アジアのレジーム形成に今後発展していくだろうし、私たちは歴史的な大きな課題に直面しているような気がしています。このような非常に重要な局面だからこそ絶対に引けない、という決意を新たにしました。

 25日からの「東京-北京フォーラム」の議論の内容は皆さんにもきちんと報告しますし、メディアを通じて色々な形で流しれると思います。また英語を使って世界にもこれを発信しようということで準備を進めております。ぜひそちらも見ていただければと思います。皆さん、今日はどうもありがとうございました。

   


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 東アジアにおける政府間外交がなかなか機能できない中、その状況を打破するために「民間外交」が果たすべき役割とは何か。東アジアの民間外交に詳しい3氏が話し合った。 座談会では、政府間外交ではなく、民間外交だからこそできることは何か、について本質的な議論が展開されるとともに、健全な「輿論」に基づく課題解決の動きを民間の中から始めていくことの重要性が指摘された。

2013年10月21日(月)
出演者:
川島真氏(東京大学大学院総合文化研究科准教授)
神保謙氏(慶應義塾大学総合政策学部准教授)
三上貴教氏(広島修道大学法学部教授)

司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)

外交のジレンマを乗り越えるための民間の役割とは

工藤:政府間の外交では、領土など主権問題が関わると、どうしてもナショナリズムを刺激してしまうため、身動きが取れなくなってしまう、という政府間外交特有のジレンマがあると思います。この問題を乗り越えることは可能なのでしょうか。

神保:政府間外交は公的な外交であり、政府を代表して国の立場を述べるわけですから、当然ながら妥協というのは非常に大きな決断であるし、その妥協によって国内に対する政治リスクを負ってしまう、という意識を常に持たなければならない。つまり、二国間関係を発展させるということと、国益を守るということは、元来両立しにくく、根本的なジレンマが生じやすいのだと思います。ここでのポイントは、国益を守りつつ二国間関係もよくなるようなwin-winの関係をどのように見出していくのか、ということが大事なのですが、残念ながら領土や主権など原理原則が関わるような領域においては、そのジレンマを政府間外交の中で打開していくことは極めて難しいと思います。

 では、それをどのように乗り越えていくのか。もちろん、政府の役割もありますが、民間が果たすべき役割が非常に大きいと思います。まず、日中間での民間交流というのは20年前とは比べ物にならないぐらい密になっています。ですから、民間から見れば、「日中関係は本来こうあるべきである」、という理想の姿を政治に対して常にフィードバックするような仕組みを構築する必要があります。同時に、民間の中にも「原理原則は守るべきだ」という意見や、「もっと良いビジネス関係を作り、互恵関係を増やしていくべきだ」など色々な意見があると思います。それも含めて、国内世論の姿がどのような配置になっているのか、ということを日中両国がお互いに理解するためのインターフェースが必要だと思います。

三上:民主主義社会においては、政府は市民社会とのつながりを無視して、外交を行っていけないと思います。今、日本の政府が行っている外交政策について、特に、国境をめぐる問題について秘密にしたいというのは分かるのですが、やはり市民社会にもっとしっかりと説明してほしいと思います。それが、国際社会に向けての日本政府の外交政策の発信にもつながるわけです。中国社会にもその発信が広がっていくのは難しいかもしれませんが、アメリカの中にいる中国人たちには伝わっていくわけです。
ですから、外交のジレンマを乗り越えていくために、二国間での解決が行き詰まるようであれば、国連や国際機関を動かすなど国際世論を巻き込んでいくことが重要であると思います。そして、もう少し広い視野から「紛争は絶対に起こさない」、という規範を作っていければ理想的です。


民間側でどのようなコンセンサスを作るのか

工藤:政府側に課題を解決する意思はあるのでしょうか。今ある動きは、日本、中国ともに、民間の動きを自分たちの動きの雰囲気づくりや主張に利用し、世論を自分たちのゲームの中に巻き込んでいってしまうようなものです。その結果、動けなくなって立ち止まってしまうような気がしています。もし、政府側に本当に課題を解決する意思があれば、様々な民間の動きと連携したり協力したりできると思うのですが、そういう意思を政府から全く感じられません。この点について、いかがでしょうか。

川島:日中関係は、この10年ぐらいで経済関係を中心に非常に緊密化し、人の往来も非常に多くなりました。しかし、物理的な関係が緊密化すればするほど、感情は悪化したわけです。日中双方でアンケートをとっても、「相手国と信頼している」と回答する人は、10%もいない状態です。そのような状態では、日本と中国のリーダーは相手国に甘い顔をするという発想にはならないわけです。確かに、民間の交流は大事なのですが、逆に政府の側から見れば、上がってくる統計を分析すると、民間こそが相手に悪い印象を持っていると解釈してしまうわけです。ですから、そもそも民間とは何か、という定義も難しいところです。

 それから、外交官の方々というのは、世論をよく見ている政治家と世論に挟まれて非常に狭いところを動いているのだと思います。外交官も実際には、危機回避の仕組み作りや、何とかして妥協しよう、という交渉はおそらく色々な方法でずっとやっていると思います。ところが、その方法が政治的なアジェンダに乗らない。つまり、不作為ではなくて、やってはいるのだけどそれが政治の課題には載らない、ということが大きな問題だと思います。その背景には、世論側にも問題があります。相手国へ非常に悪い感情を示す国民がとても多いので、政治家も批判を避けて自分の身を守るために世論に迎合して、どちらかというと相手国に対してネガティブな方に立ち位置を取ってしまう、あるいは思い切ったことはできない、ということになるのだと思います。

 ですから、民間側でどのような冷静なコンセンサスを作るのか、ということが大きな課題だと思います。


尖閣周辺で常態化した危険な状況と、民間側の不感症

工藤:では、議論を民間側の問題に移します。日本では、尖閣周辺海域で衝突への危機感が一時期非常に高まり、非常に話題になっていたのですが、今は話題にならない。自粛しているのかもしれませんが、ある意味で危機がもう終わった、平時に戻ったという雰囲気があります。しかし、実際には何も変わっておらず、緊張感が続いている状況です。つまり、政府側にも民間側にもアジェンダを決めて考えていくという動きがなくて、何か不感症になっているという感じがするのですが、いかがでしょうか。

神保:特に、尖閣周辺における中国の様々なタイプの船舶の活動は、2012年の9月以降、回数も規模も飛躍的に拡大していて、常態化しています。その結果、日本の海上保安庁もかなり疲弊しながらパトロールを行っています。このような状況は現在も続いています。その狙いは、この状況を常態化することによって、既成事実を積み上げていくことを意識されないような状態にする。つまり、「ほら、もう既に領土問題はあるじゃないか」、という状態にすることが中国側の狙いだと思います。

 これ自体は、日本政府の側からすると容認できることではありませんから、しっかりと対応していかなければならないと思います。同時に考えないといけないことは、こういう状態が続いていくと、何が起こるかというと、警戒監視活動を続けていく中で計算間違いや誤解に基づく事故が起こりやすくなります。そして、一旦事故や衝突が起きると、原理原則の話に発展して、エスカレーションの制御が難しくなる。つまり、現状は沸点が低く設定されている中で、今の緊張感の欠如の常態化が起きている。これは非常に危険な状況だと思っています。

工藤:先程、三上さんは、様々な情報を市民社会に説明するべき、ということをおっしゃっていました。確かに、その通りだと思うのですが、一方で、民間側が不感症になって課題を避けてしまい、メディアもそういった報道をしません。非常に不透明な環境を民間側も作り出しているという点で、民間側の問題も大きいのではないでしょうか。

三上:民間が取るべき態度としては、現状を正しく知って、「正しく恐れる」ということが必要ではないかと思っています。中国は中印、中ソ、中越など数々の国境紛争において、実力行使に出ているわけですから、日本に対しても実力行使に出てくるかもしれない、ということは政府レベルでは想定しておかなければいけないと思います。それを前提として、国民の中で中国の脅威に対して日本は十分に対応できる、ということが分かっていれば、いたずらに危機を恐れることはないと思います。現状を市民社会がしっかりと認識すれば、「では、これまでと違った形でどのように交流を深めていくべきか」、ということを考えていく余裕も出てくるのではないでしょうか。リアリスト的な発想から、いたずらに相手国を恐れないことが大切です。そういうことを理解した上で、ドイツとフランスがパイプを強くしていったように、日中間でもしっかりと関係を改善していく。これは少し遠い道のりになりますが、地道にやっていくしかないのではないかと思っています。


試金石は、両国の民間同士のコンセンサス作り

工藤:政府間外交のジレンマがある時に、民間が何かをしなければいけないと思うのですが、民間の様々な交流や対話に政府間外交を補完するような能力、役割はあるのでしょうか。また、どのような可能性を感じますか。

川島:政府間外交では本音で言えないことはたくさんありますし、言い方が硬くなってしまうという問題もあります。それこそ、外国の方には理解しにくいことも非常に多くあります。そういう時に、民間はそれを相手にとって分かりやすく、説き明かして自国の考え方を伝えられるわけです。つまり、政府が行うパブリック・ディプロマシーはどうしてもプロパガンダになりがちですが、民間だからこそできるパブリック・ディプロマシーもあるわけです。

 また、民間同士で何らのコンセンサスを作ることもできるわけです。例えば、「戦争だけは止めよう」など最低限のコンセンサスを作っていって、それをそれぞれが自国の政府に提案していく、という作業はあり得ると思います。それを日本と中国の民間が共にやっていく。政治家は世論を見ているわけですから、その動きが大きくなれば意識せざるを得ない。だからこそ、世論のコンセンサスを作ってみせることが、外交において民間が影響力を持つことにつながっていくのだと思います。

神保:過去20年間のアジア、太平洋の外交を振り返ってきた時に、民間外交の果たしてきた役割は、非常に大きかったと思います。トラック1.5という仕組みでは、民間の専門家と政府の関係者が、個人的なキャパシティで会議に関わりますが、そこで大事なのは、政府と全く関係のないところで議論しているのではなくて、そこでの対話が、メッセージとして何らかの形で政府に届けられるであろう、という感覚です。そこに、政府の発言のように固い原則に縛られているわけではない人たちの議論の場がある、ということが非常に大事だと思います。ですから、外務省のOBや、政権与党で政府の役職には入っていないけれども、個人のキャパシティで政権中枢にアプローチできるような人など、ワンステップを置くと今のリーダーにも声が届くのではないか、という人たちの話は各国の政府でも非常に重要視されていたと思います。

 それから、専門的な知見から見たら、「当然こういう協力をしていくべきだろう」、ということが客観的に示されているにもかかわらず、現状がそうはなっていない場合、それは当該テーマが各国の政治的課題の俎上に上がっていないということになります。そこで、専門的な見地から見ると当然なされるべき議論を政府に示していく、というのも民間外交の重要な役割です。

工藤:政府間外交はむしろ、民間外交を避けていませんか。「東京-北京フォーラム」の準備を行っていると、時々、そう感じることがあるのですが。

川島:政府は民間外交の動向を見て動くので、一緒に動くということは必ずしもないと思います。つまり、民間外交と政府外交はずれるのが普通で、ずれるからこそ効果を持つのだと思います。

工藤:今回の「東京-北京フォーラム」の準備を進めながら、言論NPOが考えている民間の対話・外交のアプローチとはそもそも何だろうか、と悩むことがあります。私たちが考えている外交は、「個人として課題解決に参加したい」という思いがベースにあるわけです。実は、世界でもこれと同じ現象が起こっていて、ステークホルダー、つまり当事者として、色々な市民、専門家、学者、政府関係者OBも含めてみんなで課題解決に取り組む、という動きが出てきています。

 私たちはそこで、「当事者としての課題解決」と「輿論」を重要視して外交に取り組む仕組みを提起しようと思っています。私たちは、その仕組みに「言論外交」という名前を付けて、世の中に提案できないかと思っているのです。

 ただ、「言論外交」という言葉を作り出す前に、私たちが考えている外交の概念は、ひょっとしたらいわゆる「パブリック・ディプロマシー」と同じなのではないか、と考えていました。しかし、三上さんをはじめとする様々な専門家の方の話を聞いていたら、パブリック・ディプロマシーというのは、そもそも政府が行う他国の国民に対する広報宣伝外交なのだということが分かりました。それでいわゆるパブリック・ディプロマシーは、私たちが目指す外交とは異なるものだ、と感じるようになったわけです。

 そこで伺いたいのですが、民間が参加する外交の在り方を、どのように考えていけばいいのでしょうか。

   

 東アジアにおける政府間外交がなかなか機能できない中、その状況を打破するために「民間外交」が果たすべき役割とは何か。東アジアの民間外交に詳しい3氏が話し合った。 座談会では、政府間外交ではなく、民間外交だからこそできることは何か、について本質的な議論が展開されるとともに、健全な「輿論」に基づく課題解決の動きを民間の中から始めていくことの重要性が指摘された。
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