議論では、両国政府が、関係改善に舵を切り、安倍談話も大きな障害にならなかったのは事実だが、まだまだ予断を許さない状況だというのが共通の見方で、これを機会に「対抗ではなく協調協力」姿勢や、政府間関係よりも先行して民間が課題に向き合った議論を開始することの意義を指摘する声が、相次ぎました。
改善基調であるが、確かな流れには至っていない日中関係
まず、冒頭で司会を務めた言論NPO代表の工藤が、「日中両国政府の歩み寄りの背景には何があるのか」と問いかけると、三氏ともに、中国国内の変化をその原因に挙げました。
宮本氏は、「(日本が尖閣諸島を国有化した)2012年以降、衝突を繰り返してきたものの、お互い代償は大きい。中国共産党の最大の関心事は国内で、その鍵は経済だが、対立している相手と経済ではうまくやっていこうと思っても難しい。安倍首相も前提条件なしで話をしたい、と言っており、ようやく事態が動き始めた」と述べました。
川島氏は、中国の国内政治の事情の観点から「反腐敗運動で超大物クラスの粛清も進み、国内が落ち着き始め、関係改善に向かう余裕ができた」と習近平体制の体制固めが進んでいる、とし、「反日に舵を切りすぎると、デモが起きてしまう。国内の不満が発達しすぎないように日本との関係を適切に処理する必要があった」と語りました。
中国経済が専門の伊藤氏は、リーマンショック以降、中国政府が景気対策をやりすぎたことを指摘した上で、「投資も債務も過剰な状態であり、景気の腰折れが懸念されている。そうした状況に陥らないためにも、安定した(外交)環境が不可欠だった」と指摘しました。
ただ、宮本、川島両氏とも改善基調だが、その道のりはまだ綱渡りの段階、という認識は一緒で、川島氏が、「ガス田問題や日本の安保法制では、中国メディアは反発している。関係改善の動きは確実となった、と断言するまでには至っていない」と述べると、宮本氏は、首相同士の会談の意味が中国では特に大きい、が、「中国の社会はそう簡単に全体が右向け右にはならない。特に反社会運動は社会に亀裂をもたらしており、大きな混乱もなく、対日関係を調整するという仕事を今、周近平さんがやっている、ということ」と応じた。
安倍談話に対する評価のハードルを下げた中国
8月14日に出された安倍首相の戦後70年談話に対しては、中国政府は抑制的なトーンを貫き、それ自体で対立が先鋭化しないように対応していた、と工藤が水を向けると、宮本氏は、5月の自民党・二階俊博総務会長率いる3000人訪中団に対して、習近平国家主席が、「歴史の事実を否認し、歪曲することは許さない」と述べたことに触れつつ、「何が『否認』で、何が『歪曲』なのかはわざと明確にしておらず、解釈の余地を残した。したがって、安倍談話はこの条件から見ると、間違いなく合格できる内容だった」と語りました。
安倍談話に関する有識者会議「21世紀構想懇談会」のメンバーである川島氏も「中国はある種、こだわりを持たないような姿勢を示して、日本側に解釈権を留保した」と、宮本氏の見方に賛同しました。川島氏は続けて、「政府が抑制的に対応しても、国民が怒った場合、結果として政府も強硬な態度にならざるを得ない、ということを危惧していたが、今回はメディアが批判してもネット世論は大きく反応していなかった。北京の日本大使館が、談話の中国語訳を練った上で公表したのも良い対応だった」と語りました。
伊藤氏は、「安倍談話自体は、多くの方が練られて作られた文章、との印象を持った。これからは、それをどう実行に移すかが、次のステップだと思う」と述べた。
日中関係の今後に向けて、民間は政府の一歩先を行く議論をすべき
最後に、日中関係の今後について議論がなされました。
まず、宮本氏は、関係改善と言っても、2010年以前の状態に戻るというのは非現実的、との立場を示し、「2010年頃までは日中関係の構造は経済が中心だったが、2012年以降は安全保障も柱となってしまった。この安全保障における緊張の緩和は難しいし、経済と安保が絡んで複雑化した構造はこれからも続くだろう」と語りました。
また、今後の日中関係は、ますます米中関係のマネジメントに似てくる、と指摘し、その点では、「9月の習主席の訪米が一つのポイントになる。ここで南シナ海問題をめぐって中国が既成事実を押し付けて自分の立場を強固にしようとすることを、アメリカはどこまで認めるか。そうした流れの中で日中関係も考えていく必要がある」とした上で、「軍事力を前面に出して自らの理想を実現した国はない。アメリカですらそうだった。だから、中国に対しても、軍事中心でなければ協力できることはたくさんある、と伝える必要がある」と語りました。
これに対して、川島氏は、「日本が中国に対する敵対関係を煽っていると国際社会に受け取られるようなことがあってはならない」とし、「日本は平和構築が第一、中国とも平和でやっていきたいが、中国のああいう対応をしているからやむを得ず、という形で、中国とも折り合いをつけていくべき」と語りました。
伊藤氏は、AIIBに見られるような中国の「野心」に対しては、「日中両国が含まれる広域のFTAやEPAを推進し、中国と周辺諸国の非対称的な相互依存関係を解消するような展開が望ましい」と問題提起すると、宮本氏は「中国は熟慮した上で行動しているわけではなく、考えながら動いている節がある。我々も『対抗していく』という発想ではなく、中国を良い方向に誘導していくような議論をすべき」、川島氏も「『一路一帯』構想には日本は入っていないが、だからと言って無視せずにメッセージを出していくべき」と語りました。
言論NPOが取り組む、中国との間の民間外交に関しては、宮本氏は、2013年に言論NPOが中国側と合意した「不戦の誓い」について触れながら、「両国世論が過激化する中、双方の有識者が平和の価値を発信したように、政府の一歩先を行って、民間が理念を打ち出すことが重要」と期待を寄せ、伊藤氏は、中国経済が健全に成長していくことは日本にとっても不可欠であると述べた上で、「バブル期の教訓など、日本の知見を共有しながら、中国が課題を乗り越えることをサポートしていくべき」と主張しました。
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工藤:現在、日本と中国の両国政府は、関係改善に向けた新しい展開を見せています。安倍談話も障害になってはおらず、政府間の動きも進んでいます。言論NPOも10月末には、東京-北京フォーラムを北京で行う準備を進めています。日中関係が今、大きく新しい展開を見せている背景に何があるのか。それが今日の議論のテーマです。今日は3人の中国の専門家をゲストにお迎えし、議論をしていきたいと思います。
まず、宮本アジア研究所代表で中国大使も務められた宮本雄二さんです。続いて、東京大学大学院総合文化研究科教授の川島真さんです。最後に、みずほ総研アジア調査部中国室室長の伊藤信悟さんです。
改善に向かう背景には何があるのか
さて、日本と中国の間で歩み寄りというか、関係改善に向けた動きが始まっているように見えます。昨年11月、今年4月と2度日中首脳会談が行なわれました。そして、海上連絡網、つまり、尖閣周辺での危機管理メカニズムについても、事務方レベルでは議論が進んでいると聞いています。一方で、中国経済の先行きに不透明感が出ており、先日も人民元の引き下げを契機に世界的な株安が起こりました。こういう状況の中で、日中関係が改善に向かっている背景には何があるのでしょうか。
宮本:一番大きな背景は、(日本政府が尖閣諸島を国有化した)2012年以降、ぶつかってみたけれど、互いに代償が大きかった、ということです。とりわけ中国側は「日本と対立することは割に合わない」と考え始めたのではないでしょうか。中国共産党にとって一番大事なのは国政で、その鍵となるのは経済ですが、経済がグローバル化している中では、喧嘩ばかりしている相手と、「経済の方ではうまくやっていきましょう」というのは難しいですよ。そういう中で中国側が対日関係改善に舵を切った。安倍首相は初めから「前提条件なしで話をする」と言っておられたわけですから、ようやくそういう方向で事態が動いてきたんではないでしょうか。
川島:宮本さんがおっしゃった通りですが、国内政治の状況も、要因としてあると思います。中国の対日政策は国内政治に密接に関わっています。ある程度、国内が落ち着きを見せる中で、日本に対しても関係改善に踏み出す余裕ができた。それは、反腐敗運動で超大物クラスの粛清が粛々と進み、かつ決着の方向も大体見えていますので、日本に対しての関係改善に舵を切っても国内は荒れない。むしろ、反日の方向に舵を切りすぎると、デモも起きてしまう。日本との関係をきちんと適切に処理することが、国内のいろんな不満が噴出し過ぎないようにするための処置でもある、という面もあります。
伊藤:中国がリーマンショック以降、かなり大規模な景気対策をやりましたが、これはやり過ぎでした。その結果、投資も債務も過剰になり、中国経済は2010年の第一四半期以降、ずっと減速基調にあるという状況です。下手をすると景気が腰折れしかねない状況だ、という認識が中国政府には強くあります。ですから、そういった状況に陥らないためには、やはり安定した(外交)環境が必要だ、と考えているのではないかと思います。また、外交という点で言いますと、TPP交渉が進展する中では、それに対するけん制というか、アジアインフラ投資銀行(AIIB)に日本を引き込みたいという意味合いもあると思います。
4月の首脳会談から出た改善へのGOサイン。ただし、いまだ予断を許さない状況
工藤:宮本さん、日中関係の関係改善は、具体的にどのように進んでいるのですか。
宮本:一番大きいのは、やはり首脳会談を開いて、首脳同士で関係改善にGOサインを出すことです。とりわけ、中国では上からGOサインが出ませんと、下が動きませんから。今後も関係改善に向けたアクセルを強めるのか弱めるのか、すべて首脳会談で決まってきますから、引き続き首脳会談は大事です。
日中双方の基本的な認識は、やや言い過ぎではありますが、「日本と中国の軍事力が、戦後初めて直接対峙して、戦争の瀬戸際までいった」というものです。それにもかかわらず、振り返ってみたら、意思疎通をして不測の事態に対応するためのメカニズムがゼロだったんです。それで両国は慌てふためいたわけです。したがって、とにかく緊急会議はきちんとやらないといけない、という了解ができて、習近平・安倍会談が実現しました。というわけで、安全保障面では進んでいる。
それ以外の分野についても、経済を中心に前に進めていくということのGOサインが出ましたので、進み始めています。そういうふうに実は、政府間の対話というのは、いろんなレベルで始まっているんですね。
工藤:昨年11月に、最初に安倍さんと習近平さんが会った時に、習近平さんの顔が非常に苦虫を潰しているようで、(安倍さんのことを)そこまで認めていないということを印象付けていました。方針が大きく転換したのはその頃なのでしょうか。
川島:日中関係は改善基調にありますが、まだまだ綱渡りだろうということは言われていて、7月段階でも例えば、日本政府が東シナ海における中国のガス田開発の映像を公開したり、国会においても、南シナ海の機雷除去に関して、「集団的自衛権で対処する」というような議論も出てきた。それに対する中国側の反応はかなり強く、「日中の関係改善に水を差すというものである」という抗議もかなりあったわけですし、中国メディアの反発も強かった。ですから、私自身は「関係改善への流れが確固たるものになった」とまで断言するのはまだまだ言い過ぎだろう、と思っているところです。
ただ、もともと経済や環境、それから地方交流は継続していたし、また、中国から大変多くの観光客も来たわけです。そのあたりの大きな流れというのは変わらない状態で、さらに海上連絡メカニズム作りも着々と進んでいる。4月のバンドン会議での首脳会談の際には、どうも中国側が会場を全部用意していたということですので、この辺りから大きな意味でのGOサインが出てきた、と私は思っています。
宮本:政治家の方というのは、カメラがあるところとカメラがないところでは顔が違うものです。象徴的だったのは、1回目の首脳会談の時、安倍首相は、記者会見で「食事の席で習近平さんから『中国では、2回目に会った時はもう古い友人ですから』と言われたということを紹介しましたよね。中国ではそうなんです。したがって、習近平さんは2回目の首脳会談の時には、古い友人として安倍さんを遇しているはずなんです。現にそういう話が耳に入ってきます。習近平さんはそういうところでGOサインを出したということです。
問題は、中国の社会はそう簡単に全体が「右向け右」にならないということです。やっぱり、社会の中では、「日本に対してそんなに甘い態度でいいのか」という声は結構強い。これは純粋にそう考えている人もいるし、思惑があってそういう姿勢を示している人もいる。やはり、川島さんが言われた反腐敗運動というのは、社会の中に亀裂をもたらすんですよ。だから、そういうのを一つにまとめながら、大きな混乱が起こらないように対日関係を調整していくという仕事を今、習近平さんはやっているんだと思います。
工藤:川島さん、報道などを見ると、5月に自民党の二階俊博総務会長率いる3000人の訪中団に対して、習近平さんが非常に笑顔で出迎えたり、7月には国家安全保障会議(NSC)の谷内正太郎局長が訪中したら李克強首相が会談に応じたりと、やはり現実的で具体的なアプローチが目に見える形で動いていますよね。確かに中国側は変わっているように見える。一方で、安保法制やガス田問題など緊張が高まるような議論もある。その中で、中国にとって、対日関係改善というのはもう路線として定まっているのでしょうか。
川島:私は中国側が改善路線に踏み出しているかもしれないけど、そうではない可能性も考慮し、そこは慎重に見ています。日本の問題が単独で存在しているのであれば、日本の問題だけを取り上げてもいいんですが、実際には経済問題、反腐敗問題、あるいは歴史にまつわるナショナリズムの問題など、色々な問題が複数絡み合いながら、対日関係が形成されていきます。ですから、確かに7月までは良い雰囲気だったけれど、何かの要因でいきなりガラッと変わる、ということもあるかもしれない。そういうわけで、ある程度改善には向かっているものの、そこまで大きく変わっているようには見えないですね。
日中の経済関係が改善していく芽は確かにある
工藤:伊藤さん、経済面で見ると、AIIBをめぐって、かなり日本と中国の間で考え方の違いがありますよね。日本は中国が、いろんな戦略的な「夢」を持って動いていると感じて、それに対してどう対抗するか、を考えている。そのような対立的なイメージが、経済面で出てきていた、とも感じていたのですが。
伊藤:AIIBを通して、中国が勢力を拡大するのではないか。それに伴って、本来は返済能力がない国に対しても大量な貸し出しが行われて、結果的として、アジア、ユーラシア圏の経済が悪化してしまうのではないか、という懸念が日本の中であったというのは確かだと思います。ただ、今は、直接入らないまでも、「じゃあ、どのように協力していくのか」ということを考える段階に入ってきている、という感じはします。
工藤:中国経済の現状はどうなっているのでしょうか。
伊藤:過剰投資、過剰債務に悩まされているので、バランスシートを調整していかなければならないのですが、それが解消するには少なく見ても2年、3年はかかるだろうという状況です。仮に、そのまま解消せずに放置すれば、成長率が6%よりも下になってしまう可能性がある。そうなりますと、雇用にも悪影響になってしまいますし、場合によっては金融不安につながる可能性もある、そういう状況ですので、政府は一生懸命金融政策を打ち、財政政策を打ち、また、海外からの資本導入も含めて積極的にやっていかなければならないという認識を持っていると思います。
工藤:日中の経済関係も落ち込んでいましたが、改善に向かうのでしょうか。
伊藤:日本企業の中で、中国に対する投資熱は弱っているという傾向は確かにあります。ただ、実際にアンケート調査を見ますと、欧米や、ASEANに対する投資に関心が高まっていることは確かではありますが、依然として中国が重要な事業展開先であるという認識は変わらず多いわけです。多くの日本企業が、中国国内でもう既にかなり大きなビジネスをしていますから、日中関係の安定化は重大な関心事であるわけです。従業員の安全確保にも関わってくる問題でもありますし、今後中国の市場で高齢化ビジネスであったり、環境ビジネスであったり色々日本ができることもある。中国が求めていることもある。そういうことを考えますと、日中関係が経済面で改善していく上での元手となるようなものはあると思います。
2012年から構造が変化した日中関係
工藤:宮本さん、日中両国は関係改善への意志を持っているのか、という点について、これまで中国側の動きを中心にお話を伺いましたが、では、日本側はどうなのでしょうか。
宮本:日本側には関係改善の意志はありますが、もちろん、無条件ではないということですね。ここで、我々が意識していかなければならないのは、2012年の前後から日中関係の基本的構図が変わっているということです。それを前提としないで、以前の発想のままで日中関係を見ると、「関係改善が進んでいないじゃないか」ということになるわけです。
それはどういうことかというと、2010年頃までの日中関係は経済中心で進んでいたわけです。経済が上手くいっていれば他の問題は処理できた。しかし、とりわけ2012年以降、安全保障が日中関係の大きな柱になってしまった。こうなると将来も緊張含みの関係が続き、しかも、もう緊張が緩和されることはほぼないでしょう。そうすると、緊張含みの安全保障と、経済の二つが重なり合いながら日中関係が出てきますから、したがって2010年以前のような日中関係に戻るというのは、ほぼ実現不可能だと思いますね。
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解釈の余地を広く残すことで、安倍談話を受け入れやすくした中国
工藤:今年は戦後70年ということで、安倍さんが先日、談話を発表しました。その内容については、事前にアジアの周辺国から懸念が寄せられました。そして、談話が8月14日に出されたわけですが、中国や韓国の報道では、確かに厳しい論調はあるのですが、政府レベルの反応を見ると、意外に理解を示しているように見える。つまり、これ以上問題化しないための配慮がある印象を受けます。
宮本:中国側も、日中関係を可能な限り前に進めたいと考えている。ただ、中国国内にもいろんな意見がありますから、そういうものを考慮しながら、慎重に対応する必要があります。そういう立場からすると、今回の安倍談話は「一応、切り抜けられる談話だな」と判断していると思います。私が注目したのは、5月の3000人訪中団を迎えた際に、習近平さんが、歴史問題に関して、「歴史の事実を否認し、歴史を歪曲することは許さない」と言ったことです。逆に、これだけしか言っていない。何が事実の否認であり、何が歪曲かということを、解釈できる余地を残した、と私は思いました。この習近平さんの提示した条件から見ると、安倍談話は間違いなく合格できるものだったわけです。ですから、談話に対する中国政府の対応も、抑制的なトーンになったわけです。
工藤:逆に中国の方がハードルを下げてきた、ということなのでしょうか。
宮本:一つの問題で止まって、前に進まないというのは、外交として最低です。やはり、国と国の間の大きな利益というものを考えた場合、いろいろな問題の一つにすぎない歴史問題で止まるわけにはいかないので、そういう抑制的な対応にせざるを得ないわけです。日中関係は、そういう状況になってきていると思います。
少しだけ付け加えておきたいのは、今回、安倍談話を出すにあたって、川島先生も参加された有識者懇談会ができたことによって、国民社会の中に、より広く戦前の歴史についての再認識のプロセスが起こり、国民全体の戦前の歴史に対する認識は高まったと思います。安倍談話にも、満州事変以降の日本の行動が侵略であった、やはり、我々はアジアの人々に対して迷惑をかけた、という声が反映されていると思いますので、結果とすれば、非常に評価すべき日本の社会全体の一連の動きであったと思います。
工藤:川島さんは、その有識者懇談会の一員として、議論に参加されましたが、談話を見ての感想はいかがですか。
川島:総理は「(有識者懇談会の)提言書を踏まえて談話を書いた」とおっしゃっていましたが、実は内容的には違うところも多いですね。やはり、安保法制をめぐる問題で国会の会期が延長されて、会期中の発表になったことによって、談話が政局に絡んだものになったという印象を持っています。元々、いわゆる(「おわび」「反省」「侵略」「植民地支配」という)4つのキーワードにはこだわらない、という話だったのですが、政局が絡み、閣議決定をするという中で、4つのキーワードが政権内部でも重く見られるようになった、という面はあるだろうなと思います。
中国側との関係で言うと、宮本さんがおっしゃるように、中国はある種こだわりを持たないような姿勢を示して、日本側に解釈権を留保したと思います。それで、中国側も状況に応じてどうにでも解釈できるようにしたという印象は持っています。元々、2007年4月12日の温家宝首相の国会演説というものがあって、そこでは温家宝さんが事実上、村山談話と小泉談話を高く評価しているわけです。そこでは、「おわび」と「反省」ということをはっきり言っている。また、1998年の日中共同声明でも、村山談話を重視すると言っているので、ここは譲れない。この最低限の基本構造を踏まえていればよかったのだと思います。
なお、安倍談話では1931年の満州事変から「進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました」とありますが、中国側はもっと前、明治以降の近代日本は、ずっと中国大陸を侵略してきた、と言っていますので、そういう意味では実は歴史観が完全には合っているわけではない。まあ、それでも何も言わないよりは「31年以降は侵略だ」と明言すれば、中国の人もそれなりに納得するロジックだと思います。
唯一心配だったのは、中国では政府と民間では、反応がかなり違うので、政府の方が非常に穏健な対応を取ろうとしても、国民世論の方で火が付いてしまうと、政府しても厳しい姿勢を取らざるを得ない。そこは大変心配しましたけど、今のところはそういう事態に陥っていないという印象です。
工藤:確かに国民レベルの反応はあまり伝わってきませんが、何か情報はありますか。
川島:中国のいろんなメディアは、かなり厳しく批判をしていた部分もありました。ただ、そのメディア報道に対して、インターネット上の世論が反応して炎上する、盛り上がる、ということはなかった。当然、ナショナリストの方々は反発するんですけど、必ずしも中国の一般の人々にまでワーッと広がっていくわけではありませんでした。
それから今回、北京にある日本大使館は、安倍談話の中国語訳をすぐアップしたのですが、これがかなり練られたもので大変良かったと思います。日本の言葉をそのまま訳してしまうと、いろんな問題が中国では起きるんですが、今回はそれを防ぐために注意していた。例えば、「犠牲」という言葉ですが、中国語では、犠牲というのは正義のために死ぬ場合だけです。ですから、戦争で巻き込まれて亡くなったような場合には、犠牲という言葉は使えないんです。そういうことも意識しながら、日本語では「犠牲」となっているところを、中国語では三種類ぐらい訳し分けていました。
工藤:伊藤さんは、安倍談話をどう読みましたか。
伊藤:非常に各所に配慮をされた、本当に多くの方が練られて作られた文章だな、という印象を強く持ちました。あとは、文章に基づいていかに行動するのかというところを、中国含めた周辺国の皆さんがご覧になっているでしょうから、どう実行に移すか、というところが次のステップだと思います。
双方の政局が絡んだ軍事パレードと安倍訪中
工藤:「戦後70年」という節目の中で安倍談話が出されたことに対し、中国は「反ファシズム」を前面に出し、9月3日に軍事パレードを行いますよね。一方で、その期間中の安倍さんの訪中も検討されていますけれど、これをどう理解すればいいのでしょうか。
(注:安倍首相は8月24日の参院予算委員会で、中国政府が9月3日に開く抗日戦争勝利記念日の式典について、「出席しないことにした。国会の状況などを踏まえて判断した」と訪中見送りを表明)
宮本:これは双方の国内の政局が絡んでいるわけです。軍事パレードに関しては、習近平さん個人の必要性から行うことになったのではないか、と思います。反腐敗運動であそこまで人民解放軍を叩きましたから、その代わりに彼らを激励する場が欲しかった。また、自分が人民解放軍の最高司令官だということを示す晴れの舞台という意味もある。さらに、かつては歴代の国家主席は、10年に1回、その任期が終わりに近づく段階の国慶節の日に、軍事パレードを行うというのが慣例でしたが、近年は10年に1度のペースになっている。そうすると、習近平さんにはなかなかそのチャンスがめぐってきませんが、ロシアが反ファシズムの軍事パレードをやったという流れもあったので、実現したのではないか、かなり独断的ではありますが、私はそう思っています。
そうだとすると、軍事パレードの目的は、別に「反日」ではないのです。いろんな国がパレードに参加するかどうか決めかねているという状況の中、安倍訪中が実現すれば習近平さんとしても国内に対して面子の立つ立派なパレードになるわけです。
日本に関して言えば、今の安倍政権の最大の目標は安保法制の実現になりますので、そのためにも内閣支持率を高止まりにしておきたい。そこでもし、日中関係の改善をさらに一歩進めるような状況を作ることによって、支持率を上げることができるとご判断されたら、訪中もあり得ると思います。
ただ、お互いに国内に説明できる材料をどういう風に作り合うのか。それを確定して、具体化して了解事項にするという作業は、まだ残っているのではないか、という感じがしますので、いろいろな報道はありますけど、訪中確定というには、時期尚早ではないかと思います。
川島:なぜ、中国が9月3日に軍事パレードを行うのかというと、この日が反ファシスト闘争勝利記念日であり、抗日戦争勝利記念日だからです。しかし、そこに敗戦国である日本のトップが行くということで、平和、あるいは戦後の和解の象徴にすることもできる。宮本さんがおっしゃるように、この軍事パレードは反日目的ではない、ということを示すこともあり得る。その際、安倍総理のご決断がありさえすれば、小泉総理も訪れた盧溝橋もありますし、歴史について何らかのパフォーマンスする可能性も無きにしも非ず、だと思います。何かそうした歴史がらみのイベントプラス日中関係の改善的な何か、ということはあり得ると思います。
もっとも、これはやや賭けになります。そのパフォーマンスと安倍談話とセットにしたときに、支持率が上がるのかというと、安倍総理の固定的な支持層の離反を招きかねないので、それは非常に厳しい。
工藤:伊藤さんはどう見ていますか。
伊藤:我々が行ったアンケート調査を見ましても、中小企業の皆さんを含め、日中関係の改善を強く期待する声というのは根強くあると思います。9月3日のタイミングか、それとも別のタイミングかはともかくとして、早期に首脳同士が普通に話し合えるような環境が作られるということを強く期待しています。
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今後、政府間レベルでは何が問われていくのか
工藤:先程、宮本さんから、2012年の前後で日中関係の構造が変わった、とのご指摘がありました。確かに、日本では集団的自衛権を中心として、安全保障政策が転換してきている。その中で、中国を明示的に意識しているということではないにしても、少なくとも、北東アジアのパラダイムシフトの中で、日本の安全保障を考えなければいけないという状況です。
一方で、中国についても「中国の夢」など、勢力拡張的な動きについて、ある程度考えなければならない局面がある。その中で、今後の日中関係を、良い形に持っていくために、どのような知恵が、政府レベルには問われてくるのでしょうか。
宮本:日中関係のマネジメントは、今後ますます米中関係のマネジメントに似てくるわけです。ですから、9月の習近平主席の訪米、そして、オバマ大統領との首脳会談は、東アジアの今後にも大きく影響する重要な出来事になると思います。例えば、南シナ海の問題で、米中はどういう形で決着するのか。すなわち、中国が既成事実を押し付けて自分の立場を強固にすることを、アメリカはどこまで認めるかということです。これは今後の東アジアの秩序の形成上、相当大きな影響を及ぼすことになります。
そういう大きな流れの中で、日中関係の今後についても考えていくということになりますが、私は、中国の方々と話をする機会があるたびに、「軍事力を全面的に出して秩序が作れると思っているのか。軍事力を使って一体何を達成させようとしているのか」と問いかけています。実は、軍事超大国のアメリカも、軍事力によってできることは、基本的な国際社会の秩序の維持くらいです。それを超えて、アメリカの何らかの政治目的を達成するために、アメリカの強大な軍事力は大して役に立っていない。ベトナム戦争から始まって何回も何回も失敗してきたでしょう。そういう中で、軍事力を使って何をするつもりなのか、ということを、中国の方々には考えていただきたいと思います。彼らがちょっと考え方を修正してくれれば、我々も共に協力することができるし、協力の空間がぐんと広がっていく。これは非常に大きなカギだと思います。これができないと、軍事安全保障のロジック中心の東アジアの秩序ができてしまいますが、これは経済のためにもマイナスになっていきますし、この地域の平和と繁栄にもマイナスになっていきます。
川島:軍事・安全保障においては、リアリズムでやっていく。しかし、そこで日本が中国に対する敵対関係を煽っている、と国際社会に受け取られてはならないわけです。日本は、国際社会に対しては必ず、「平和構築が第一。中国とも平和にやっていきたいのだけれど、中国がああいう対応をしているから、こちらとしてもやむを得ずにこういう対応をしているのだ」というイメージづくりをする。その上で、中国と折り合いをつけていくべきだと思います。
北東アジアに平和で安定した環境をつくるために、民間が政府に先行して議論していく
工藤:言論NPOは、2005年に日本と中国の間の民間対話「東京―北京フォーラム」を立ち上げましたが、翌2006年8月に東京で行われた第2回フォーラムでは、翌月の自民党総裁選で当選が確実視されていた安倍官房長官が参加し、メッセージを寄せました。そして、首相就任後の10月には電撃訪中をし、日中の戦略的互恵関係を打ち出しました。要するに、私たちの対話は、日中関係が非常に悪い局面で、それを変えるきっかけとなる大きな役割を果たしたわけです。そして今、再び安倍さんが新しい展開をする状況にあります。今後、北東アジアにおける安全保障面での構造が変化していく中、新しい環境をつくっていくために、民間レベルでの役割も問われている、と私は考えています。
3年前、北京で行われた「第9回東京―北京フォーラム」では、日中両国の間で「不戦の誓い」を合意しました。これを「北東アジアの平和的な秩序づくり」に活かすという課題が、私たちにも残っています。両国が目指すべき理念や価値観なども議論の遡上にのせながら、アジアの将来的な枠組みづくりのために取り組もうと考えていますが、民間側から動き出すということは意味のあることなのでしょうか。
宮本:大変大きな意味があります。3年前を思い返しますと、特にネット上では、勇ましい論調があふれていました。特に、中国では「日本を攻めろ」というのが結構あったわけです。そういう国民社会の雰囲気の中で、日中の一部であるけれども、しかししっかりとした考えを持っている有識人たちが集まって、「戦ってはいけない。あらゆる問題は平和的に話し合わなければならない」ということを両国社会に発信した意義はものすごく大きいです。そういうふうに政府間外交の一歩先を行って、両国社会に「こういう考え方もありますよ」「我々が共に頂くべき理念としてこういうものがあるのではないでしょうか」ということを、両国の有識者が議論をして、一つのコンセンサスにできれば、それは素晴らしいことです。
工藤:川島さん、北東アジアに平和な環境をつくっていく上で、政府をバックアップしていくための民間の役割には、どのようなものがあるのでしょうか。
川島:尖閣海域では、海上連絡メカニズムの構築では話は進んでいますが、空の問題については進んでいません。日中間では残念ながら他にもいろんなところにいろんな問題があり、紛争になり得る状態を抱えています。そこで、対立がエスカレートしないための多様なメカニズム、はっきり言えば、軍事的対立のお作法、マナーというようなものをどう作るのか、冷静時代に米ソが持っていたようなマナーを、北東アジアでも作れるのかどうかが、まず大きな焦点になり、その先にいわゆる「セキュリティージレンマ」と言われている相互が軍事予算を上げ続けていってしまうことをどう抑えるか、という点での軍縮について、政府間に先行して議論をしていくことが求められると思います。
対抗ではなく、知的に伴走をしていく
工藤:伊藤さん、民間側の役割では、経済的な問題もかなりあると思います。中国には経済の構造改革をして安定成長に持って行ってもらわないといけないのですが、まだ不透明感があります。一方で、中国は戦略的な野心というか、「中国の夢」を持っています。こうした中国の動きと、日本はどう付き合っていけばいいのでしょうか。
伊藤:やはり、中国経済が健やかに発展してもらうということは、日本にとっても非常に重要です。先程お話ししました通り、中国は過剰債務と過剰投資の問題を抱えていて、それをどう調整するかが課題となっています。これは日本がかつてバブル崩壊以降、直面してきた問題に、今度は中国が直面している、という状況です。そこで、中国がソフトランディングするために日本が知的貢献をしていく。その際、民間からも知恵を提供する必要があるだろうと思いますし、実際少なからぬ中国のシンクタンクが日本に来て、調査・研究をしていますので、それをサポートする必要があるだろうと思います。
それから、中国の野心的な動きに対しては、日中だけではなく、より広域な地域においてFTA,EPAを作っていくことで、対応していく必要があると思います。安全保障関係が緊張してきますと、経済を使って外交的・安保的な目標を達成しようとする誘惑に駆られやすいわけです。これからアジアの多くの国々は、どうしても対中依存度が高まっていきます。逆に、中国は内需が高まっていくにしたがって、他の国に対する依存度が小さくなっていきますから、非対称的な相互依存関係というのが形成されてくるわけです。そうなりますと、他の国から見てもFTA,EPAによって、なんとか中国とのバランスを取れるような環境を作っていくということは重要だと思います。
さらに言えば、それは中国の民間の人から見れば、財産権を侵害されにくい環境を作るということになりますから、中国の民間にとってもFTA,EPAを広げていくということは、単純に市場を開拓するだけには留まらない意味を持つだろうと思います。
工藤:中国は経済面では、国際的にどのようなチャレンジをしようとしているのでしょうか。
伊藤:引き続き世界経済における自国のプレゼンスを拡大し、自分たちにとって非常に有利な経済制度を作ろうとしていることは確かだと思います。ただ、中国だけに良い制度を作っても、国家の威信に繋がらないということもありますし、他のところと利害を調整しながらどうやって新しい制度を作っていくのか、その模索をまさにAIIBなど様々な形でしている状況だと思います。
工藤:宮本さん、日本のメディア報道では、AIIBやTPPについて、対抗色を持った論調が多いのですが、アジアの将来的な発展のために、こうした多国間の経済的な枠組みをどう考えていけばよろしいのでしょうか。
宮本:メディア報道では、AIIBに限らず、全部「中国に対抗して」という話になります。日本政府がやっていることはすべて中国に対抗してやっている動きだ、と。私はそういうことではないと思います。そういう気持ちがないと言ったらウソになりますけど、しかし、経済は経済の論理があって、一番大事なのは世界経済をどうするか、ということなんです。新しくできた仕組みが世界経済にプラスになるかマイナスになるか、ということが日本にとって一番大きな問題で、そういう観点から対応していくべきです。
それから、中国は熟慮を重ねた上で戦略を打ち出してきている、というイメージを、日本の人が抱いていますが、そうではなく、すべてにおいて「走りながら考える」という状況なのです。大きな方向性、つまり、「中国が世界に尊敬される強大な国になりたい」ということは変わらないけれど、それをどう実現していくか、ということについては、彼らはフレキシブルです。ですから、我々はそこを捕まえて、彼らが我々と共存しやすい方向に持っていく。そのためには日本のソフトパワーを使って、良い方向に誘導していく。「中国に対抗して」という発想は脇に置いて、より大きな世界全体のcommon good(公益)のために、中国をどう誘導すればいいのか、という発想から、他の国とも連携しながら、中国にアドバイスし、中国に意見を言う。その結果として中国が、非常に扱いやすい国になっていく。そういうふうにやっていかないと、対抗色を前面に出しても良い結果は出てこないと思います。
工藤:一般の人から見れば、目の前にはいろんな問題があるので、中国と日本という二つの大国は、本当に共存発展できるのか、と思ってしまいます。そうしていかなければならないですよね。
川島:共存発展できるようにイメージを共有していく、ということは、日中間だけではなくて、韓国や東南アジアの国とも必要です。最近、中国から出てきているメッセージは「一帯一路」構想です。64の国が入っていますが、日本は入っていないわけです。そして、この一帯一路構想の中心にAIIBがあるわけです。そういう中国が出しているメッセージに対して日本はどう応えていくのか、これをよく考える必要があると思います。私は、新しい様々な枠組みに関して、日本は全部無視をするというのは得策ではないと思います。つまり、必ず入って行く。中国は白いキャンパスを持ってまだまだ考えていますので、そこに日本なりのメッセージを投げていく方が、日本にとってよいと思います。
伊藤:川島先生もおっしゃったように、中国はこれからいろんな制度を作っていこうとするだろうと思います。そこの中に入っていって中国に対して知的貢献をするということを通じて、自分たちの利益も実現していく、という姿勢が重要だろうと思います。中国の方とお話ししていても、新しく作ろうとしている制度に対して100%自信を持っているわけではないのです。「日本は一体どうしているんですか」ということを気にしながらやっている。宮本さんがおっしゃった通り、走りながら考えている、というところもありますので、一緒に伴走するということも必要なのではないか、と思います。
どのような「アジアの中の日本」を目指すべきか
工藤:一方、日本はアジアにおいて、自分たちの「夢」をどう描くべきか、という議論があまりにも不足しているような気がしているんですが、宮本さんはどう見ていますか。
宮本:私にとっての出発点は、「日本の平和と繁栄」でした。しかし現在、それを実現するためには国際社会が平和で、持続的に成長を続け、繁栄し続けるような状況でないと、日本も平和と繁栄できないような状況になっています。ですから、「日本の夢」を考えていく上では、国際社会をどうするかという視点が当然入ってくる。そして、それを実現していくためには、「紛争の平和的解決」であったり、「法の支配」「正義と公平」など、いくつかのキーワードがあるので、それをアジアの人たちと一緒にはもう1回再確認すべきです。再確認した後、その中身が何かを議論したらいいと思います。
工藤:川島さんと伊藤さんは、日本がアジアの中でどんな国を目指していくべきだとお考えですか。
川島:もう数の論理では到底中国に敵うわけはないわけですが、ヨーロッパの国を含めて、GDPが縮小しても、それなりの発言力を維持する国はたくさんあるわけです。日本はこれから人口が縮小していくかもしれないし、GDPも下がり気味になるかもしれないけれども、日本は発信すること、日本の生活スタイルがアジアの中で模範になる、参照すべき価値を持っている、というふうに思われるようになることが大事だと思います。
伊藤:私も経済規模の意味という意味では、日本の将来を見ると様々な困難を抱えているという状況にありますから、「きらりと光る何か」をどう作っていくか、ということが課題だと思います。それは価値観かもしれませんし、経済界で言えば新しいビジネスモデルであったり、技術であったりすると思います。
工藤:その中で対抗ではなく、共存して発展するという形の新しい流れを作らないといけないなと思います。こうした議論を積み重ねて、私たちは10月末に北京に乗り込んで、「第11回東京―北京フォーラム」で、中国側と率直に本気で議論したいと思います。皆さんにも様々な形で参加していただけたらと思います。今日はありがとうございました。
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entry_more=2015年8月28日(金)
出演者:
伊藤信悟(みずほ総合研究所アジア調査部中国室室長)
川島真( 東京大学大学院総合文化研究科教授)
宮本雄二(元中国大使で宮本アジア研究所代表)
司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)
議論では、両国政府が、関係改善に舵を切り、安倍談話も大きな障害にならなかったのは事実だが、まだまだ予断を許さない状況だというのが共通の見方で、これを機会に「対抗ではなく協調協力」姿勢や、政府間関係よりも先行して民間が課題に向き合った議論を開始することの意義を指摘する声が、相次ぎました。
改善基調であるが、確かな流れには至っていない日中関係
まず、冒頭で司会を務めた言論NPO代表の工藤が、「日中両国政府の歩み寄りの背景には何があるのか」と問いかけると、三氏ともに、中国国内の変化をその原因に挙げました。
宮本氏は、「(日本が尖閣諸島を国有化した)2012年以降、衝突を繰り返してきたものの、お互い代償は大きい。中国共産党の最大の関心事は国内で、その鍵は経済だが、対立している相手と経済ではうまくやっていこうと思っても難しい。安倍首相も前提条件なしで話をしたい、と言っており、ようやく事態が動き始めた」と述べました。
川島氏は、中国の国内政治の事情の観点から「反腐敗運動で超大物クラスの粛清も進み、国内が落ち着き始め、関係改善に向かう余裕ができた」と習近平体制の体制固めが進んでいる、とし、「反日に舵を切りすぎると、デモが起きてしまう。国内の不満が発達しすぎないように日本との関係を適切に処理する必要があった」と語りました。
中国経済が専門の伊藤氏は、リーマンショック以降、中国政府が景気対策をやりすぎたことを指摘した上で、「投資も債務も過剰な状態であり、景気の腰折れが懸念されている。そうした状況に陥らないためにも、安定した(外交)環境が不可欠だった」と指摘しました。
ただ、宮本、川島両氏とも改善基調だが、その道のりはまだ綱渡りの段階、という認識は一緒で、川島氏が、「ガス田問題や日本の安保法制では、中国メディアは反発している。関係改善の動きは確実となった、と断言するまでには至っていない」と述べると、宮本氏は、首相同士の会談の意味が中国では特に大きい、が、「中国の社会はそう簡単に全体が右向け右にはならない。特に反社会運動は社会に亀裂をもたらしており、大きな混乱もなく、対日関係を調整するという仕事を今、周近平さんがやっている、ということ」と応じた。
安倍談話に対する評価のハードルを下げた中国
8月14日に出された安倍首相の戦後70年談話に対しては、中国政府は抑制的なトーンを貫き、それ自体で対立が先鋭化しないように対応していた、と工藤が水を向けると、宮本氏は、5月の自民党・二階俊博総務会長率いる3000人訪中団に対して、習近平国家主席が、「歴史の事実を否認し、歪曲することは許さない」と述べたことに触れつつ、「何が『否認』で、何が『歪曲』なのかはわざと明確にしておらず、解釈の余地を残した。したがって、安倍談話はこの条件から見ると、間違いなく合格できる内容だった」と語りました。
安倍談話に関する有識者会議「21世紀構想懇談会」のメンバーである川島氏も「中国はある種、こだわりを持たないような姿勢を示して、日本側に解釈権を留保した」と、宮本氏の見方に賛同しました。川島氏は続けて、「政府が抑制的に対応しても、国民が怒った場合、結果として政府も強硬な態度にならざるを得ない、ということを危惧していたが、今回はメディアが批判してもネット世論は大きく反応していなかった。北京の日本大使館が、談話の中国語訳を練った上で公表したのも良い対応だった」と語りました。
伊藤氏は、「安倍談話自体は、多くの方が練られて作られた文章、との印象を持った。これからは、それをどう実行に移すかが、次のステップだと思う」と述べた。
日中関係の今後に向けて、民間は政府の一歩先を行く議論をすべき
最後に、日中関係の今後について議論がなされました。
まず、宮本氏は、関係改善と言っても、2010年以前の状態に戻るというのは非現実的、との立場を示し、「2010年頃までは日中関係の構造は経済が中心だったが、2012年以降は安全保障も柱となってしまった。この安全保障における緊張の緩和は難しいし、経済と安保が絡んで複雑化した構造はこれからも続くだろう」と語りました。
また、今後の日中関係は、ますます米中関係のマネジメントに似てくる、と指摘し、その点では、「9月の習主席の訪米が一つのポイントになる。ここで南シナ海問題をめぐって中国が既成事実を押し付けて自分の立場を強固にしようとすることを、アメリカはどこまで認めるか。そうした流れの中で日中関係も考えていく必要がある」とした上で、「軍事力を前面に出して自らの理想を実現した国はない。アメリカですらそうだった。だから、中国に対しても、軍事中心でなければ協力できることはたくさんある、と伝える必要がある」と語りました。
これに対して、川島氏は、「日本が中国に対する敵対関係を煽っていると国際社会に受け取られるようなことがあってはならない」とし、「日本は平和構築が第一、中国とも平和でやっていきたいが、中国のああいう対応をしているからやむを得ず、という形で、中国とも折り合いをつけていくべき」と語りました。
伊藤氏は、AIIBに見られるような中国の「野心」に対しては、「日中両国が含まれる広域のFTAやEPAを推進し、中国と周辺諸国の非対称的な相互依存関係を解消するような展開が望ましい」と問題提起すると、宮本氏は「中国は熟慮した上で行動しているわけではなく、考えながら動いている節がある。我々も『対抗していく』という発想ではなく、中国を良い方向に誘導していくような議論をすべき」、川島氏も「『一路一帯』構想には日本は入っていないが、だからと言って無視せずにメッセージを出していくべき」と語りました。
言論NPOが取り組む、中国との間の民間外交に関しては、宮本氏は、2013年に言論NPOが中国側と合意した「不戦の誓い」について触れながら、「両国世論が過激化する中、双方の有識者が平和の価値を発信したように、政府の一歩先を行って、民間が理念を打ち出すことが重要」と期待を寄せ、伊藤氏は、中国経済が健全に成長していくことは日本にとっても不可欠であると述べた上で、「バブル期の教訓など、日本の知見を共有しながら、中国が課題を乗り越えることをサポートしていくべき」と主張しました。