東日本大震災から4年、東北の復興は進んでいるのか

2015年3月27日

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 3月27日放送の言論スタジオでは、「東日本大震災から4年、東北の復興は進んでいるのか」と題して、新藤宗幸氏(後藤・安田記念東京都市研究所理事長)、寺島英弥氏(河北新報社編集局編集委員)、川崎興太氏(福島大学共生システム理工学類准教授)をゲストにお迎えして議論を行いました。


震災から4年が経過、被災地の現状は

工藤泰志 まず、議論の冒頭に司会の工藤から、「東北はもともと高齢社会という厳しい環境にあった中で、大地震やそれに伴う津波や原発事故に直面した。震災から4年が経ったが、被災地で復興のビジョンや今後の展望が見えているのか。また、今、被災地が直面している課題は何なのか、ということを今日の議論で浮き彫りにしたい」と議論の方向性が示された後、まず、現在の被災地の復興の状況についての問いかけがなされました。

 これに対して、3氏の見解はハード面での復旧はおおむね進んでいるものの、被災住民の暮らしの再建は全く進んでいないとの見解で一致しました。その原因についてさらに問いかけると、新藤氏は復興庁の行政体系に問題点があると指摘しました。同時に福島の復興については、「建前上、避難地域への帰還を掲げている一方で、復興公営住宅を建造している。そこに年配の人や子どもが移ることで、そこが終の棲家になる。結局、どっちつかずの話になっている問題点を指摘しました。

 続けて川崎氏は、福島の復興政策については、放射能の除染が全ての基礎になっていることを指摘した上で、「除染効果の限界が見え始めており、避難指示区域の全員帰還を始め、様々な政策が動かなくなってきている」と復興政策の構造自体を転換する必要性を主張しました。

 寺島氏は「物理的に見れば復旧は進んでいるが、風評被害や外国の輸入規制等により、福島の水産物や農作物の売り先がなくなっている」ことを指摘し、その結果、被災地で働く場所がなく、生活のベースができていない問題点を指摘しました。


被災地の復興に対する「復興庁」の役割とその課題

 続いて、言論NPOが事前に行った有識者アンケート結果では「被災地域の復興に向けて復興庁が機能していない」との見方が4割近くに上ったことを紹介しつつ、復興の現状や課題を踏まえた上で、復興庁が被災地の復興に向けた推進体制になっているのか、といった議論に移りました。

 これに対して新藤氏は、「復興庁が正式に発足するまで1年近く議論して創設に至ったにも関わらず、各省庁の寄せ集めで、各被災地の受付け窓口としての役割しか果たしていない。これでは地域にあった復興計画は実現しない」と問題点を指摘した上で、「復興計画の執行体制をより分権化して、国が財政的にそれをサポートする構造を作るべきだった」と主張しました。川崎氏は「復興庁自身が具体的に『復興』が何を意味するのかを定義できておらず、被災地住民が感じる『復興』と復興庁が用意する政策メニューに乖離が生じている」と指摘しました。

 一方、寺島氏は、除染については環境省、汚染水対策は経済産業省が対応するなど、環境省や経産省は住民に向き合ってきたが、復興庁は現場との繋がりが薄く、調整官庁との認識が強かったと指摘。しかし、最近は資金配分等についてきめ細かな対応をするようになり存在が目立つようになってきたことに触れつつ、2015年度で集中復興期間が終わった段階で、自治体への負担金を求めるなど、被災地側から見れば、復興庁は震災から腰が引け始めているのではないかと感じる点を指摘しました。

 さらに、新藤氏は「復興庁は各省庁の一時的な寄せ集めであるがゆえに、中で働いている官僚は自分の省庁を忖度してしまう」と話し、また寺島氏は、農地の除染についての具体例を挙げながら、「復興後の農地利用も考えなければならないので、農林水産省も関わるべきであるが、除染事業ということで環境省しか関わっていない」と、霞が関官庁の縦割り構造が被災地の復興の妨げになっている問題点も指摘しました。


政治の世界で、震災復興への関心は薄れ始めている

 その後、震災復興への関心の変化についての有識者アンケートでは、「強まっている」との回答が約2割、「変わらない」との回答が約6割に上ったこと、「5年間の集中復興期間が終了後の、次の5年間の復興」について「地域の事情を踏まえ、多様な復興計画を認める」との回答が半数を超えたことなどが紹介されました。その上で、政治の世界では被災地の復興、福島の興に本気で取り組んでいるのか、と問いかけました。

 これに対して新藤氏は、「昨年末の総選挙では、三陸海岸地域や福島の復興について、被災自治体でさえも論戦が起きなかった」と危惧を示しました。川崎氏は福島第一原発周辺の福島県双葉町の事例を紹介しながら「双葉町の中で帰還困難区域ではない4%の土地を復興前線拠点として、様々な復興計画に取り組んでいる。より広域的な計画を描く必要があるが、国家が主導的な役割を果たさず、各自治体の足並みがそろっていない」と問題点を指摘しました。

 寺島氏は「2020年に向けてのアベノミクスに対する関心が高まる裏で、復興庁の予算を一部地元に負担してもらう流れが加速している。きめ細かく自立を支援するために、被災者とともに被災地支援をしているNPOを支援する等、地元のニーズ、自治体が必要としているところを、復興庁が連携役になってパートナーになっていく必要がある」と今後の継続的な支援の必要性を主張しました。


被災住民が住みたいと思うような街づくりと、きめ細やかな支援の必要性

 さらに新藤氏は「福島の被災地への帰還を優先するにしても、まずは雇用を確保する必要がある。産業集積、高規格道路、新規住宅地などそれぞれがバラバラで整合性がなく、どのような街を作りたいのかわからない」と指摘しました。

 川崎氏は「各市町村が独自に取り組んでも上手くいかず、もっと広域で議論すべきだ。今後人口が減っていく中で、このままでは空き家だけが残って、人がいないという可能性もありうる」と現状に対する問題意識を投げかけました。

 寺島氏は、復興庁と自治体の最新の調査結果に触れながら、原発周辺自治体に帰還したいと思う人は1割もいないという一方で、飯館村では帰還したいという回答が1年前よりも増えたことを指摘。その上で、「元の場所に戻る人と、元の場所には戻らないが、同郷というネットワークで繋がっていく。これからは各自治体がそれぞれの選択を迫られる局面がやってくる。そうした選択が認められなければ自治体そのものが消滅する可能性もある」と語り、原発被災地は自治体消滅という綱渡りの状況にある点を指摘しました。そして、飯館村のように希望の種がある限り、きめ細かく支援して行くことが必要性を指摘しました。

 最後に、今回の議論を振り返り工藤は、「震災の風化が最も恐ろしい。復興が終わったと思ってほしくない」と視聴者や読者に対する投げかけを行い、震災復興の問題については、今後も定期的に議論を行っていくと語り、今回の議論を締めくくりました。

議論の全容をテキストで読む    

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工藤:言論NPO代表の工藤泰志です。さて、3月11日に東日本大震災から丸4年を迎えました。この4年の間に復興も進んできていますが、格差が色々出ているとメディアなどで報道されています。私の出身地が青森ということもあって、東日本大震災からの復興について非常に関心を寄せているのですが、東北は復興に向けて本当に動いているのかという疑問があります。

 もともと東北地方は高齢化社会という厳しい環境の中で、地域の将来像をどのように描くのか、という課題があった状況で大震災が起こりました。そうした状況も踏まえながら、次の展望を示すころができるのか、という課題があったわけですが、なかなかそうはなっていないと感じています。今日は、これからの復興についての課題を浮き彫りにして、これからの議論をスタートするために3名の方に集まってもらいました。

 ゲストは、新藤宗幸氏(後藤・安田記念東京都市研究所理事長)、寺島英弥氏(河北新報社編集局編集委員)、川崎興太氏(福島大学共生システム理工学類准教授)です。皆さんよろしくお願いいたします。

 まず、復旧ステージにおいては、がれき処理や住宅建設などが動いているのは事実ですが、東北地方の復興全体の展望や道筋が見えているのだろうか、という疑問があります。そういった展望がない限り、きちんとした評価もできないと思っています。そのあたりについていかがでしょうか。


物理的な復旧は進んでいるものの、人々の生活再建には課題が残る

新藤:非常に見えづらいと思います。今回の地震は、三陸沿岸への津波被害と福島の4基の原発が崩壊したという複合的な被害です。私も調査のために、何度も現地に行って被災地を見てきました。岩手、宮城などの三陸地域の復興については、東京から訪れると、海岸沿いに大きな道路ができ、被災地のかさ上げ作業が進んでいるのですが、住民はどこに行っているのか、この街をどうするのかという視点が見えません。

 福島については、国も県もやっていることが「ちぐはぐ」という印象を受けます。特に双葉郡の原発立地から逃げている人が、まだ12万人もいるのに、どうするかの方針が明確だと思えません。

寺島:津波被災地では土地のかさ上げが進んでいる。高さ10mを超える規模も珍しくありません。そして災害公営住宅も建設され、仮設住宅からの移転も進み、さらに水産加工場の再建も進んでいます。そして、福島では家屋や農地の除染が進んでおり、物理的、表面的に見れば、復旧は進んでいます。

 では、生業の回復という点についてはどうなのか。特に東北の被災地はどこも農業や水産業が主産業でしたが、被災地の水産加工業者を対象に水産庁が行った最新の調査結果を見ると、「震災前の売り上げの8割まで回復している業者はまだ4割」です。その要因は、風評により市場が閉ざされていることと、人が集まらないということでした。福島第1原発からの汚染水流出が続き、風評を固定化させている。被災地の北と南は、原発事故と津波被災という別々の問題を抱えているように言われていますが、風評の影響は風評は北も南も同じだ。

 また、被災地の農業も風評に苦しんでいる。昨年秋には米価が暴落し、福島県浜通りのコメ価格も4割減になった。宮城県内の被災地でも、広大な面積の水田が復旧しているが、被災してコメ作りを諦めた農家の水田を支える一握りの担い手も、作れば赤字という苦境に追いやられている。農業、水産業共に、大変に苦しい状態が続いていると思います。

川崎:復興の状況について、福島と宮城や岩手ではかなり様相が異なると思います。特に福島の復興の進捗状況について語る場合には、その前に、そもそも「『復興』とは何か」ということを確認しておくことが今なお重要だと思っています。つまり、一般に言われているような「空間の再生」という意味での復興に関しては、遅いという意見はあるかもしれませんが、防潮堤の建設などいろいろな進展は見られます。

 しかし、福島ではもっと本質的な意味での復興、すなわち「住民の生活再建」については、まだまだ進んでいません。公式な統計では避難者は12万人であり、実際にはもっと多いと言われていますが、いずれにしても、こうした多くの方々がまだ将来の見通しがつかないまま日々暮らしています。また、福島市、郡山市、いわき市など避難指示区域外においても、避難はしていなくても、特に小さいお子さんを持つご両親は、日々子供の成長について不安を抱えながら暮らしています。このように、「住民の生活再建」という意味での復興はあまり進んでいないというのが実感です。

工藤:これまでのお話で共通していたのは、高台の移転、公営住宅の建設、建物やがれき処理等、物理的には目に見えて改善が進んでいるものの、漁業や農業の立て直しは途上で、人の流出が止まらない中、地域が未来に向けて動いていてはいない。震災から4年が経ち、現状を改善して前に向かおうとする道筋は見え始めているのでしょうか。

新藤:政治家も含めて、多くの人が「前に向かおう」とは言うものの、前に向かう体制が作られていないのが現状だと思います。復興庁の話が典型ですが、今回の復興体制はどっちつかずになっていると思います。被災自治体に復興計画を作るように指示していますが、霞ヶ関の分散的・割拠的な構造を大前提にしているために、被災自治体が復興計画を進めるのをブロックする行政体制ができてしまっている。三陸沿岸については、私はそう思っています。

 福島については、先程も申しましたが、やっていることがちぐはぐではないかと感じています。建前上は、原発が立地していた地域や避難地域に帰還すると言いますが、なぜその地域外に立派に復興公営住宅を造っているのでしょうか。お年寄りはともかく、子どものいる世帯が復興公営住宅に入れば、小学校や中学校にも通うことになり、そこが故郷になります。一方で、富岡町や双葉町に帰ろうと主張している。そうした点を整理しない限り、いつまでたってもどっちつかずの話になると思います。

工藤:確かに、全員で帰りましょうということが実現できればいいのですが、それが実現できないことも視野に入れ、そろそろ本気で政策対応をやるべきだという話でした。

 物理的には復旧が進んでいるが、実体的な生活回復が出来ていない原因は何でしょうか。


「除染」を基点にしていた復興計画が崩れつつある今、発想の転換が必要

川崎:福島に限って言えば、復興政策の構造に問題があると思っています。福島復興政策は、「除染なくして復興なし」というドグマに基づいて構造化されていると理解しています。つまり、やや図式的な言い方になりますが、放射能被害が深刻かつ甚大なことから、「除染」をふるさとの復興と生活再建の基点・基盤に位置付けた上で、双葉郡などの避難指示区域内ではいつかは全員帰還、避難指示区域外では居住継続を前提として、住民の生活再建とふるさとの復興を同時的に実現することが目指されています。先ほど新藤先生がおっしゃったのは避難指示区域内の話で、除染を行い、ふるさとの再生を行うので、いつかは全員で帰還して、ふるさとで生活再建を図る、これが復興の状態だとされています。

 福島復興政策は、基本的にこのような立てつけになっていますが、4年が経過する中で、「除染なくして復興なし」というドグマの延長線上に福島の復興の姿を描くことはできないということが明らかになってきており、その構造自体を転換することが求められているのだと思います。まず、復興の基点・基盤とされている除染の効果はあまりなく、除染の限界が見えてきた。これは、放射能の自然減衰などに伴って、放射能の力が低減していることとも関連していますが、いずれにせよ、除染の政策的な位置づけを見直すことが必要になっています。次に、避難指示区域内では、実態的にも全員帰還という神話が崩れており、避難指示区域外では、先ほども言いましたように、今なお自分の生活に自信が持てないまま、避難したくても避難できずに、不安を抱えて暮らしている住民が多く、積極的に移住や避難を支援すべき状況にあります。最後に、今なお多くのお爺ちゃんやお婆ちゃんが質の低い仮設住宅で避難生活を送っており、震災関連死として認定される方はほとんどいなくなってきていますが、劣悪な環境下でバタバタとお亡くなりになっているという事実があります。将来的にふるさとに帰るかどうかはともかく、現在の避難生活に対する支援をもっともっと充実させる必要があります。


工場などの復旧が進んでも、商品の売り先がない東北の現状

寺島:宮城に目を向けると、水産加工業が震災前、県内の総生産の内でもナンバー1を占めていました。しかし、水産加工業界のまとめによると、震災後の風評被害の総額は560億円から700億円に上るという。津波で被災して休業し、、工場を再建して製造を再開する間に、中国などからの輸入品や別の地域の産品に市場を占められ、お客さんから風評への懸念があればスーパーなどは商品を置かないし、また大手も安い自社ブランドを開発して隙間を埋めていき、市場が回復できない状況ができあがってしまいました。

 例えば、宮城県の「ほや」の水揚げは震災前、全国の95%ぐらいを占めていました。昨年6月、震災後初めての水揚げをしましたが、「ほや」の最大の販売先だった韓国が、2011年以来、原発事故と汚染水を理由とした水産物の輸入規制を続けており、売り先がなくなった。これも風評被害です。

 収入が入らないから人が雇えない。だから、被災地では働く場所がまだまだ広がらないのが現状です。宮城県女川町ではJR石巻線が再開し、新しい駅舎ができ、3月21日に「まちびらき」が行われました。復興を待ちわびた町民に希望あるニュースを伝えたいのが町の切実な願いだと思いますが、周囲は見渡す限り、かさ上げ工事途上の赤土の大地であるというのが現状です。

工藤:具体的な課題や構造が見えてきたので、その1つひとつに可能な限り議論を深めていきたいと思います。


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工藤:ここまでは、復旧、復興の現状の課題を明らかにしてもらいましたが、その議論の中で、これから考えるべき重要な論点が出てきました。まずは4年前に設立された復興庁がどう機能したのか、ということについて議論したいと思います。


有識者アンケートでは、「復興庁が機能していない」との回答が約4割

 まず、私たちが実施したアンケート結果についてご紹介します。「あなたは震災からの4年間を見て、被災地域の復興に向けて復興庁が機能していたかと思いますか」と尋ねたところ、18.3%の人が「機能している(「どちらかといえば機能している」を含む)」と回答しました。一方、「機能していない(「どちらかといえば機能していない」を含む)」との回答は41.7%になりました。「どちらともいえない」が17.5%、「そもそも復興庁はいらなかった」との回答は5.0%という結果でした。

 震災の直後、復興庁の立て付けの議論がかなりありました。後藤新平が総裁を務めた「帝都復興院」のようなものをつくり、東北の構造的な弱点を埋めて、未来に向けて大きな転換を図るなど様々な議論がありました。しかし結果として復興庁は、集権的に強い権限を持つのではなく、各省庁の出先機関というよりは受付窓口の機関になってしまっている。例えば、地域の自治体が復興計画を持って行ったとしても復興庁が独自にやるのではなくて他省庁に投げる形になっている。確か、阪神大震災の時には、地域のニーズに基づいたプランと政府の広域的なプランを結んで行く仕組みがあったような気がします。それが今回の東日本大震災では、自治体と政府がバラバラにやっているという印象がしています。今後、復興推進体制は検証する必要があると思いますが、新藤さんは何がダメだったと思いますか。


既存の省庁体制から脱却しないままの「復興庁」では役割を果たせない

新藤:3月11日に大震災が発生してから1年後の2012年2月に復興庁は動き始めました。確かに、関東大震災後の後藤新平の「帝都復興院」のような強力な体制を作るという議論もありました。しかし、今の霞ヶ関の公共事業官庁の権限を復興庁に移管して、一元化できるかというと、今の省庁体制で実現できるはずがありません。私はもっと県単位に分権した復興体制を作るべきだという意見ですが、それも国の責任は何かという議論で阻まれてしまう。結局2月に発足した現行の復興庁は、各自治体の復興計画の受付窓口であるだけで、受け付けた計画を事業ごとに所管している官庁に査定をお願いして、返ってきたものをホチキスして自治体に返すだけになっています。立てつけ上は、大臣の枠を増やしていますが、現状はどっちつかずになっています。現状の割拠的な集権体制が下に降りただけで、地域にあった復興計画を作る体制からはほど遠いのが実状です。

 では、何が問題だったのかですが、例えば帝都復興院のようなものを作るとなれば、今の日本の行政組織の作り方からすると、設置法からの国会審議を必要とし、既存の組織から財源を奪うことは容易ではありません。関東大震災時は、天皇が勅令を出せば終わりでしたが、今は時代が異なります。どのレベルの大きさにするのかはともかく、計画執行体制としては権限を分権化し、それを国が財政的にサポートするべきでしたが、それができないのが今の状態を招いていると思います。

寺島:現場を歩いていると、被災地側からの目には、復興庁は現場と繋がりがある官庁には見えません。福島県浜通りの被災地では、除染は環境省、原発事故と汚染水は経産省(と東京電力)が担当し、それぞれが除染作業や汚染水対策の説明会などの場で直に住民と接点があります。

 被災地で復興庁の存在があらためて話題になったのは、つい先日です。国が26兆円余りを投じた「集中復興期間」の5年間が2016年3月に終わり、その後をどうするという話です。16年度からの5年間も後期復興期間として6兆円を確保するという方針が政府から出ました。しかし、もう増税ができないという背景もあり、「被災地の自治体にも負担を求める」と復興大臣が発言して大きな波紋を呼びました。政府首脳はそれを否定していないことから、そうした流れになるのかとは思います。

 被災地側からこうした動きを見れば、政府は震災・復興から腰が引き始めたと映るわけです。家屋や農地の除染が行われたところで自立を無理矢理促されることになるのではないか、という懸念を原発事故被災地のある首長が語っていました。放射能や生業の再開に不安を抱え、帰還を諦めたり迷ったりしている住民との間にも乖離が生じ、地元の自治体は大変なジレンマを抱えています。

 また、被災地を支援するために多くのNPOが被災地に入っていますが、その活動を支える補助金も、復興予算とともに5年間で切れてしまう見通しであることから、支援半ばで現地を撤退せざるを得ないという話が出始めています。

 復興庁は、震災関連死が3000人を超えたとの調査結果を発表したばかりですが、被災者をケアする生活支援相談員に対する補助金も切られてしまうことになり、その費用も自治体が自前でやる必要が出てきます。岩手県はその負担を覚悟で延長することを表明しており、いろいろな影響や混乱が出てきそうです。

川崎:復興庁は関係機関への受付機関で、お金をまとめて配分する役割があると思います。津波被災地域では、多くの建造物が着々と建設され、それなりに復旧の状態が目に見えてきていることから、間接的にではあれ、復興庁がそれなりに機能しているような印象を持つ住民もいるのではないかと思います。一方、原子力災害は津波災害よりも広域的なもので、例えば津波被害を受けていない福島市などにも放射能は降り注ぎました。こうした地域に復興に向けた課題がないのかといえばそうではありませんが、復興庁の予算はほとんど回ってきておらず、復興庁の姿はほとんど見えません。ここには、冒頭に述べました「復興とは何か」という定義にかかわる問題が横たわっており、住民が生活再建に必要だと考える手段と、復興庁が用意しているメニューに乖離があるということです。

 既に4年が経ってしまっていますが、避難指示区域外であっても、日々自分の生活環境に自信が持てないまま暮らし続けている住民がたくさんおり、こうした住民に対して、避難生活の支援策や移住のための支援策が何もないということは大きな問題だと思います。これは、原発事故子ども・被災者支援法が骨抜きにされてしまったということとも関連します。


既存省庁の権限の縦割り構造が、被災地の効率的な復興を妨げている要因

工藤:復興庁が生活支援の担い手として受け止められていないという指摘でした。全体的な立てつけとしてわからなくなってきたのですが、そもそも復興庁は何をやる機関なのでしょうか。例えば環境省や経産省も復興事業に取り組んでいる側面もありますが、そうしたことを復興庁が全部まとめてやるわけではありませんよね。

新藤:国交省、農水省などの既存組織を維持したままで大きな出来事が起こり、人材や資源を集中投下しなければならない時に、各省を調整する調整官庁が必要だという議論が出ますが、そうした調整は復興庁に出来る話ではありません。だから地域に金を渡すべきだと私は主張していますが、既存体制のままで復興庁を作るべきではありません。最近は復興庁を経由してくる生活援助金もありますが、復興庁が独自に財務省から予算を引っ張ってきたものではない。ここが問題で、結局は各省庁の寄せ集めです。

工藤:もう少し省庁として何を実現するのか、という点がなければならないのではないでしょうか。

新藤:しかし、各省の寄せ集めで新しい組織を作れば、寄せ集められた官僚は、本籍地の省庁を向いて仕事をしてしまいます。環境省もかつてそういった省庁でしたが、やっと生え抜きで中枢を押さえられるようになり、まともになったのがいい例だと思います。

工藤:先程、原発関連の除染から始まる全体的な話が出ましたが、各省庁のレベルを超えている気がします。国が本気で取り組む必要があると思いますが、立て付けがそのような形になっていないと思いますが、その点についてはどうですか。

新藤:おかしいと思います。除染の集中的な権限をどこに持たせるかということです。但し、除染そのものが合理的かどうかの判断も必要だと思います。

工藤:福島の立て直しについては、国がきちんと考える局面だと思いますが、寺島さん、いかがでしょうか。

寺島:復興庁とは本来、政府内を調整して総合的な判断の上で被災地に効果的に予算を配するのが役割なのだと思いますが、実際のところ、飯館村の農地の除染を見ていると、本来であれば表土をはぎ取るなどの除染を行った上で地力を回復させ、土づくりから野菜やコメをつくっていくプロセスを支援していくのは、本来であれば、経験も知見も農家との付き合いもある農水省の仕事です。震災直後は、農水省が直に農地の除染実験を手掛けていました。しかし、その後は政権交代もあってか、環境省が除染を一手に主管し、農地の除染も担うようになりました。その結果、本来、除染を最優先に進める環境省と、除染後の農業復興にいち早く方向性を示してほしい地元の当事者の要望との間でズレが出ています。そうしたメニューも農水省が持っているのですが、農水省の出番や連携がないのが現状です。「国の縦割りが復興を遅らせている」という村民の声も聞きました。そうした調整こそが、復興庁の一番の役割なのだと思います。


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工藤:ここで、さらに有識者アンケートを紹介します。「震災から4年が経ち、震災復興への関心はどのようになりましたか」と尋ねたところ、「強まっている」との回答は19.2%、「弱まっている」との回答は24.2%、そして「変わらない」は56.7%と6割近くになり安堵しています。ただ、政治の世界では被災地の復旧や復興に本気で取り組んでいるのか、という疑問が残ります。また、被災地の中で資材の高騰により復興が停滞するという状況もありますが、福島や被災地の問題への政治の現状についてどのように感じていますか。

被災地では、国家のイニシアチブが欠如している状態が続いている

新藤:例えば昨年の12月の総選挙では、被災地域の中でも論戦になっていませんでした。やはり、三陸沿岸、福島をどう復興するかは今の政治には全く議論がないと思います。

川崎:再び福島のことについて話をすると、放射能被害は長期的かつ広範囲なものです。今回の東日本大震災や福島原発事故後における復興の基本理念の一つには、復興の担い手に関して「被災地主義」、つまり被災市町村が中心となって復興の計画を立案し実現するというものがあると思います。

 ところがそもそも空間的に広範囲かつ長期的な問題に直面しているときに、市町村主義で対応するとどのようなことが起こるか?例えば双葉町について申し上げると、町の行政区域の96%が帰還困難区域に指定されていて、なおかつその96%の区域に96%の住民が住んでいました。双葉町では、自分の権限と守備範囲の中で一生懸命に復興を遂げる、つまり、帰還困難区域以外の4%の区域に復興の前線拠点を建設する計画を立案し、住宅を作ったり雇用を創出したりしようとしています。こうしたことが、程度の差はあれ、双葉町の周辺の市町村でもそれぞれに行われているわけですが、果たして、こうした事態が合理的と言えるのかという疑問があります。

 私は、ここでの問題は、広域性と長期性を特徴とする放射能被害の実態と復興まちづくりの空間的な単位がずれていることにあると思っています。国なのか県なのかという議論はあるとしても、いずれにせよ、市町村の行政区域を超えた広域的な単位で捉えなければ将来像は描けないはずなのに、それぞれの市町村が権限と守備範囲の中で復興を遂げようとしているわけです。冒頭のご質問に戻りますと、こうした決して合理的とは言えない状況をつくった要因としては、国家のイニシアチブが欠如していることが挙げられると思います。

寺島:震災から4年が経ち、莫大な予算を使って土を盛り、土木作業を行い、除染を機関の条件をつくるといったベース作りから、帰還してどのように生きられるかといった自立支援が、これからの段階のテーマだと思います。そのテーマに国が発想を変えられないでいる現状が感じられます。被災地から眺めると、政府は2020年の東京オリンピックに向けてアベノミクス景気をいかに盛り上げるか、というシナリオに頭が向いているように見える。それが、復興予算を被災地に一部負担させようという腰引けの姿勢に移っているのでは、とも。先ほど述べましたように、きめ細かく自立を支援する必要から、被災者とともに活動してくれているNPOへの予算を打ち切るようなことを、まずなくしてほしい。むしろ、被災地に多くの人を集まり、交流する人口が増えることが復興につながるのです。まさに地元のニーズ、自治体が必要としているところを、復興庁が連携役になって、パートナーになっていかないといけない状況だと思います。


「帰還が無理なところ」の範囲については、慎重な議論が必要

工藤:今のお話に繋がると思いますが、あと2つアンケートを行っています。まず、「あなたは福島が復興するために必要なことは何だと思いますか」と尋ねたところ、一番多かったのが「帰還が無理なところはそれを明示して、新生活の基盤づくりに向けた支援策」との回答が65.8%で最多となりました。次に多い回答が「汚染水対策など、原発事故の収束」で43.3%でした。

 もう1つの質問で「5年間の復興集中期間が2016年3月に終わりますが、次の5年間で何をやるべきか」を尋ねたところ、50.8%の人が「地域の事情も踏まえて多様な復興計画を認める」と回答し、「自治体の復興計画と国の直轄事業の相互の見直しをする」が16.7%で続きました。地域の中で色々な動きが見られるので、それに見合った形での復興支援策に変えるべきなのではないかという意見でした。つまり福島の復興に向けて、今私たちは何を課題として考えなければならないのでしょうか。

川崎:1つは、福島復興のために必要なこととして、65.8%の人が「帰還が無理なところはそれを明示して、新生活の基盤作りに向けて支援策を取って欲しい」と回答していますが、これに関して言いますと、問題は「帰還が無理なところはどこか」ということです。つまり、それは国が明示している帰還困難区域だけに限られるのかということです。2013年12月に新しい賠償の指針が出て、全員帰還の方針が一部改められ、帰還困難区域に住んでいた人たちについては、賠償を払うという方針転換がありました。避難指示の解除の一つの目安は20ミリシーベルトになっていますが、それではとても帰れないという状況の中で、「帰還が無理なところ」という範囲については慎重な議論が必要だと思います。

 それから、もう一つのアンケートに関する「地域の事情も踏まえて多様な復興計画を認める」というのもその通りだとは思いますが、先程申し上げた空間単位のずれが特に福島では大きいと考えています。先ほどは触れませんでしたが、実は、昨年の暮れに、12市町村の将来を考えるための会を国が立ち上げました。4年も経ってからというのはどうなのか、という問題点はありますが、今年の夏ぐらいに結論が出るということで、今後の帰趨を見守る必要があると思っています。


「どのような街づくりを行うのか」という計画がないまま進められる復興

新藤:「帰還が無理なところはそれを明示して、新生活の基盤作りに向けて支援策を取って欲しい」との回答が最多となったのは興味深い点です。いずれにしても双葉町等に帰還して生活することはできるかもしれませんが、一番の問題は雇用がないということです。結局は、職をどうするのかというのが重要な問題です。就業支援体制をきちんとしなければ、帰還を優先しても仕方がないと思います。かつてリーマンショック以降、様々な基金の創設があり、NPO等にも就労支援の活動を働きかけました。そうした施策をかなり広範囲にやる段階に来ていると思います。

 それから、「地域の事情も踏まえて多様な復興計画を認める」というのは、建前から言えば政府も既に行っていると言うでしょう。ですから大槌町でも山田町でも南三陸でも、住民を単位にした計画を作っています。もちろんそれがコンサルに適当にリードされている側面もあるようですが、問題はこうした計画に対して、どのように財政的に支えるかということだと思います。

 また、これまでは、高台への移転、盛り土するなどが進められていますが、盛り土をしてどのような街を作るのか、といったビジョンは明確ではありません。さらに、盛り土をして高台になっている場所は、高速道路や高規格道路が通るなど、大きな道路や堤防はどんどんできています。その中間の津波で流されたところも盛り土は進んでいますが、どんな街を作るのかまだ決まっていない。一方で、高台に高規格道路を作り、それを超えた沿岸から高いところに新住宅を作るという声もある。果たして、一体どれを重点的に実現しようとしているのか、全く見えません。

川崎:都市計画やまちづくりの分野では、今回の復興は、市町村主義であまり上手くいかないのではないかということが当初から言われていました。先ほどは福島の放射能被害について述べましたが、市町村主義の弊害というのは、形は違いますが津波被災地域でも生じている、あるいは、今後生じると思います。例えば、それぞれの被災市町村で事業計画が立てられ、高台移転が行われたり、区画整理が行われたりしていますが、数年かかって宅地を作ったのはいいけれども、できたころには、果たしてどれぐらいの人が戻ってくるのかという問題があります。もしかすると、空き地や空き家ばかりを作ることになって、土木工事の跡だけが残ってしまうということさえ危惧される状況だと思います。


希望の種がある限り、きめ細かく支援して行くことが重要だ

寺島:毎年、復興庁と避難指示を受けた地元自治体が一緒に、住民の「帰還」についての意向調査を行っています。最新のデータでは、浪江、富岡、大熊、双葉という原発周辺の町については、「いずれ帰りたい」との回答がいずれも1割台にとどまっています。年齢別でいうと中高年が多く、「帰らない」との回答は5割前後です。

 ただ、その中で「帰りたい」との回答が増えたのは飯舘村でした。1年前の調査では21.3%だった数字が、今回は29.4%になりました「帰らない」との回答も30.8%から26.5%に減っています。この結果に対して、飯舘村の村長は、除染が進んでの効果ではないかと話していました。小さな数字の変化かもしれませんが、地元の自治体に取っては大きな希望の種なのです。

 飯館村がこのほどまとめた第5版の「いいたて までいな復興計画」は、村に帰って住むという人と、村には直接は住まないが近くにいて繋がっていく、というネットワーク型の共同体で村を維持していきたいとの考え方を打ち出しています。また、帰りたい意向の人でも、ハウス園芸をやりたい人、地区の水田を北海道並みに広く繋げて放牧をしたいという人もおり、これからは、個々の住民も、自治体も、それぞれの生き方を選択していく気がします。言論NPOのアンケートでも多かった、「多様な選択の支援を認めるべきだ」という回答に全く同感するところです。

 一方でこうした生き方が認められないと、ただ人口流出が進むだけではないかと思います。昨年、増田寛也元総務相らの政策提言団体「日本創成会議」が、2040年までの「消滅可能性自治体」を挙げた地方消滅論を発表し、センセーショナルなニュースになりました。平成の大合併以来の自治体大再編を意図する総務省が背後にいるのでは、とも言われています。東北の被災地はいずれも、人口の流出、減少が止まらず、原発事故被災地の町村、震災後の減少率30%の女川町をはじめとして、自分たちの自治体が消滅するかのではないか、といった綱渡りのような危惧が生まれていると思います。その意味でも、希望の種を育てる、きめ細かな支援を続けることが必要ではないでしょうか。古里で再び、生業で自ら立って生きられることこそ、真の復興だと考えるからです。

工藤:まだまだ話を進めたいのですが、時間になってしまいました。今までの話を聞いていて、風化が一番怖いと思いました。政策課題はずっと続いているのにも拘らず、終わったと錯覚してしまうのは非常に良くないと思っています。今回の意見をご覧になった人は、まだまだ現在進行形で様々な問題が残っていると感じたと思います。そうした残っている課題を、どのように解決していくのかが問われていると感じました。私たちも、引き続き被災地の問題について定期的に議論や検証していきたいと思っています。その意味でも、今日は非常に大きな論点を提起していただきました。皆さん、どうもありがとうございました。

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2015年3月27日(金)
出演者:
川崎興太(福島大学共生システム理工学類准教授)
新藤宗幸(後藤・安田記念東京都市研究所理事長)
寺島英弥(河北新報社編集局編集委員)

司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)

工藤:言論NPO代表の工藤泰志です。さて、3月11日に東日本大震災から丸4年を迎えました。この4年の間に復興も進んできていますが、格差が色々出ているとメディアなどで報道されています。私の出身地が青森ということもあって、東日本大震災からの復興について非常に関心を寄せているのですが、東北は復興に向けて本当に動いているのかという疑問があります。

 もともと東北地方は高齢化社会という厳しい環境の中で、地域の将来像をどのように描くのか、という課題があった状況で大震災が起こりました。そうした状況も踏まえながら、次の展望を示すころができるのか、という課題があったわけですが、なかなかそうはなっていないと感じています。今日は、これからの復興についての課題を浮き彫りにして、これからの議論をスタートするために3名の方に集まってもらいました。

 ゲストは、新藤宗幸氏(後藤・安田記念東京都市研究所理事長)、寺島英弥氏(河北新報社編集局編集委員)、川崎興太氏(福島大学共生システム理工学類准教授)です。皆さんよろしくお願いいたします。

 まず、復旧ステージにおいては、がれき処理や住宅建設などが動いているのは事実ですが、東北地方の復興全体の展望や道筋が見えているのだろうか、という疑問があります。そういった展望がない限り、きちんとした評価もできないと思っています。そのあたりについていかがでしょうか。


物理的な復旧は進んでいるものの、人々の生活再建には課題が残る

新藤:非常に見えづらいと思います。今回の地震は、三陸沿岸への津波被害と福島の4基の原発が崩壊したという複合的な被害です。私も調査のために、何度も現地に行って被災地を見てきました。岩手、宮城などの三陸地域の復興については、東京から訪れると、海岸沿いに大きな道路ができ、被災地のかさ上げ作業が進んでいるのですが、住民はどこに行っているのか、この街をどうするのかという視点が見えません。

 福島については、国も県もやっていることが「ちぐはぐ」という印象を受けます。特に双葉郡の原発立地から逃げている人が、まだ12万人もいるのに、どうするかの方針が明確だと思えません。

寺島:津波被災地では土地のかさ上げが進んでいる。高さ10mを超える規模も珍しくありません。そして災害公営住宅も建設され、仮設住宅からの移転も進み、さらに水産加工場の再建も進んでいます。そして、福島では家屋や農地の除染が進んでおり、物理的、表面的に見れば、復旧は進んでいます。

 では、生業の回復という点についてはどうなのか。特に東北の被災地はどこも農業や水産業が主産業でしたが、被災地の水産加工業者を対象に水産庁が行った最新の調査結果を見ると、「震災前の売り上げの8割まで回復している業者はまだ4割」です。その要因は、風評により市場が閉ざされていることと、人が集まらないということでした。福島第1原発からの汚染水流出が続き、風評を固定化させている。被災地の北と南は、原発事故と津波被災という別々の問題を抱えているように言われていますが、風評の影響は風評は北も南も同じだ。

 また、被災地の農業も風評に苦しんでいる。昨年秋には米価が暴落し、福島県浜通りのコメ価格も4割減になった。宮城県内の被災地でも、広大な面積の水田が復旧しているが、被災してコメ作りを諦めた農家の水田を支える一握りの担い手も、作れば赤字という苦境に追いやられている。農業、水産業共に、大変に苦しい状態が続いていると思います。

川崎:復興の状況について、福島と宮城や岩手ではかなり様相が異なると思います。特に福島の復興の進捗状況について語る場合には、その前に、そもそも「『復興』とは何か」ということを確認しておくことが今なお重要だと思っています。つまり、一般に言われているような「空間の再生」という意味での復興に関しては、遅いという意見はあるかもしれませんが、防潮堤の建設などいろいろな進展は見られます。

 しかし、福島ではもっと本質的な意味での復興、すなわち「住民の生活再建」については、まだまだ進んでいません。公式な統計では避難者は12万人であり、実際にはもっと多いと言われていますが、いずれにしても、こうした多くの方々がまだ将来の見通しがつかないまま日々暮らしています。また、福島市、郡山市、いわき市など避難指示区域外においても、避難はしていなくても、特に小さいお子さんを持つご両親は、日々子供の成長について不安を抱えながら暮らしています。このように、「住民の生活再建」という意味での復興はあまり進んでいないというのが実感です。

工藤:これまでのお話で共通していたのは、高台の移転、公営住宅の建設、建物やがれき処理等、物理的には目に見えて改善が進んでいるものの、漁業や農業の立て直しは途上で、人の流出が止まらない中、地域が未来に向けて動いていてはいない。震災から4年が経ち、現状を改善して前に向かおうとする道筋は見え始めているのでしょうか。

新藤:政治家も含めて、多くの人が「前に向かおう」とは言うものの、前に向かう体制が作られていないのが現状だと思います。復興庁の話が典型ですが、今回の復興体制はどっちつかずになっていると思います。被災自治体に復興計画を作るように指示していますが、霞ヶ関の分散的・割拠的な構造を大前提にしているために、被災自治体が復興計画を進めるのをブロックする行政体制ができてしまっている。三陸沿岸については、私はそう思っています。

 福島については、先程も申しましたが、やっていることがちぐはぐではないかと感じています。建前上は、原発が立地していた地域や避難地域に帰還すると言いますが、なぜその地域外に立派に復興公営住宅を造っているのでしょうか。お年寄りはともかく、子どものいる世帯が復興公営住宅に入れば、小学校や中学校にも通うことになり、そこが故郷になります。一方で、富岡町や双葉町に帰ろうと主張している。そうした点を整理しない限り、いつまでたってもどっちつかずの話になると思います。

工藤:確かに、全員で帰りましょうということが実現できればいいのですが、それが実現できないことも視野に入れ、そろそろ本気で政策対応をやるべきだという話でした。

 物理的には復旧が進んでいるが、実体的な生活回復が出来ていない原因は何でしょうか。


「除染」を基点にしていた復興計画が崩れつつある今、発想の転換が必要

川崎:福島に限って言えば、復興政策の構造に問題があると思っています。福島復興政策は、「除染なくして復興なし」というドグマに基づいて構造化されていると理解しています。つまり、やや図式的な言い方になりますが、放射能被害が深刻かつ甚大なことから、「除染」をふるさとの復興と生活再建の基点・基盤に位置付けた上で、双葉郡などの避難指示区域内ではいつかは全員帰還、避難指示区域外では居住継続を前提として、住民の生活再建とふるさとの復興を同時的に実現することが目指されています。先ほど新藤先生がおっしゃったのは避難指示区域内の話で、除染を行い、ふるさとの再生を行うので、いつかは全員で帰還して、ふるさとで生活再建を図る、これが復興の状態だとされています。

 福島復興政策は、基本的にこのような立てつけになっていますが、4年が経過する中で、「除染なくして復興なし」というドグマの延長線上に福島の復興の姿を描くことはできないということが明らかになってきており、その構造自体を転換することが求められているのだと思います。まず、復興の基点・基盤とされている除染の効果はあまりなく、除染の限界が見えてきた。これは、放射能の自然減衰などに伴って、放射能の力が低減していることとも関連していますが、いずれにせよ、除染の政策的な位置づけを見直すことが必要になっています。次に、避難指示区域内では、実態的にも全員帰還という神話が崩れており、避難指示区域外では、先ほども言いましたように、今なお自分の生活に自信が持てないまま、避難したくても避難できずに、不安を抱えて暮らしている住民が多く、積極的に移住や避難を支援すべき状況にあります。最後に、今なお多くのお爺ちゃんやお婆ちゃんが質の低い仮設住宅で避難生活を送っており、震災関連死として認定される方はほとんどいなくなってきていますが、劣悪な環境下でバタバタとお亡くなりになっているという事実があります。将来的にふるさとに帰るかどうかはともかく、現在の避難生活に対する支援をもっともっと充実させる必要があります。


工場などの復旧が進んでも、商品の売り先がない東北の現状

寺島:宮城に目を向けると、水産加工業が震災前、県内の総生産の内でもナンバー1を占めていました。しかし、水産加工業界のまとめによると、震災後の風評被害の総額は560億円から700億円に上るという。津波で被災して休業し、、工場を再建して製造を再開する間に、中国などからの輸入品や別の地域の産品に市場を占められ、お客さんから風評への懸念があればスーパーなどは商品を置かないし、また大手も安い自社ブランドを開発して隙間を埋めていき、市場が回復できない状況ができあがってしまいました。

 例えば、宮城県の「ほや」の水揚げは震災前、全国の95%ぐらいを占めていました。昨年6月、震災後初めての水揚げをしましたが、「ほや」の最大の販売先だった韓国が、2011年以来、原発事故と汚染水を理由とした水産物の輸入規制を続けており、売り先がなくなった。これも風評被害です。

 収入が入らないから人が雇えない。だから、被災地では働く場所がまだまだ広がらないのが現状です。宮城県女川町ではJR石巻線が再開し、新しい駅舎ができ、3月21日に「まちびらき」が行われました。復興を待ちわびた町民に希望あるニュースを伝えたいのが町の切実な願いだと思いますが、周囲は見渡す限り、かさ上げ工事途上の赤土の大地であるというのが現状です。

工藤:具体的な課題や構造が見えてきたので、その1つひとつに可能な限り議論を深めていきたいと思います。


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