3月13日放送の言論スタジオでは、「日本の民主主義制度のどこに問題があるのか~ドイツと比較しながら検証する~」と題して、網谷龍介氏(津田塾大学学芸学部国際関係学科教授)、近藤正基氏(神戸大学大学院国際文化学研究科准教授)、平島健司氏(東京大学社会科学研究所教授)をゲストにお迎えして議論を行いました。
ドイツの過去との向き合い方から得る示唆とは
第1セッションの冒頭で、司会の工藤が、「日本と近隣国が対立する中、『歴史認識と和解』が大きなテーマになっている」と述べるとともに、今回の議論に先立ち行われた有識者アンケートでも、ドイツのメルケル首相の「過去を総括することが和解の前提になる」との発言に対して、8割近い有識者が賛同している結果を紹介しました。
これに対して平島氏は、自身もこの発言に賛同するとともに、「ドイツの雑誌『シュピーゲル』では首相の発言を『礼節をわきまえた警告』と報じていたが、こういうことを直言してくれる国があることは日本にとって幸運なことだ」と評価しました。
一方、網谷氏は「首相発言の全体的なコンテクストを読むと、ドイツの基本的な外交方針のあり方を述べたものであり、歴史の克服だけに重点が置かれているわけではない」と解説しました。
近藤氏も1980年代頃まではドイツも過去の克服に積極的に取り組んでこなかったが、ヨーロッパの地政学的な観点から取り組まざるを得なくなったことを指摘しつつ、「日本のメディアはドイツの過去の克服をやや美化しすぎているのではないか」と述べ、単純に日本と比較することは妥当ではないと語りました。
これを受けて平島氏も日本との前提条件の違いは認めつつ、「シュレーダー政権以降、継続して取り組んできたことは重要である」と述べました。
次に、歴史認識問題における日本の政治家の発言がしばしば物議を醸していることを念頭に、工藤から「ドイツの政治家は歴史認識問題についてどう語っているのか」と問いかけがなされました。
これに対し、網谷氏は「ドイツの場合、『政治家はこう話すべき、これは話してはいけない』という暗黙のスピーチコードがある印象を受ける。これはすぐにできたものではなく、戦後長い時間をかけて徐々に浸透してきたものだ」と述べた上で、「日本の場合は問題発言が問題視されていないのではないか」と日独の違いを浮き彫りにしました。
続いて、工藤がドイツの周辺国との和解プロセスについて尋ねると、近藤氏は「透明性を持って謝罪をしてきたことが大きい」とした上で、「ドイツでは戦争に関する文化的な施設が至るところにあり、戦争の記憶が薄れないようにしている」と日本との大きな違いを指摘しました。
ただ、網谷氏は「あくまでも『ドイツ』ではなく『ナチス』に対する反省であるし、チェコやポーランドなどまだ問題が残っているところはある」と注意を促しました。
ドイツでは、市民社会からの新たな動きが始まっている
その後、議論は日本とドイツの民主主義についての議論に移りました。工藤が有識者アンケートで「ドイツの方が日本よりも民主主義が成熟している」との見方が6割近くに上ったことを紹介しつつ、「戦後のドイツは民主主義を機能させるためにどのような取り組みをしてきたのか」と問いかけました。
これに対しまず、平島氏は「戦後のドイツはワイマール憲法時代の反省から、議会制民主主義をいかにして安定的に運営するか、という点を最も重視してきた。憲法裁判所もその一環である」と解説しました。
一方、近藤氏は成熟度に関しては日本もドイツも変わらないとの見方を示し、「1990年代以降、ドイツでも政治、政党不信が広がってきている」と指摘しました。その背景として、「国民投票を否定したり、『5%条項』により小政党を排除した結果、国民は『自分たちの声が政治に反映されにくい』と感じている」と述べました。
網谷氏もその見方に賛同し、「ドイツは世論に敏感に反応するような政治構造にはなっていない」と述べました。その上で、「いわゆる『68年運動』の世代が、NPOなど社会活動に参画することによって、市民社会から新たな動きを始めている」と述べ、民主主義の枠外で、社会の変容が起こっていることを紹介しました。
工藤は「そのような新しい市民の声を政治に届けるためには、5%以上の得票が可能な政党を作るしかないのか」と尋ねると、近藤氏は「ドイツではデモが非常に盛んで、政治もそれに反応するため、市民と代議制民主主義の間は完全に遮断されているわけではない」と述べました。平島氏は「小政党は連邦レベルではいきなり得票することは難しくても、州レベルであれば十分に可能だ」と指摘しました。
政党が社会の中に根を張り、市民が政治を理解するためのインフラが整っているドイツ
第3セッションでは、まず工藤がドイツの政治や制度の中で、日本への示唆になるものは何か、という有識者アンケート結果を紹介しながら、「ドイツの制度をそのまま日本に導入することは妥当ではないが、日本の民主主義を機能させるための何らかの視点は得られるのではないか」と問題提起しました。
これに対し、平島氏も、「個別の制度だけを見ることは妥当ではない」と前置きしつつ、有識者アンケートでも最も回答が多かった「民主主義の能力育成のため、連邦・州政府が政党や労働組合、教会などと連携しつつ、幅広い政治教育を展開していること」を挙げました。その上で平島氏は、各州に設置されている「政治教育センター」の活動を紹介しながら、「市民に対して、現実の政治の仕組みを理解するためのインフラが上手く提供されている点は参考になる」と指摘しました。
網谷氏は憲法裁判所を選んだ有識者が5割を超えたことに言及しつつ、「憲法裁判所は議会の発言を弱くすることにつながるので、デモクラシーの間に緊張感が生まれる。これを選んだ有識者が多いのは、議会に対する日本人の不信感を反映しているのではないか」と分析しました。
続いて、日本とは異なり、得票率に応じて配分されるため、落選した場合でも支給されるドイツの政党助成金制度に議論が及ぶと、網谷氏は「ドイツ連邦共和国基本法(ボン基本法)上も、『国民の政治的意思形成に関与することが政党の役割である』と明記されており、政党が社会や国民の中に根を張っている必要がある。だから議員を送り込んでいない政党にも補助金が下りなければならないという発想で、そもそも日本とドイツでは政党や政党へのお金に関する考え方が異なる」と解説しました。
最後に、市民の政治への関心に議論が移ると、平島氏は「国家統一後、最近では市民の政治不信が高まるなど問題も生じていますが、議会制民主主義に飽き足らない市民の動きは、議会外で様々な市民運動を組織したり声を上げるというダイナミズムの振幅が大きくなってきている」と述べ、市民社会の健全性を指摘しました。
これらの発言を受けて工藤は、「日本の民主主義を考える上で大きな示唆を得た。これからもこのような議論を続けていきたい」と今回の議論を締めくくりました。
[[SplitPage]]
工藤:言論NPO代表の工藤泰志です。さて私たちは2015年を通して、日本のデモクラシーについての議論を開始しています。2月に行った日本の政党政治についての議論を一歩進め、日本の民主主義について、ドイツの民主主義と比べながら、新しい視点を得ていきたいと思っています。まずゲストのご紹介です。東京大学社会科学研究所教授の平島健司氏先生、津田塾大学学芸学部国際関係学科教授の網谷龍介氏先生、そして最後に神戸大学大学院国際文化学研究科准教授の近藤正基氏先生にお越しいただきました。皆さんよろしくお願いします。
メルケル首相の「過去の総括が和解の前提」との発言に約8割の有識者が賛同
さて、先日メルケル独首相が訪日しました。安倍総理とメルケル首相との議論の中で、私たちが考えなければならない点が「歴史認識問題」と「和解問題」でした。これは安倍首相との共同記者会見でも質問されましたし、その後のメルケル首相の講演時にも話題になり、メルケル首相ご自身の意見を伝えていました。その中で「過去をきちんと総括することが和解の前提となる」との発言がありました。私も1カ月前にドイツに行き、北東アジアの中での戦後70年という問題を議論したときに、日本と近隣国との対立状況を非常に懸念する声が数多く寄せられ、世界でこの問題が非常に関心を持たれていることがわかりました。そこで、短時間でしたが、今回のテーマに関するアンケートを行いました。その中で、「過去を総括することが和解の前提となる」との発言に賛成するかどうかを尋ねたところ、「賛成」と回答したのは60.6%、「どちらかといえば賛成」が15.7%となり、8割近い有識者がメルケル首相の発言に賛同していることがわかりました。こうした状況をドイツの専門家の皆さんはどのように捉えているかお伺いできますか。
平島:日本側は予測していなかったでしょうが、私は直截な意見を述べていただいたと思っていますし、発言には賛成です。シュピーゲルという雑誌のメルケルの訪日に関する記事では、「ヘーフレッヒェ・マーネリン(礼節をわきまえた警告者)」という見出しになっていました。そう批判してくれる友好国が世界にあることは、日本にとって大変幸運なことだと思いました。
工藤:メルケル首相の発言は、自分がアドバイスする立場にはないと事前に述べた上で、自身の意見として話していました。メディアの質問に答えた側面もありますが、関心を持っていたからこそ発言したと思います。
地政学的な条件から和解という選択を迫られたドイツの過去
網谷:私はメルケル首相の訪日時、日本国内にいなかったので、その後、ドイツ語の原文を読みました。そこで1つ注意すべき点は、「和解の前提に『なる』」ではなく、「和解の前提に『なった』」と過去形で言及していたことです。一方で、今回の発言全体で彼女が伝えようとしていたメッセージは、大きな枠としての外交の在り方です。ドイツ外交で基本になっている「予測可能性」、「多角的外交の重要性」、そして「ヴェルトオッフェンハイトWeltoffenheit(世界に開かれていることの重要性)」に言及しており、それを上手く伝えるために、岩倉使節団の話から始めていました。直接的に歴史の和解の問題というよりは、むしろ日本にとっては大きな枠で外交を捉えることが大事ということだと思います。
近藤:メルケル首相の発言はドイツでは一般的な意見です。私は、日本のメディアの取り上げ方に多少問題があると思っていて、特にドイツが行った過去の克服を美化しすぎていると感じています。ドイツは長らくナチス党員の公職追放、あるいは記念碑や追悼施設の建設にも積極的ではなかったですし、1980年代になってようやく進めたという経緯があります。一貫してドイツが過去の克服に取り組んできたわけではないので、ドイツをあまりに美化することはできません。またドイツの場合は、地政学的に周辺のヨーロッパ諸国と良好な関係を保たなければならない事情があります。例えば、貿易依存度も日本の倍以上あり、良好な関係がなくては経済的にも立ち行かなくなる。そうした状況下で選択を迫られたことで、過去の克服に取り組んできた経緯があります。だから単純に日本との比較は難しいので、ドイツが模範例というわけにはならないと思います。
工藤:確かに、メルケル首相のメッセージはもっと大きな枠組みの「外交:という話もありましたし、和解の問題は地政学的な要因からドイツと日本で単純に比較するのは難しいということはわかりました。ただドイツはナチスやホロコーストなどの世界史上の大犯罪に向き合いながら、再びヨーロッパの大国として仲間入りするために様々な取組みを行ってきました。こうした取り組みは、前提の違いがあるから無関係と言えるのか、あるいは色々違いがあるものの、日本に新しい視点を提供してくれるのでしょうか。
平島:確かに過去の克服は、メルケル首相の前任者であるシュレーダー前首相が属するいわゆる1968年世代から始まりました。それ以降は、研究者を含め様々なレベルで粘り強く隣国と対話を続けてきました。その背景にはもちろんナチズムの歴史がありますから、やむを得ずという側面もあります。しかし継続してきたことは事実で、その姿勢に学ぶところはあると思います。但し、地政学的あるいは政治的な状況がヨーロッパとアジアでは全く違うので、そうした相違点を踏まえた上で、主体的に取り組む姿勢が重要だということだと思います。
工藤:もう1つお聞きしたいのは、ドイツの政治家の間では、過去の行為に対して様々な意見が出ているのでしょうか。つまり、ポーランドで跪いたブラントを代表に、道義的な責任を負う姿勢を示しています。ドイツ国民、そして政治家は一様にそれを踏襲しているのか、あるいは様々な意見があるのでしょうか。
平島:党派的には中道右派は中道左派より自国の国益を追求する見方をするでしょうし、またシュレーダー自身もブラントやシュミットの時代に比べれば、やや国益重視的な態度を見せたということもあると思います。しかしブラント以降の過去に対する取り組みの基本的な姿勢は、政治家個人の間で多少の意見の相違はあるでしょうが、補償の問題、和解の取り組みなど、たくさんの積み重ねがあり、政治家の間で共有されているでしょうから、基本的には一致していると認識しています。
政治家の失言が多い日本とスピーチコードが明確なドイツの違い
工藤:網谷先生、ドイツと日本の政治家を比べた時に、歴史認識に違いはあるのでしょうか。
網谷:数量化した調査はないと思うので完全な印象論ですが、少なくともある時期まではドイツの方が政治家はこう話す必要がある、というコードがきちんと決まっていました。確かにナチス問題に関する危険な書籍は本屋には置けませんが、例えばチェコから戦後追い出された人たちについての「我が懐かしき故郷」の様な書籍は数多く置かれています。だからドイツ人一般が一様に戦争にかかわることすべてについて反省したわけではありません。しかし政治家には、これは言及してはいけない、政府の公式見解はこれだというスピーチコードがあります。周辺国との関係もあり、それを守らなければメインストリームからはじき出されます。それが積み重なって少しずつ浸透してきたということだと思います。日本では「総括」というと1回やって終わりというイメージかも知れませんが、ドイツでは60年70年という長い時間をかけてようやくここまで来たのであり、基本姿勢を決めた上で問題が出てきても順番に対応している。そのスパンの考え方は必要だと思います。
工藤:今のお話に関連して、日本の場合は「総括」が明確でなく、見解も変わっていったりふらついたりしているように見えるのでしょうか。
網谷:いわゆる問題発言というものがあります。そうした発言が政治的に必ずしも致命的にならないのはどうしてかと疑問に思います。ドイツとはそこが異なっており、ドイツで失言をすれば一発で政治家にとっての致命傷となり、その後大臣や首相になることはあり得ません。そのマナーが日本には多分ない。日本の「失言」の方が一般人の感覚には近いのかもしれませんから、それが良いのか悪いのかは分かりませんが。
工藤:今の話について近藤さんはどう思いますか。ある局面までは軽はずみな発言に対して厳しい世論もあった。しかし中国などの台頭などから地政学的に北東アジアのパワーバランスが大きく変化してきており、国民が様々な不安を持つ中で、軽はずみな発言でも許される環境がある気もするのですが。
近藤:日本との比較は一概には難しいと思います。さきほど平島先生や網谷先生がおっしゃった通り、ドイツではその後の政治キャリアが傷つけられると思いますが、日本については非常に難しいです。
ドイツには戦争の記憶を絶えないようにする試みが数多く存在する
工藤:例えば、ドイツはナチスやホロコーストを絶対に防ぐために民主主義の仕組みを作っていますが、一方で周辺国を侵略した歴史もあることは事実です。その事実については、最終的にどういう形で和解になったのでしょうか。統合の中で謝罪するプロセスを経て収めたのでしょうか。
近藤:統合したとはいえ、お互いに不信感も残っていると思います。ただドイツの場合は透明性を持って謝罪をした、ということに尽きるのではないでしょうか。日本と大きく異なる点は、至るところに文化的な施設があることです。そこで透明性を有する事実を打ち出していくことで戦争の記憶を絶えないようにするという試みが長らく行われてきました。そこは日本と異なる点です。
網谷:どこが同じでどこが違うか、ということを組み合わせて考える必要があると思います。ドイツの場合も、第一次世界大戦後の時はフランスなどとの間で歴史認識問題がありました。そして、ベルサイユ条約なども含めて、お互いに失敗したと思っているところはあり、それを踏まえて第二次大戦後の処理があります。また第二次世界大戦後は、ドイツはいわゆる戦後賠償は支払っていません。あくまでもナチスの不法行為に対してお金を出すという基本的スキームです。ナチスは国際的な問題だけでなく、国内の民主主義の問題であるからこそ、国内外で同じ理屈が通る構造になっています。ただチェコから追放されたドイツ人の問題やポーランドの領土が奪われた問題など、細かなところは今でも残っていると思います。
工藤:結果としては地政学的な要因と欧州統合のプロセスの中で、ドイツが必要とされる状況がありました。そして謝罪を持ち出してうまく浸透していきながら、その問題を解決したというニュアンスの発言をメルケル首相はしていましたが、そのような理解でよろしいでしょうか。平島さんどうおもわれますか。
平島:その通りだと思います。陸続きの国々であることから、歴史的な戦争の経験を踏まえながら、戦後はともに復興を目指しました。とりわけドイツはフランスと強い結びつきを築きながら、多面的な関係の中で過去に対する共通の理解や和解を深め、そして謝罪が込められてきたのだと思います。
[[SplitPage]]
民主主義の成熟度はドイツが優れていると回答した有識者がおよそ6割
工藤:続いて、デモクラシーの問題に移りたいと思います。かつてワイマール共和国の中で議会政治がナチスを作り出し凄惨な状況を生み出してしまった。その反省からドイツの民主主義は厳しく綿密に組み立てられている。日本もそれを見習い、民主主義を主体的に組み立てなければならない。日本も最初はそういった意識を持っている人はいたと思いますが、今はそれがなかなか見えてこない。日本のデモクラシーはそうした曖昧な上に作られている気がします。ドイツは、戦後どんな理念でデモクラシーを作り、何を達成しようとしたのか。そしてそれが日本の政治に示唆を与えているのかについて話していきたいと思います。
ここで有識者アンケートをご紹介します。まず、「あなたは民主主義の成熟度において、日本とドイツのどちらが優れているというイメージがありますか」と尋ねたところ、「ドイツの方が優れている」と回答した人が58.3%と6割近くに上りました。「同じくらい」は17.3%で、「日本」と回答したのは、3.9%でした。このアンケートをもとに、ドイツと日本の民主主義はどちらが成熟しているのか、またその理由についてお答えいただければと思います。
平島:ナチズム崩壊の後に一旦占領期が挟まりますが、第二次大戦後に連邦共和国の西ドイツの人々は自ら憲法を作りました。つまり戦前のワイマール期に、政党政治が非常にばらばらで機能せず、議会制民主主義がヒトラーを生みだしたことを反省して、基本法である西ドイツの憲法制定時に、議会制民主主義の安定的運営を制度的に保障するような仕組みを作りました。また連邦憲法裁判所の設置など、様々な制度的な仕組みを凝らしていきました。最初はアデナウアー首相という保守党の政治家が、安定的な宰相民主主義と呼ばれる超安定的な保守党政治を実現しました。そしてその後にようやく政権交代が起こって、真の意味での民主主義が徐々に定着していく道を辿りました。
工藤:どうでしょうか、近藤さんは日本とドイツのどちらの民主主義が優れていると思いますか。
ドイツ国内でも政治不信、政党不信、政治家不信が広がってきている
近藤:どちらともいえないですね。ドイツでも政党不信や政治不信が1990年代からかなり広がっていて、最近の様々な世論調査会社の調査では、政党を信頼すると回答する人は15~20%くらいで、政治不信、政党不信、政治家不信がドイツでもかなり広がってきています。したがって、どちらともいえません。私も最近ドイツで研究者やジャーナリスト、一般の人たちと話してきましたが、ドイツの政治家や政党が国民の声を聴いていないという不満が多く見られました。例えばドイツは国民投票をやりませんし、5%条項によって小政党が連邦議会から排除される仕組みがあります。しかし2000年以降、福祉国家に向けての様々な改革、移民政策の転換、脱原子力政策など政治が大きく流れていくにも関わらず、国民の意見が必ずしも反映されてないという不満が存在しています。
工藤:それは国民の声を反映させるための仕組みのことですか、それとも政治運営の問題をおっしゃっているのでしょうか。
近藤:5%条項や国民投票については制度の問題ですので、制度の問題が大きいと思います。そうした声が大きくなるにつれ、政党不信がドイツで広がっているのだと思います。
網谷:今、近藤さんが良い論点をくださいました。特に1990年代以降、20年間くらい政治不信という言葉が流行語大賞になるくらいドイツでも言われてきました。だからこそドイツの政治制度を手放しでほめる気にはなりません。先程、平島先生もおっしゃっていましたが、制度として作られたドイツの骨格と68年世代と呼ばれる人たちを中心とする70年代から80年代にかけての社会変容・文化変容がセットになって、私たちがしばしばお手本と思うようなドイツの姿があります。例えばドイツの制度だけを取り上げて日本に導入することについては否定的と言わざるを得ません。
改革が進まないドイツは「ヨーロッパの病人」と評された過去
工藤:60年代から70年代の社会変容とは具体的にどういうことでしょうか。
網谷:日本を見ていて不思議なのは、学生運動の活動家が猛烈サラリーマンになりました。ドイツでは必ずしもそうではなく、公務員になったケースやNPO活動に携わるなど、別の形の社会の在り方や生き方を広げる役割を果たすことで、社会の中で男女関係に関する考え方などがずいぶん変わってきました。ドイツの制度自体は、実は権力を集中させることなく分散させることでチェックアンドバランスをかけることで、権力を持っている人間が無茶なことができないことに重点が置かれています。それは逆に言えば、世論に敏感に反応するという政治システムではないのです。例えば脱原発の話に関してもメルケル首相は自分の政策のような顔をしていますが、あれはもともと赤緑連合政権のシュレーダーのときにやったことを、メルケル政権が誕生したときに一度は止めた政策を元に戻しただけなのです。だからいったん決まった政策に関して、継続性は持ちつつ積み上げていくという特徴があります。
しかし、ドイツはほんの10年前まで国内でも国外でも「ドイツはどうして改革できないのだ」と言われてきました。だから確かに私たちが教科書的に教わるデモクラシーのイメージにはドイツは近いかもしれませんが、それで市民が満足しているかと言えば必ずしもそうではありません。
平島:私が最初に述べたのは「戦後」のことです。その間にドイツ統一という大きな歴史的事件もありましたし、その後1990年代には政治的な不信が高まり、90年代末には全く改革ができない「ヨーロッパの病人」と言われていました。ただその間、シュレーダー政権が成立して政権交代を経験したり、その時々で市民の政治に対する評価は上がったり下がったりしてきたのだと思います。ただ長期的な視点で歴史を見た時には、国家統一後の連邦共和国という基本法を定めた政治の枠組みは維持しています。だから基本は守りつつ上手くいかない場合は、時間をかけながら政治的に改革していこうとしてきたのだと思います。とりわけ連邦制に関わる部分や財政に関わる部分など、基本法の改正も非常に頻繁にかつ大胆に行われてきました。ドイツの政治を日本の政治の参考にしたければ、そういったダイナミズムも含めて勉強しなければならないと思います。
厳密にはポピュリズムと積極的市民参加を判別する手段はない
工藤:今、示唆的な話がたくさんありました。まず戦後の問題では、長期的な基本的な骨格を見ると、ワイマール共和国において議会制政治が崩れていった過去を繰り返さないために、何としてでも阻止する、絶対にそれをやらないということで、立てつけをかなり作っています。だから先程の5%条項などによって新しい動きを止めたり、議会の中で裁量的な不信任という形で議会を奪取することをやめさせたり、あるいは大統領の権限を強いものにしなかったりしています。日本は司法が違憲問題について機能しているか疑問はありますが、ドイツには憲法裁判所があるなど、過去のナチスのような政党が出ないようにするための基本的な設計思想があることについては凄いと思いました。そうしたことは、過去を総括した中で仕組みを作り上げている。
一方で、直接民主制という問題が、まさにポピュリスティックな展開で民意を集めて政治を変えてしまう。これは昔のアリストテレスから始まった衆愚政治、危険なデモクラシーの展開を恐れたために、国民投票や直接民主制は全部やめて、代議制民主主義を重要視してその枠組みの中でやろうという話になった。少なくともこれは議会をベースにした展開になっていると思います。そこに一般の国民の民意を反映する仕組みが上手くいっていない、との問題が指摘されるようになってきた。こうした問題は政党政治や議会制民主主義における立てつけ上の欠点なのか、それとも運用の問題なのかが気になります。
網谷:よくポピュリズムという言葉が使われますが、ポピュリズムと市民参加が活発なデモクラシーとを判別する手段はありません。それ自体を、何か特定のものだけをポピュリズムということはできない気がします。だから戦後、ドイツの制度を作るときに、国民投票の排除などの形でその回路を一旦全部遮断するしか方法がありませんでした。それで安定はしましたが、それだけでは足りないということになって、昔はなかった市長の直接選挙などは非常に広がってきています。あるいはとりあえず国民投票を導入した方がいいという声も上がってきています。ただやはり反イスラムデモなどがある限り、本当に導入するという形にはならないと思います。もう1つインフラという話で大事なことは、政策を作るインフラです。日本の場合、市民社会が政策を考えるとなると手弁当でやるしかない状況です。そこが役所に独占されている状態では難しいと思います。
政策を作るインフラが整っているドイツは、デモなどの市民運動が盛ん
工藤:ドイツではどういった政策を作るインフラがあるのでしょうか。
網谷:ドイツで代表的なのは、政党の財団という仕組みがあります。それともう1つ、高級官僚の休職制度があります。政治的に合わない政党が政権を取った場合に、官僚が一旦、休職するという制度です。こうした制度は、高級官僚を1.5倍くらい雇うことになりますが、その休んでいる官僚が、連邦の野党が第一党になっている州の政府で働いているとか、どこかの会社に一時的に天下りしている場合もありますが、とにかく野党側の政策を作るリソースになるなど、政策を作る人間が官僚制度の中だけではなくもう少し広く広がっています。NPOなどもその卵を養成している側面もあります。そこはあまり報道されることはなく、目につかないところですが、実は非常に重要だと思います。
工藤:先程、脱原発の問題はメルケル首相の専売特許ではなくてという話ですが、もともと緑の党などがありました。つまり原発政策を変えるなどの大きな議論が市民から出た場合に、それを吸収する仕組みは新しい政党を作るしかないということになるのでしょうか。
近藤:そうはならないと思います。先程工藤さんがおっしゃったように、ドイツは代議制民主主義が非常に強固です。だからといって市民が政治に声を届ける回路が全くないわけではなく、デモなどの市民運動として表れています。ドイツはデモが非常に盛んで、湾岸戦争、イラク戦争、国籍法改正、ハルツ改革、そして今は反イスラムデモなどにみられるように、市民が集まって声を上げる動きが非常に盛んです。そうした動きが、市民が自分たちの意見を表明する場になっています。こうした動きに、政治が反応する場合があります。したがってそうした市民運動もあるので、完全に遮断された代議制民主主義とも言い難いと思います。
平島:今の関連で言うと、市民運動という言葉が出ましたが、安定的な議会制民主主義の枠組みがあると同時に連邦制国家でもあるので、連邦レベルでいきなり登場するのは難しくても州レベルや自治体レベルで様々な運動を通じて影響力を持たせることは十分に可能です。政策的な知が社会の中に分散しているということと、政治的に表現する場であるアクセスポイントがたくさんあって、市民社会が非常に活発だということだと思います。
[[SplitPage]]
およそ6割の有識者が、ドイツの幅広い政治教育の展開に注目している
工藤:これまでの議論を聞いていて、ドイツのデモクラシーの建て付けについては、日本の参考になる視点が多くあると感じています。私たちのスタンスは、どこかの国の制度を真似るのではなく、デモクラシーを基本に戻って考えるというものです。そこで有識者に、現在のデモクラシーの建て付けで、日本は何を議論すべきか、そしてさらにドイツの政治制度で示唆になるものは何かを尋ねました。ただ有識者の皆さんでも具体的な制度の話は分からない人が多いと思いますので、回答に困った人もいたと思います。
そうしたことを前提にした上で、有識者の56.7%が「民主主義の能力育成のため、連邦・州政府が政党や労働組合、教会などと連携しつつ、幅広い政治教育を展開している」を選択しました。この結果は、デモクラシーの仕組みを効率的に活用する能力を育成する教育が必要だと考える有識者多いということだと思います。
また52.8%の有識者が「議員の専門性が重視される」ことを重要だと回答しました。これは日本の国会議員などに課題解決の能力があるのかという点について、多くの人が関心を持っていることを示しているのではないでしょうか。そして「憲法裁判所と『強い司法』」と回答した有識者も51.2%おり、これは1票の格差など違憲状態が解決しないにも関わらず、立法である国会がそれを曖昧にし続けているという日本の現状に対する問題意識があると思います。最後に、「各州が主権を持ち、独自の州憲法、州議会、州政府および州裁判所を有する連邦制」と回答した人も半数近くに上りました。ここも中央集権的な仕組みを分権化することで意思決定の仕組みに活力を与えることの重要性を示唆していると思います。
私は個人的に関心を持っているのは、ドイツでは首相による裁量的な解散権が制限されており、政治家がきちんと4年間仕事できる状況が整えられていることです。ドイツでも抜け道があるそうですが、よほどのことがないと解散ができない。
そうなると去年の暮れに、安倍総理が行った消費税の先送りについての解散も難しくなる。また政党法の問題については、今回は尋ねませんでしたが、政党助成金を含めたお金の問題です。日本では選挙が頻繁にあって、落ち着いて仕事ができないという理由もありますが、ただ政党助成金の仕組みが非常にあいまいで使途がわかりにくいなど、様々な問題があると思います。さてここで皆さんに、日本が考えるべき論点はどこなのかについてお答えしていただきたいと思います。
政党が社会の中に根を張り、市民が政治を理解するためのインフラが整っているドイツ
平島:私も、このアンケートの回答には非常に迷いました。というのも、基本的には政治の仕組みは全体を考えなければ意味がないので、個別的な点だけ捉えても上手くはいきません。ただそれを踏まえた上で、この最も票を集めた、「幅広い政治教育の展開」について申しますと、各州に政治教育センターが整備されており、それが連邦制に連結した形で連邦のセンターが存在します。私もよく研究に利用しますが、ギムナジウム(ヨーロッパの中等教育機関で日本の中高一貫校に相当する学校)の社会の授業で使えるような教材や様々なワークシートが用意されているウェブサイトなども整備されています。市民に対して現実の政治の仕組みを良く理解するためのインフラが上手く提供されていることは重要なことだと思います。
網谷:「議員の専門性が重視されること」という渋い選択肢に半数以上の票が集まったことに驚きましたが、アンケート対象者の内訳を聞いてなるほどと思いました。全体に関係しますが、最後は、民主主義を支える思想のどれが好みかという話になります。例えば議員の専門性が重要だということは、逆に言えば、専門家の間では党派ごとの差はなくなっていくということです。そうすると、政策の選択肢を具体的に提示するという話はなくなってしまうかもしれない。
もう1つは、議員の専門性を重視した場合には、例えばその議員は選挙区との関係では非常に魅力がないので、選挙に勝てないかもしれない。だから議員の専門性を重視するためには比例代表の仕組みの方が向いている。したがって民主主義を考えるときに、市民が政策をメニューのように選択するイメージを持つのか、あるいは、結果としてより時間がかかるかもしれないが、より充実した政策が良いというイメージを持つかによって考え方は異なります。だからこそこの「議員の専門性を重視する」に52.8%が賛同しているのは非常に面白いと思いました。
他にも「憲法裁判所」と回答している人がほぼ半数いることに驚きました。これも先程と同様に、憲法裁判所の発言権を強くすることは、議会の発言権を弱くすることを意味します。去年の安倍さんの「解釈改憲」の問題でも、ドイツであれば憲法裁判所に話が持ち込まれるでしょう。逆に言えば、憲法裁判所が了承すればお墨付きがあるということです。ドイツでは政治的解決ができない問題を憲法裁判所に投げて、憲法裁判所はこういっているからということで進める側面もあります。デモクラシーは、議会と民意の緊張関係の中にありますから、この「憲法裁判所」が割と望まれているというのは、一方でポピュリズムと言われる中で、他方で「中道的な、適切な、穏当な解」が欲しいという認識がある気がして、そこは面白いと思いました。
工藤:確かに、「憲法裁判所」は、日本の三権分立の中で司法の弱いことの裏返しです。ただ、そこで全部決めるとそれはそれで問題がある。しかしこの結果には日本の現状に対する不安が出ていると思います。
近藤:平島先生がおっしゃるように、ある1つの制度を導入すれば日本の民主主義が良くなるか、といえば難しいと思います。建設的不信任や首相が裏技を使わなければ解散できない制度は、確かに首相が長く在任して政権の安定性に寄与するでしょうが、仕組みの総体を考えなければその仕組みにみを取り入れるのも難しいでしょう。
個人的に面白かったのは、56.7%が政治教育について言及している点です。この中に連邦州政府や政党が含まれていますが、ドイツの興味深い点は、このほかに政党が青年組織を持っていることです。基本的に 14歳くらいから加入でき、12、13万人くらいのメンバーを持っています。これは本体の党員ではなくてもよく、SPDは6万人くらいいます。ドイツには政党が青年層に幅広く根を張り、様々な催し物の機会を通じて政治学習の機会を提供する仕組みがあります。このアンケートの項目にはありませんが、政党の青年組織は日本でも参考になるのではと思いました。
工藤:各州の代表からなる連邦参議院などについては、日本でもたびたび議論される参議院の改革に対する1つのモデルにもなり得ると思います。休憩中に出た話が非常に印象的で関心を持ちました。例えばドイツでも、原発反対などの新しい問題が浮かび上がってきたときに、政党政治に吸収されていくプロセスについてです。より革新的な政党が生まれても、5%条項を乗り越えるまで議席を得ることができない。これは問題にならないのかと問うと、実は政党助成金の仕組みが日本と少し違っているということでした。日本の政党助成金の仕組みは、議員が何人以上集まれば助成金が下りるのですが、ドイツは得票率で助成金が下りるか下りないかが決まるというのです。だから5%条項よりもハードルが低く助成金が支給され、それを使って再起をかけて活動することができる。この仕組みは面白いと思いましたが、どうでしょうか。
網谷:その話は緑の党がなぜ国政に進出できたか、という話をするときに必ず引き合いに出されます。最初のうちはいくつかの州議会で5%条項に引っかかって、議員を出すことには失敗していました。しかし政党助成金の支給基準は満たしていたので、活動資金を得ることができて、最終的に連邦議会への進出に成功したという話です。ただそのときにポイントになるのが、政党の位置づけということです。日本では、政党は議員の集団だと考えますが、近藤先生のおっしゃる通り、実はドイツでは政党は政治家だけではなくて社会の一部でもあります。基本法上も、「国民の政治的意思形成に関与することが政党の役割である」と明記されており、社会や国民の中に根を張っている必要があります。だから議員を送り込んでいない政党にも補助金が下りなければならないという発想です。つまり政党の位置づけが日本と異なっているので、お金の出し方の発想の違いはあると思います。
工藤:日本では選挙の時だけ急に出てくる政党があって、社会に根を張った政党は少ないと思います。ところでドイツには政党となる要件を定めた政党法というものはないのでしょうか。
網谷:政党法も少し遅くなりますが、1960年代にきちんと作っています。
工藤:日本にも政党法が必要でしょうか。
近藤:網谷先生がおっしゃったように、ドイツでは政党が比較的に社会に根を張っています。党員数は合算すると日本の党員数とあまり変わりません。さらにその数には、支援組織の数が入っていないと思いますので、政党は社会が根を張っているという事情が日本と異なっています。
工藤:先程、近藤さんが休憩中に、自発的にデモに参加するという違いがあるのではないかとおっしゃっていました。ドイツに実際に行ってみると、夜になるとみんな帰宅して、表に出てきにくい印象がありました。ドイツではデモには人が集まるのでしょうか。
近藤:私は今回、研究のためにドレスデンに行って、「反イスラム運動」と「反・反イスラム運動」のうち、「反・反イスラム運動」を見に行くと、結構な人数が集まっていました。反イスラム運動は、ドレスデンという町だけで6200人集まったということで、これは大きいと思います。
工藤:平島さん、デモクラシーの仕組みを作った時の思想的な理念が異なるほかに、市民の政治に対する関心などの政治的な風土がかなり違うという理解でよろしいのでしょうか。
海外の民主主義と比べて見えてくる日本の民主主義の問題点や課題
平島:相当程度、異なっていると思います。すなわち歴史的な反省も含めて、戦後に作った安定性を志向した政治制度と運用が、徐々に政治家の間から一般国民の間に広がりました。その中から政権交代も1960年代に実現されるし、それからまた間接代表の議会制民主主義に飽き足らない市民が、議会外で様々な市民運動を組織し、声を上げるというダイナミズムの振幅が大きくなってきました。国家統一後、最近では政治不信が高まるなど問題も生じていますが、不満を持った市民がシュトゥットガルト駅の工事に対する反対するなど、市民社会が健全であると思います。
工藤:ということは、ドイツの政治不信からの改革は、基本的なフレームを守りつつ修正しようとしているということでしょうか。それともヒトラーの誕生を阻止するための建て付けそのものに歪みが生じてきているのでしょうか。
近藤:1990年代から政治不信の拡大はみられます。その中には、「政治家」や「政党」なども広く入ると思います。
工藤:それは、政党の課題解決能力が問われている、という風に受け止めていいのでしょうか。
近藤:民意がなかなか反映されていない現状があるのだと思います。ドイツの政党には、課題解決能力もあるとは思います。ただ市民は政策に十分に民意が反映されていないと感じている、ということだと思います。
網谷:ある調査で、民主主義を支える基本的な理念や価値に対しては、多くの人が依然として賛成だと述べています。ただそれが機能しているかと尋ねると、思った通りではないという答え方になるのだと思います。その時のポイントは、おそらく政党です。なぜかというと、社会に根を張った政党は上からは絶対に作れないからです。これはティモシー・ガルトン・アッシュというイギリス人が、旧東ヨーロッパの民主化を指摘しながら、「我々のところには政党はあるが、もしそれがなかったら私たちはそれを作るだろうか、つくらないだろう」と述べています。つまり私たちが知っている政党というのは、イデオロギー・組織・党員を持つような大衆政党を過去に持っていた。その遺産で今でも維持されているが、ゼロから民主化した国がそれを作ると思うか、という問いです。そこのところはいろいろな民主化の議論をする中で一番ネックになり、一番「作る」ことができない点だと思います。そこが実は一番難しいと思います。
工藤:ドイツの世論的には、ポピュリスティックな雰囲気なのでしょうか。それともかなり覚めたリアリズムというか、課題に向かい合った声というのがドイツの一般の声なのでしょうか。
近藤:今ドイツで台頭してきている「ドイツのための選択肢」という政党があります。ぎりぎり5%条項に引っかかっていますが、州議会選挙において連続で連勝している政党です。この政党は、ドイツはユーロから脱退すべきだと主張しています。ただそこにも反イスラム運動が流れ込んだり、市民にとって耳当たりの良いことを主張したり、かなりポピュリズム的ではないかと言われています。そういう政党が出てきていることも確かです。
工藤:時間になってしまいました。今日の議論は非常に参考になりました。世界的にデモクラシーがチャレンジを受けている。そして日本の状況は立直す必要がある問題がたくさんあると思いました。こうした議論をするためには、海外の研究者の声が示唆をもたらしてくれるという点で興味深いと思っています。皆さんにはまた協力していただきたいです。皆さん、ありがとうございました。
「フォロー」、「いいね!」、「メールアドレスのご登録」をお願いします。
※なお、4月以降は、テキスト全文については会員限定公開となります。あらかじめご了承ください。
言論NPOの会員制度の詳細についてはこちら
2015年3月13日(金)
出演者:
網谷龍介(津田塾大学学芸学部国際関係学科教授)
近藤正基(神戸大学大学院国際文化学研究科准教授)
平島健司(東京大学社会科学研究所教授)
司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)
工藤:言論NPO代表の工藤泰志です。さて私たちは2015年を通して、日本のデモクラシーについての議論を開始しています。2月に行った日本の政党政治についての議論を一歩進め、日本の民主主義について、ドイツの民主主義と比べながら、新しい視点を得ていきたいと思っています。まずゲストのご紹介です。東京大学社会科学研究所教授の平島健司氏先生、津田塾大学学芸学部国際関係学科教授の網谷龍介氏先生、そして最後に神戸大学大学院国際文化学研究科准教授の近藤正基氏先生にお越しいただきました。皆さんよろしくお願いします。
メルケル首相の「過去の総括が和解の前提」との発言に約8割の有識者が賛同
さて、先日メルケル独首相が訪日しました。安倍総理とメルケル首相との議論の中で、私たちが考えなければならない点が「歴史認識問題」と「和解問題」でした。これは安倍首相との共同記者会見でも質問されましたし、その後のメルケル首相の講演時にも話題になり、メルケル首相ご自身の意見を伝えていました。その中で「過去をきちんと総括することが和解の前提となる」との発言がありました。私も1カ月前にドイツに行き、北東アジアの中での戦後70年という問題を議論したときに、日本と近隣国との対立状況を非常に懸念する声が数多く寄せられ、世界でこの問題が非常に関心を持たれていることがわかりました。そこで、短時間でしたが、今回のテーマに関するアンケートを行いました。その中で、「過去を総括することが和解の前提となる」との発言に賛成するかどうかを尋ねたところ、「賛成」と回答したのは60.6%、「どちらかといえば賛成」が15.7%となり、8割近い有識者がメルケル首相の発言に賛同していることがわかりました。こうした状況をドイツの専門家の皆さんはどのように捉えているかお伺いできますか。
平島:日本側は予測していなかったでしょうが、私は直截な意見を述べていただいたと思っていますし、発言には賛成です。シュピーゲルという雑誌のメルケルの訪日に関する記事では、「ヘーフレッヒェ・マーネリン(礼節をわきまえた警告者)」という見出しになっていました。そう批判してくれる友好国が世界にあることは、日本にとって大変幸運なことだと思いました。
工藤:メルケル首相の発言は、自分がアドバイスする立場にはないと事前に述べた上で、自身の意見として話していました。メディアの質問に答えた側面もありますが、関心を持っていたからこそ発言したと思います。
地政学的な条件から和解という選択を迫られたドイツの過去
網谷:私はメルケル首相の訪日時、日本国内にいなかったので、その後、ドイツ語の原文を読みました。そこで1つ注意すべき点は、「和解の前提に『なる』」ではなく、「和解の前提に『なった』」と過去形で言及していたことです。一方で、今回の発言全体で彼女が伝えようとしていたメッセージは、大きな枠としての外交の在り方です。ドイツ外交で基本になっている「予測可能性」、「多角的外交の重要性」、そして「ヴェルトオッフェンハイトWeltoffenheit(世界に開かれていることの重要性)」に言及しており、それを上手く伝えるために、岩倉使節団の話から始めていました。直接的に歴史の和解の問題というよりは、むしろ日本にとっては大きな枠で外交を捉えることが大事ということだと思います。
近藤:メルケル首相の発言はドイツでは一般的な意見です。私は、日本のメディアの取り上げ方に多少問題があると思っていて、特にドイツが行った過去の克服を美化しすぎていると感じています。ドイツは長らくナチス党員の公職追放、あるいは記念碑や追悼施設の建設にも積極的ではなかったですし、1980年代になってようやく進めたという経緯があります。一貫してドイツが過去の克服に取り組んできたわけではないので、ドイツをあまりに美化することはできません。またドイツの場合は、地政学的に周辺のヨーロッパ諸国と良好な関係を保たなければならない事情があります。例えば、貿易依存度も日本の倍以上あり、良好な関係がなくては経済的にも立ち行かなくなる。そうした状況下で選択を迫られたことで、過去の克服に取り組んできた経緯があります。だから単純に日本との比較は難しいので、ドイツが模範例というわけにはならないと思います。
工藤:確かに、メルケル首相のメッセージはもっと大きな枠組みの「外交:という話もありましたし、和解の問題は地政学的な要因からドイツと日本で単純に比較するのは難しいということはわかりました。ただドイツはナチスやホロコーストなどの世界史上の大犯罪に向き合いながら、再びヨーロッパの大国として仲間入りするために様々な取組みを行ってきました。こうした取り組みは、前提の違いがあるから無関係と言えるのか、あるいは色々違いがあるものの、日本に新しい視点を提供してくれるのでしょうか。
平島:確かに過去の克服は、メルケル首相の前任者であるシュレーダー前首相が属するいわゆる1968年世代から始まりました。それ以降は、研究者を含め様々なレベルで粘り強く隣国と対話を続けてきました。その背景にはもちろんナチズムの歴史がありますから、やむを得ずという側面もあります。しかし継続してきたことは事実で、その姿勢に学ぶところはあると思います。但し、地政学的あるいは政治的な状況がヨーロッパとアジアでは全く違うので、そうした相違点を踏まえた上で、主体的に取り組む姿勢が重要だということだと思います。
工藤:もう1つお聞きしたいのは、ドイツの政治家の間では、過去の行為に対して様々な意見が出ているのでしょうか。つまり、ポーランドで跪いたブラントを代表に、道義的な責任を負う姿勢を示しています。ドイツ国民、そして政治家は一様にそれを踏襲しているのか、あるいは様々な意見があるのでしょうか。
平島:党派的には中道右派は中道左派より自国の国益を追求する見方をするでしょうし、またシュレーダー自身もブラントやシュミットの時代に比べれば、やや国益重視的な態度を見せたということもあると思います。しかしブラント以降の過去に対する取り組みの基本的な姿勢は、政治家個人の間で多少の意見の相違はあるでしょうが、補償の問題、和解の取り組みなど、たくさんの積み重ねがあり、政治家の間で共有されているでしょうから、基本的には一致していると認識しています。
政治家の失言が多い日本とスピーチコードが明確なドイツの違い
工藤:網谷先生、ドイツと日本の政治家を比べた時に、歴史認識に違いはあるのでしょうか。
網谷:数量化した調査はないと思うので完全な印象論ですが、少なくともある時期まではドイツの方が政治家はこう話す必要がある、というコードがきちんと決まっていました。確かにナチス問題に関する危険な書籍は本屋には置けませんが、例えばチェコから戦後追い出された人たちについての「我が懐かしき故郷」の様な書籍は数多く置かれています。だからドイツ人一般が一様に戦争にかかわることすべてについて反省したわけではありません。しかし政治家には、これは言及してはいけない、政府の公式見解はこれだというスピーチコードがあります。周辺国との関係もあり、それを守らなければメインストリームからはじき出されます。それが積み重なって少しずつ浸透してきたということだと思います。日本では「総括」というと1回やって終わりというイメージかも知れませんが、ドイツでは60年70年という長い時間をかけてようやくここまで来たのであり、基本姿勢を決めた上で問題が出てきても順番に対応している。そのスパンの考え方は必要だと思います。
工藤:今のお話に関連して、日本の場合は「総括」が明確でなく、見解も変わっていったりふらついたりしているように見えるのでしょうか。
網谷:いわゆる問題発言というものがあります。そうした発言が政治的に必ずしも致命的にならないのはどうしてかと疑問に思います。ドイツとはそこが異なっており、ドイツで失言をすれば一発で政治家にとっての致命傷となり、その後大臣や首相になることはあり得ません。そのマナーが日本には多分ない。日本の「失言」の方が一般人の感覚には近いのかもしれませんから、それが良いのか悪いのかは分かりませんが。
工藤:今の話について近藤さんはどう思いますか。ある局面までは軽はずみな発言に対して厳しい世論もあった。しかし中国などの台頭などから地政学的に北東アジアのパワーバランスが大きく変化してきており、国民が様々な不安を持つ中で、軽はずみな発言でも許される環境がある気もするのですが。
近藤:日本との比較は一概には難しいと思います。さきほど平島先生や網谷先生がおっしゃった通り、ドイツではその後の政治キャリアが傷つけられると思いますが、日本については非常に難しいです。
ドイツには戦争の記憶を絶えないようにする試みが数多く存在する
工藤:例えば、ドイツはナチスやホロコーストを絶対に防ぐために民主主義の仕組みを作っていますが、一方で周辺国を侵略した歴史もあることは事実です。その事実については、最終的にどういう形で和解になったのでしょうか。統合の中で謝罪するプロセスを経て収めたのでしょうか。
近藤:統合したとはいえ、お互いに不信感も残っていると思います。ただドイツの場合は透明性を持って謝罪をした、ということに尽きるのではないでしょうか。日本と大きく異なる点は、至るところに文化的な施設があることです。そこで透明性を有する事実を打ち出していくことで戦争の記憶を絶えないようにするという試みが長らく行われてきました。そこは日本と異なる点です。
網谷:どこが同じでどこが違うか、ということを組み合わせて考える必要があると思います。ドイツの場合も、第一次世界大戦後の時はフランスなどとの間で歴史認識問題がありました。そして、ベルサイユ条約なども含めて、お互いに失敗したと思っているところはあり、それを踏まえて第二次大戦後の処理があります。また第二次世界大戦後は、ドイツはいわゆる戦後賠償は支払っていません。あくまでもナチスの不法行為に対してお金を出すという基本的スキームです。ナチスは国際的な問題だけでなく、国内の民主主義の問題であるからこそ、国内外で同じ理屈が通る構造になっています。ただチェコから追放されたドイツ人の問題やポーランドの領土が奪われた問題など、細かなところは今でも残っていると思います。
工藤:結果としては地政学的な要因と欧州統合のプロセスの中で、ドイツが必要とされる状況がありました。そして謝罪を持ち出してうまく浸透していきながら、その問題を解決したというニュアンスの発言をメルケル首相はしていましたが、そのような理解でよろしいでしょうか。平島さんどうおもわれますか。
平島:その通りだと思います。陸続きの国々であることから、歴史的な戦争の経験を踏まえながら、戦後はともに復興を目指しました。とりわけドイツはフランスと強い結びつきを築きながら、多面的な関係の中で過去に対する共通の理解や和解を深め、そして謝罪が込められてきたのだと思います。